第423話 閑話:とある精霊の物語4
戦争都市からの片道旅行。
懸念が解消されたことで安堵した私は、アレンちゃんの足掻く姿を心ゆくまで愉しみ、煽り、揶揄った。
次に訪れるときには変わっているであろう景色を記憶に焼き付け、旧交を温め、自分のお土産用にお酒を買い込んだ。
久々の遠出に満足して飛空船に忍び込み、のんびり帰還したのがつい先ほどのこと。
「………………」
ふわふわと宙に浮いて都市中央の時計台に着地し、長らく拠点にしていたオーバーハウゼン市の変わりようを眺めながら。
私は、黒髪の少年との出会いを思い出していた。
◆ ◆ ◆
少年との出会いは、今から6年ほど前のこと。
スキルの確認のためにやってきた少年を初めて目にしたとき、私の中に生まれた感情は歓喜だった。
騙されやすく揶揄っていて非常に楽しい、ほかの精霊や妖魔が見つけていない超高品質の保存食。
それが、出会った当初の少年に対する率直な評価だ。
出会ったその日、私は少年に貸しを押し付けて傀儡とすることを決めた。
貸しを積み重ね、一度契約してしまえばこちらのもの。
解除できない契約を楔に、少年の長い人生の終わりまで魔力供給を強制する。
火山に棲む者たちの暴挙――――歯止めの効かない勢力争いの末、精霊の泉を消滅させるという前代未聞の蛮行により困り果てていた私にとって、その邂逅はまさに恵みの雨だった。
しかし、私の目的を果たすために貸しを積み上げる作業は、困難を極めた。
理由は、少年からこっそりと供給を受ける魔力が非常に高品質だったから。
私の下で魔力を放出させ、それを魔石に封じて日々の糧にする涙ぐましい行為は、少年がそうと知らずとも、やはり少年から私への貸しでしかない。
貸し借りを相殺することすら大変で、計画の進捗が亀の歩みとなるのも仕方のないことだった。
この間、私が神経を尖らせたのは、少年がレーナやその配下に見つからないようにすることだ。
レーナたちが薄汚れた南東区域に自ら踏み込むことはない。
だから貪欲に知識を欲する少年に与える情報を取捨選択し、少年自身が北西区域に踏み入らないようそれとなく誘導した。
少年は元々北西区域に対する警戒感を持っていたようで、話は早かった。
少年は擦れているようで、実のところ素直な良い子だった。
時は流れ、アレックスちゃんが冒険者登録する日が近づいた。
貸しの積み上げが難航する一方で、いつからかアレックスちゃんと過ごす時間を楽しんでいる自分に気づいていた。
相変わらず騙し易く、私を楽しませてくれる、高品質の魔力を持つ少年。
英雄を目指して足掻くアレックスちゃんを応援する気持ちも芽生え始めた。
共に冒険する仲間が見つからないようなら、私がついて行ってあげてもいい。
この時点では歓楽街も安定していたとはいえ、本気でそう思うくらいに私はアレックスちゃんを気に入っていた。
だからアレックスちゃんが冒険者になる前日。
まるで別れを切り出すような言葉に、少しだけ苛立ちと焦りが顔を出してしまった。
何とか取り繕い、その場を誤魔化して、アレックスちゃんが帰った後で私は考えた。
レーナが彼を見つけないよう工作は続けている。
ただ、偶然を完全に防ぐのは不可能。
ここでアレックスちゃんをレーナに奪われることは、絶対に避けなければならない。
向こうから同行を頼み込んでくるのを待つつもりだったけれど、色々と考えた末にこちらから契約を持ち掛けることに決めた。
貸しは少々目減りするけれど、今のままでも問題はない。
アレックスちゃんとの冒険者生活なら、きっと長く楽しめるはずだ。
しかし翌日、アレックスちゃんが私を訪ねることはなかった。
これが、私の1つ目の失策だ。
振り返るなら、敗因はレーナの対処に意識を向け過ぎたこと。
南東区域は所詮汚いゴミ溜めだから、誰も好んで行きたがらない。
