第18話 甘いものは

 カップに注がれた紅茶は、ソフォクレス伯爵家へと来てから初めて実物を見たのですが。その見た目の美しさ以上に、香りの豊かさに驚かされました。

 日の光を受けてキラキラと輝く紅茶の水面。そこからほんのわずかに立ちのぼる白い湯気は、まだ温かいことを示していると、これもまた初めて知りました。

 そしてお皿の上に乗せられているクッキーは、真ん中に赤いジャムが乗っているものや、スライスされたナッツが乗っているものなど様々です。

 実はそれら全て、以前満腹で食べられなかった時にお義母様が説明してくださって。その上でどれが一番気になるかと、聞かれがことがあるのです。


(ここにあるのは、その時に私が答えたものばかり)


 つまりわざわざ私のために、マニエス様とお義母様が用意してくださったということ。

 そもそも私はクッキー自体、食べたことがありません。甘いお菓子なのよと、お義母様に教えていただいただけで。

 だからこそ、きっとあの可愛いまかろん? も甘いのではないかと思ったのですが……。


(これは一体、どうやって食べるべきものたちなのでしょうか?)


 テーブルの上にカトラリーがないところをみると、手でつまんで食べてしまっていいのでしょうか?

 それすら分からず、とりあえずマニエス様の様子を窺うと。紅茶をソーサーごと持ち上げて、ゆっくりとカップを傾けているところでした。

 伯爵様と同じ銀の長い髪が、日の光を浴びてキラキラと輝いて。それでいて肩より上で切りそろえられている後ろの黒髪は、重さを感じさせないくらいサラリと流れるのですから。


(お義母様に似ていらっしゃるから、かもしれませんが)


 とても中性的な美しさを感じてしまうのです。

 しかもこの素敵な景色の中。

 マニエス様は完全に、風景の一つとして溶け込んでいらっしゃいました。


(私には、難しそうです)


 どうしたら、動作一つ一つがあんなにも優雅に見えるようになるのか。ある程度の教育は受けてきたつもりでしたが、やはり男爵家と伯爵家では大きな差があるのでしょうね。

 もしくは、スコターディ男爵家があまりにも貧しすぎて、私にまでそんな教育をする余裕がなかっただけなのか。


(後者の可能性も、否定できません)


 仕方がないことですし、そうしなければヴァネッサお姉様に良いお相手を見つけてもらうことができないような、そんな経済状況だったのかもしれません。

 こればかりは、私には確認のしようがありませんから。


「……緊張、していますか?」


 あまりにも考え事に没頭ぼっとうしていたせいか、心配そうにマニエス様がこちらを見ていました。

 いけません。今はマニエス様のことに集中しなくては。


「いいえ。ただあまりにも、その……今までの環境とは違いすぎて、驚いていただけです」


 むしろここ最近は驚きの連続で、初めての経験に驚かない日はなかったのです。

 今も、眉のあたりで切りそろえられた銀の髪の輝きだとか、透けるように白い睫毛の長さだとか、澄んだ金の瞳だとか、スッと通った鼻筋だとか。

 私がこれまで気が付かなかったマニエス様の美しさに、ただただ驚き続けているだけなのですから。


(初めて、美しいという言葉の意味を理解した気がします)


 とはいえずっと見つめ続けているというのも、なんだか失礼な気がしたので。私もそっとカップを手に取って、紅茶を口に含みます。

 温かな液体が、口の中に香りと共に広がって。喉の奥に流した後に、鼻から抜けていく爽やかな香り。

 紅茶がこんなにも美味しい飲み物だと知ったのも、つい最近のことですから。まだまだ一口ずつ、ゆっくり味わっていたいと思ってしまうのです。


「そうでしたか。ちなみに僕は、少し緊張しています」

「まぁ。マニエス様が?」


 意外でした。

 接している分には、緊張しているように見えなかったので。


「女性とこうして二人きりというのは、なにぶん初めてなので」


 そう言って照れくさそうに笑ったお顔は、少しだけ幼く見えて。

 年上の男性にこんなことを思うのは、大変失礼かもしれませんが。とても可愛らしくも、見えたのです。


「このクッキーもマカロンも、母上から助言をいただいたものなのですが。甘いものは、お好きですか?」


 なるほど。やはりだからこそ、この種類のクッキーが用意されていたのですね。

 ただ……。


「どう、でしょうか?」

「……というと?」

「その……お恥ずかしながら、スコターディ男爵家はとても裕福とは言いがたい家柄で。甘いものなど、口にしたことがなかったので」


 隠すほどのことでもないので、正直にそうお伝えしたのですが。途端、マニエス様は驚いたようなお顔をなさって。

 そして段々と、眉尻が下がっていってしまいました。


「すみません。全く気が回っておらず……」

「いいえ! むしろお義母様からお話を聞いてから、甘いものはずっと気になっていたので。口にする機会をいただけて、とても嬉しいです」


 これもまた、私の正直な気持ちです。

 存在を知らなかった頃とは違い、今は知識だけを得ている状態ですから。どんなものなのか、ずっと気にはなっていたのです。


「そう言っていただけると、とてもありがたいです」


 そう小さく笑みを浮かべながら、マニエス様はクッキーを一つ手に取り。


「こちらのクッキーもマカロンも、基本的にはこうしてつまんで食べていただいて大丈夫ですよ」


 お手本を見せるように、一口かじりつきました。

 サックリといい音がしたかと思えば。咀嚼そしゃくするマニエス様の口の中からも、サクサクと気持ちのいい音が聞こえてきます。


「さぁ、どうぞ」


 すすめられるがままに、一つ手に取って。

 私はおそるおそる、人生初のクッキーを口へと運びました。





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