第5話 お相手は白髪のご老人では?

「ここが……」


 初めて外に出た私は、馬車に揺られるという体験を味わいながら、ずっと窓の外を眺めていました。

 そのおかげか、あっという間にソフォクレス伯爵邸へと到着した気がします。


 重厚そうな黒い鉄の門が開いて、ゆっくりと進む先。スコターディ男爵家とは比べ物にならないくらい立派なお庭の向こうに、とても大きな白いお屋敷が見えてきました。

 きっとあれが、ソフォクレス伯爵邸。

 門やお庭にも引けを取らないような、とても大きくて立派なお屋敷に、今日から私が住むことになるなんて。


「……夢、ではなさそうです」


 骨の浮き出た手の甲を、少しだけつねってみたら。感じたのは紛れもない痛みでした。

 本当に、こんな立派なお家柄の伯爵家に私なんかが嫁いでしまって、大丈夫なのでしょうか?


「お嬢様、お手をどうぞ」


 ゆっくりと停止した馬車の扉が開いたと思ったら、その先にいたのは先ほどの御者の方ではなく。

 ソフォクレス伯爵家に仕える、女性の使用人。


「ありがとうございます」


 差し出されたその手を取って、ゆっくりと馬車のステップを降りていきます。

 私のやせ細った体で、簡単に手直しをしただけのヴァネッサお姉様のドレスを着たまま一人動くのは難しかったので、とても助かりました。


「旦那様と奥様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 扉を手で指し示した彼女は、そのままゆったりとした動作で歩き始めます。

 先導してくれているのだと認識して、私もその後ろについてゆっくりと歩き出しました。


(広いお庭も気になりますが)


 今は、後ろを振り返っている暇もなさそうです。

 旦那様と奥様ということは、お待たせしているお相手はソフォクレス伯爵様ご本人と、伯爵夫人。さっそく粗相のないように気を付けなければいけません。

 内開きの玄関扉がゆっくりと開かれる様子を見ながら、そっと深呼吸をして心を落ち着けます。


(一体、どんなお方なのでしょうか)


 私が知っているのは、国内唯一の占い一家であるということだけ。

 奥様がいらっしゃるということは、伯爵様に嫁ぐわけではなさそうですし。そうなると、伯爵様のお父様の後妻、でしょうか?

 けれど後妻を迎えるほどお元気なら、きっと家督を譲ったりはしていらっしゃらないでしょうし。そうなると、前伯爵様のご兄弟、ですかね?

 白髪ということは、かなりお年を召していらっしゃる方でしょうし。


 そんなことを考えながら、扉が開き切るのを待っていた私の耳に。


「やぁ。待っていたよ」


 よく通る、気持ちの良い声が届きました。


「貴女に会える日を、心待ちにしていました」


 続いて聞こえてきたのは、涼やかな女性の声。


「……お初にお目にかかります。スコターディ男爵家のミルティアと申します」


 まさか玄関ホールでお待ちいただいているとは、思ってもみなかったので。急いで、淑女の礼を取ります。

 カーテシーというそうなのですが、どなたかにこれを見せるのは初めてなので、合っているのかどうか内心不安ですが。毎日練習してきた成果を、今ここで披露するべきでしょう。

 大切なのは、目上の方からお声がけいただくまでこちらから声をかけないことと、許しを得るまで顔を上げないこと。この二つです。

 お声がけはいただいたので、名乗るだけに留めておいて。まだ頭は、下げたまま。


「そんなに硬くならなくてもいいよ」

「えぇ、えぇ。これから家族になるのですから」


 ここで初めて、私は頭を上げてお二人の顔を見ることが許されます。

 ……で、合ってますよね?

 いきなり本番ですが、ここは教えを忠実に守るべきでしょう。


「はい。ありがとうございます」


 顔を上げて、笑顔で応える。

 ここまでは、どなたに嫁いだとしても同じだと教わりましたから。


「こんなに可愛らしい子が来てくれるなんて、あの子も幸せ者ね」

「占いの結果に、間違いはないよ」

「もう、旦那様ったら」


 幸せそうなやり取りに、周りにいた使用人の皆様もほっこりとしていらっしゃいますが。

 一つ、気になる言葉が聞こえた気がするのですが……。気のせいじゃ、ありませんよね?


「あの……」

「おや。どうしたのかな?」


 控えめに問いかけた、私の声を拾って下さった伯爵様に。

 意を決して、尋ねてみます。


「その……私のお相手は白髪のご老人では?」


 私が、そう、言葉を発した瞬間。

 その場が凍り付いたかのように、静まり返りました。





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