006: 凶刃 -- アルカジアの森にて
アルカジアの森。それは木漏れ日が穏やかな空間でありながら、血で血を洗う惨劇が日夜繰り広げられる戦場でもある。
『SoL』の冒険の舞台であるバラル大陸のちょうど中央に位置するこの森は、三つの大きな都からの距離も等しく、多様な勢力がぶつかる場所だ。今日もあちこちから刃物の触れ合う音がして、相変わらずの惨状であることが伺えた。
そんな中、ふわふわとした茶色の毛並みの兎がぴょんぴょんと跳ねていた。その額には白い宝石が埋め込まれ、ただの動物ではないことを物語っている。
神経質に耳を動かし辺りを探るその兎は、草むらに隠れて息をひそめるカナギに気づかず通り過ぎていった。その様子を別の木立の影から見守るマサは、カナギの隠密の上手さに内心舌を巻いた。
ここまで来る途中にカナギは何回かモンスターと接敵したが、それらの攻撃を受けることなく倒し切っている。相手の攻撃を見極める動体視力と、それを難なく回避できる身体能力の両方を、この稀代の天才は持ち合わせているようだった。
『すごい逸材を見つけてきましたね、マガミさん。彼、無傷で森に到着しましたよ』
マサはそっとチャット画面を開き、マガミにそう報告した。
『だろ? ますます怪我が悔やまれる』
ギルドで待っているらしいマガミから、すぐに返信が来た。
『顔面骨折は修復できても、眼球の再生は難しいですから。脳オルガノイドからの移植しか手段はありませんね』
マサは長々と返した。カナギはしばらく動きそうになく、マサは暇を持て余していた。
『とんでもないことを言うな。倫理的に許されないだろ』
『うちかて流石に弁えてます。……本当はいろいろ実験したいんですけどね。折角人工知能の専門家もいることですし、学習の仕方の違いを突き詰めるべきですよ』
新緑の瞳を巡らせ、マサは森の小道を見渡した。向こうから数人の足音が聞こえてくるのを、マサはいち早く捉えたのだった。
『全く。なんで俺の周りの研究者どもは、揃いも揃ってぶっ飛んでるんだか』
『脳科学者としては、興味深いサンプルが多くて嬉しいです』
『お前が一番やばいんだよ』
チャットのやり取りを続けながらマサはカナギの様子を見た。黒髪が木陰に紛れ、マサからしても一度見失えば二度と見つけられなそうだった。
道の先からやってきたのは這う這うの体のプレイヤーたちだった。攻撃職二人が支援職一人の前後を挟む陣形になっており、体調は万全といった感じだったがMPに余裕はなさそうだった。
『三人のパーティと接敵しそうです』
『三人か。森でPKするにしては数が多いから、普通に攻略しに来た奴らだろうな』
マサはマガミに報告しながら注意深く事の様子を見守った。
パーティの向こうから、一体の狐がのっそりと姿を現した。神々しい純白の毛並みに、白い宝石が数珠のように連なって埋もれている。
それらに魔力をみなぎらせ、狐は鋭い声で吠えた。
「やべえ! エルダーだ!」
「魔法が来るぞ!」
冒険者は口々に言って構えた。
エルダージェムフォックスは、アルカジアの森の中で最も希少で強いモンスターだ。魔法という遠距離での攻撃手段を得た彼らは、ベテランでもそれなりに苦戦する。
あの冒険者たちが死んだら自分がなんとかするしかないかと、マサがひっそりため息をついた瞬間、刀を構えたカナギが草むらを勢いよく飛び出した。
「カナギくん……?」
マサは思わず眉をひそめて呟いた。あのプレイヤーたちに助太刀する義理は無い。むしろほとんど初心者装備のカナギは、彼らを見捨てて逃げた方が得策だ。
しかしカナギは、それ以上にマサの予想を裏切る行動に出た。
道に走り込んだ彼は、狐に気を取られるプレイヤーたちの首を正確に切り払った。身体と寸断されたそれらは一瞬宙に浮き、驚きの顔のまま粒子となって消えていった。
そしてカナギはそのまま狐に向かって駆けていき、犬歯を剥き出す狐の口を簡単に避けて脇腹を切りつけた。
狐は苦しそうに身体を躍らせて、今度は距離を離して魔法の光を放った。それすらもカナギは身軽に避けて、今度は喉笛に刀を突き刺しぐっと引き抜いた。
『マガミさん』
『なんだ』
『あれはもう、鬼か何かですよ』
顔から表情を消したマサは、崩れ落ちる狐の前に立つ、夜叉のような青年の影を眺めていた。
『彼、エルダージェムフォックスを相手取りながら、三人のプレイヤーの首を正確に斬りました』
その報告に、マガミはすぐに返事をしなかった。彼も驚いたのだろう。
一陣の風が吹いた気がして、マサはメッセージウィンドウから顔を挙げた。するとすぐそばに、マサを覗き込む藤色の瞳があった。
「…… ”見る人もなき山里の桜花”」
黒髪をだらりと垂らし、カナギはそう呟いた。マサは表情を動かさないまま、静かな声で返した。
「”他の散りなむ後こそ咲かむ”」
その答えを聞いたカナギは、不思議そうに目を瞬かせて言った。
「なんで俺を尾けるんですか。前、俺がレーセネの街を歩いていたときも尾行していましたよね」
そう問われたマサは、思わず目を丸くした。
「気づいとったんです? センリくんにはバレてなかったのに……」
センリの名前が出ると、カナギは少し目を細めた。
「センリと知り合いなんですか」
「ええ。マガミさんも。ああでも、センリくんとはそんなに仲良うないですよ」
そう言いながらマサは視線を巡らせ、柔らかな口調で続けた。
「うちは装備の仕立て屋をやっとりまして、マガミさんからあなたの装備を作ってくれって言われてるんです。それであなたの戦い方を見学しに来ました」
そして口布を下げて顔を見せながら、マサはにこりと上品な笑みを浮かべた。
「センリくんのあのチャイナ服もうちがデザインしたんです。あなたもどうですか?」
カナギは一歩身を引いて、マサを冷たい目で見下ろしながら言った。
「要らないです。今はただ、一人にさせてください。本当に、たった一人に」
カナギは黒髪を無造作にかきあげ、右目の下についた返り血を親指で拭った。
「分かりました。では、これにて」
マサは従順に頭を下げて、ゆっくりとその場を後にした。
『マガミさん、バレちゃいました』
『……たしかに、鬼かもしれないな』
マガミからの返信を目にしたマサは、心底楽しそうな笑みを浮かべた。
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