だからこそ、私自身が赴けばレーナの興味を引く恐れがある。
そのように考え、孤児院が孤児売買に手を染めていないことを一度確認させただけで、定期的な調査を怠った。
アレックスちゃんを横から掻っ攫ったのが人間だと気づいたときは、もう手遅れだった。
ただ、実際のところ、気づいたときにすぐさま手を打てば、アレックスちゃんを取り戻せる可能性は残されていた。
それをしなかったのは、派手に動けば間違いなくレーナに捕捉されるから。
そしておそらくは、ほかの地域にいる精霊や妖魔にも気づかれるからだ。
三つ巴、あるいはそれ以上の争いになったとき、私に勝算はあるか。
仮に勝ったとして、その消耗を回復できる見込みはあるか。
万が一、アレックスちゃんをほかの精霊に確保されたとき、消耗した私は窮地に追い込まれるのではないか。
ほかの精霊に奪われる危険を冒すくらいなら。
私の思考は、冷静にアレックスちゃんを切り捨てた。
思わぬ再会は、別れから4年後。
すでに別の妖精が付いていたことに若干の苛立ちを覚えたのは、我ながら身勝手だと思う。
きっと、世代を超えて歓楽街にちょっかいを掛け続ける馬鹿のせいだ。
貸しの効果も薄れているし、また少し時間をかける必要がある。
家妖精と聞いたので、それならまあいいかと流してしまった。
これが、私の2つ目の失策だ。
次にアレックスちゃん――――改めアレンちゃんと会ったとき。
アレンちゃんの膨大な魔力を毎日7割食べるという家妖精の話を聞き、私は愚かにも安堵してしまった。
だって、通常ならば、精霊や妖精が吸収できる魔力には限度がある。
身体が魔力で構成される精霊や妖精にとって、魔力は栄養であると同時に異物でもあるからだ。
それは綺麗な水が詰まった樽に、グラス一杯分の果実酒を注ぐようなもの。
私は綺麗な水で居続けるため、時間を掛け、魔力を消費して注がれた果実酒を綺麗な水に作り換えていく。
樽の中身が綺麗な水だけになったら、ようやく私は次のグラスに手を伸ばす。
このとき、樽の中にある綺麗な水の量は、果実酒を注ぐ前より少しだけ増えている。
精霊や妖精の成長は、この繰り返しだ。
魔力の吸収量や成長率に限界があるから。
それは時間をかけることでしか解決できないから。
だからこそ、長い時間を生きた精霊は強いのだ。
だから7割食べると聞いて頭に浮かんだのは、生まれたてで存在を確立しきれていない妖精が、形成途上にある自我を投げ捨ててアレンちゃんに隷属することを選んだという推測だった。
例えるならそれは、綺麗な水がわずかに残る、ほとんど空になってしまった樽。
そこに果実酒を注ぎ続ければ、樽の中身は綺麗な水であることを維持できなくなり、水でも酒でもない何かに変じてしまう。
たとえそれが自身の存在を曖昧にするような行いであっても、そうすることでしか存在を保てないなら、先を見据えてそれを選択することもあり得るだろう。
魔力に余裕が生まれれば、自我が再び芽生えるかもしれない。
ろくに力を使いこなせない存在でも、家妖精くらいなら務まるはずだ。
オーバーハウゼン市の環境が、生まれたばかりの妖精にとって過酷極まるという事実。
アレンちゃんが持つギフトが、妖精の格が契約者に劣るときに贈られる祝福であることも、その推測を後押しした。
これは後知恵だけれど、このとき私は重大な見落としをしていた。
私が見落としたのは、樽の中身が最初から完全な果実酒であるという可能性。
一見あり得ないようで、しかし膨大な魔力が存在する精霊の泉の近くでは相応に実例もある話だ。
完全に同一の魔力で構成され、自身を構成する魔力と同一の魔力を吸収するならば、多くの魔力を吸収しても自我が揺らがず、吸収した魔力を自身と同質のモノに変換する手間もない。
理論上は、極めて効率的に成長することができる。
実際にそうならないのは、良好な条件下では競争相手も非常に多いからだ。
無限に魔力を供給する精霊の泉も、時間当たりの供給量には限りがある。
それを多数の精霊や妖精で分け合い、あるいは奪い合えば、結局のところさほど高い効率にはならないのが常だった。
だから、フロルちゃんは例外中の例外だ。
幼いころから数年間、アレンちゃんが毎日毎日飽きもせず魔力を垂れ流し続けたであろう孤児院の一室。
そこから生じたならば、さぞかし高い潜在能力を持った妖精となったはず。
でも、能力の高い妖精ほど消耗も早い。
魔力が枯渇した辺境都市で生まれた妖精は、その潜在能力ゆえに急激に魔力を消耗し、そのまま消滅するはずだった。
仮に適当な契約者を見つけても、存在を維持するには足りないはずだった。
それが自我を保ったままアレンちゃんと再会するなんて、一体どれほど細い糸を辿ったのだろうか。
あるいは、内在する魔力がそれほどまでに膨大だったということかもしれないけれど。
事実がどうであれ、一度再会したならそこから先を想像するのは簡単だ。
アレンちゃんの膨大な魔力によって力を取り戻した妖精は、その力を以て生みの親に奉仕する。
たちが悪いことに、<家妖精の祝福>の効果は契約者の能力や回復力を高めること。
ただでさえ膨大なアレンちゃんの魔力はフロルちゃんに食べられたそばから回復し、回復した魔力は結局フロルちゃんに食べられ、それによってさらに力を増したフロルちゃんの祝福は強化され、アレンちゃんの魔力回復速度がさらに上昇する。
精霊や妖精が強大になるほど成長が鈍化するという当然の常識が、この主従の場合は全く機能していない。
力を増すほどに供給量が増え、質も向上する最高級の魔力。
人間も16歳にもなれば成長率は鈍化して当然なのに、アレンちゃんの魔力は質・量とも順調に成長を続けている。
これが意味するのは、成長率の鈍化を打ち消すほどに大量の魔力を生産・消費し続けているということ。
能動的に魔力を消費するスキルは<強化魔法>と<結界魔法>だけだから、フロルちゃんへの魔力供給が消費の大半を占めていると考える以外にない。
だから、毎日7割ではあり得ないのだ。
咀嚼も消化も必要なく、飲めば飲むほど力が増す魔力。
それを無為に垂れ流す主人を前に、フロルちゃんが我慢する理由がどこにもない。
もうグラスや樽で例えるのは無理がある。
強いて言うなら、酒造所の独占。
その酒造所で作られる果実酒は最高級品であり、1日の生産量の1割に満たない量で、1万の人間を殺戮する大魔術を行使できる。
その数倍を日々吸収し続ける妖精ならば、成竜を撃退するくらい容易いだろう。
アレンちゃんの魔力の質、量、回復速度。
それらを考慮すれば、一日で普通の妖精の数年分、あるいはそれ以上の成長を遂げていても不思議ではないのだから。
◆ ◆ ◆
(それだけでも十分に致命的な失策なのに。まさか、3つ目があるなんてねー……)
それとも、これを失策というのは無理があるだろうか。
カールスルーエ市西部の砦跡地に召喚されてから、わずか半月。
辿り着いてから百年の歳月を概ね平穏に過ごした都市を、たった半月離れただけ。
それだけで、都市内に精霊の泉ができていた。
本当に、意味が分からない。
どこまで精密に情報を収集しても、この事態を予測することはできないだろう。
それこそ、未来予知染みた能力が必要になる。
溜息を吐きながら、魔力を贅沢に使って都市全域を探査した。
「…………」
北西区域にいくつか存在していた領域が消滅している。
そこに居たレーナに近い妖精たちは、フロルちゃんの軍門に下ったようだ。
レーナ自身は、その力を半減させていた。
すでに私の探査から逃れるだけの力すら失っている。
一体何があったのか――――は、大体想像できる。
先が見えない暗闇の中で、突如として垂らされた希望の糸。
勝算も準備もないまま、それでも飛びつくしかなかったのだろう。
(レーナの甘いところ、可愛かったんだけどねー……)
私の手足をいつも警戒していたレーナ。
それが隠れ潜む妖精ではなく領主に仕える人間に紛れていると気づかない限り、レーナの愛する契約者をいつでも抑えられる状況にあったと気づかない限り、どれほど私を弱体化させても彼女に勝ち目なんてなかった。
残念だけど、力を落としたレーナが主役級として舞台に上がることは、もうないだろう。
これから彼女は、誰かの庇護の下で生きるしかない。
選択肢が長年争い続けた私と力を奪った張本人であるフロルちゃんしかないのは、少しだけ同情する。
鬱陶しくも楽しい日々は、これでおしまい。
そう思えば、少しだけ寂しくもあった。
(今思えば、これに気づくのも遅かったかー……)
私の足元、そして都市のほぼ全域に広がるのはフロルちゃんの領域。
丁寧に探査を掛ければ私もレーナも気づけたはずなのに、互いのことしか頭になかった私たちはそのために消費する魔力を惜しんだ。
まさかそれを読み切った上での動きということはないだろうけれど、これほど大胆な領域化をよくも成功させたものだと感心してしまう。
(ああ、領主の城に置いたレーナの領域は、まだ残ってるんだ……。私の領域も……)
慈悲のつもりか。
アレンちゃんと協力関係にある私への配慮か。
あるいは――――
(…………まあ、いいかー)
どうすることもできないのだから、気にしたって仕方がない。
フロルちゃんは、行動原理さえ読み違えなければ安全だという確信もある。
だから――――本当の問題は、フロルちゃんではないのだ。
(あいつ……ジークムントが余計なことさえしなければねー……)
アレンちゃんの精神を極限まで追い詰めるだけに飽き足らず、最悪のお手本まで示したお馬鹿さん。
フロルちゃんによる過剰な支援に後押しされたアレンちゃんは、ただその場を切り抜けるためだけに覚醒を果たしてしまった。
人間が到達すべきでない領域に、片足どころか腰までどっぷり浸かってしまった。
その事実に気づかれないために、私は日々頭を悩ませている。
情報が多すぎれば真実に辿り着いてしまう。
嘘が多すぎれば信用を失ってしまう。
たった1つの嘘を隠すため、私は薄氷の上で踊り続けている。
この苦労をあの馬鹿に教えてやりたいけれど、教えるわけにはいかないのが腹立たしい。
(ずっとは無理でも、せめてアレンちゃんが落ち着くまでは隠し通さないとねー……)
宙を漂い、冒険者ギルドの2階の窓から廊下に入り、相談室を経由して自室に戻る。
片付けるのが面倒で、多くの物が転がる部屋。
机の上には、アレンちゃんが都市を出発する前に掛けた術式の材料、その使い残しが転がっていた。
「…………」
<フォーシング>を封印するという名目でアレンちゃんに施した術式は、もちろん罠だ。
訓練目的の封印に見せかけてアレンちゃんを騙し、私の転移に掛かるコストを肩代わりさせる。
まんまと騙されたアレンちゃんを嘲笑し、人間同士の争いを愉しみ、首を突っ込み、ついでに観光に興じる。
そう見えるように仕掛けた二重の罠は、今もアレンちゃんを捕らえたまま。
真実は、未だ嘘に包まれている。
「悪く思わないでよねー、アレンちゃん」
材料の残りを丁寧に仕舞いながら、私は呟く。
同じ嘘は使えないから、次がありそうなら別の手立てを考えておく必要がある。
もっとも、次の機会があったとして、<フォーシング>を封印する予定はない。
だって、<フォーシング>を封印しても意味がないから。
習得していないスキルを封印する術式なんて、材料と魔力の無駄だから。
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