第395話 妖魔迎撃戦ーリザルト?
次々と降り注ぐ魔導砲撃によってまき散らされる魔法の嵐。
戦場の記憶はまだ新しく、俺の身体は反射的に最適な対処のために動いている。
だが、突然の無法に対する怒りが消えるわけではない。
(一体、なに、しやがる……ッ!?)
ここまでほとんど役立たずだった魔導砲。
魔法部隊からの支援攻撃が本格化した後も沈黙を守っていたため、アラクネに有効な火力は望めないものとして思考から除外していた。
それがなぜこの局面で出しゃばってくるのか。
理解できない。
立ち昇る土煙の中、怒りで集中が乱れる。
それは緊迫した戦いにおいて、決して許されない大きな隙となった。
「……ッ!?しまっ――――!?」
気づいたとき、足が蜘蛛糸に絡めとられていた。
冷静に『スレイヤ』を召喚し、糸を斬り払えば間に合ったかもしれない。
感情の乱れが生んだほんのわずかな対応の遅れが、致命的な結果を引き起こす。
「待っ!?うおおおおおおわああっ!!!?」
足を取られて転倒し、伸びきったヨーヨーを回収するが如く簀巻きにされ、仰向けに叩きつけられる。
衝撃で強制的に息を吐かされた。
頭を打ったのか、少し眩暈もする。
混乱から回復し、状況を理解したとき。
俺は跳ね回るアラクネの小脇に抱えられ、急速に後方へ流れていく大樹海の木々を眺めていた。
「――――ッ!?」
意識が覚醒し、背筋がぞわりと泡立つ。
急いで自身の状態を確認。
両手足は粘着質な蜘蛛糸で簀巻きにされていて、『スレイヤ』を召喚するのは賭けになる。
だが、決断が遅れるほど帰還への道のりは厳しさを増す。
時間をかけても状況が改善する見込みはない。
(くそ、もうやるしか……!)
俺が一か八かの勝負に出ようとした、そのとき――――
「殺サナイ。オトナシク、シロ」
「んなっ!?シャベッタァ!!?」
頭上から無感情な声が聞こえ、俺の注意はそちらに持っていかれた。
大蜘蛛の体躯から生えた女の上半身。
蜘蛛糸のような白い髪に赤い瞳のアルビノで造形はどちらかと言えば美人寄りだが、肌は青白く話す間も表情は一切動かない。
やはり大蜘蛛の方が本体で、女の上半身はチョウチンアンコウの提灯的存在なのだろう。
あるいは人語を話すための発声器官か。
いや、そんなことを考えている場合では――――
「食ベルノ、魔力ダケ。食ベ物、ヤル。オマエ、殺サナイ」
「…………?」
「女モ、イッパイ、狩ッテクル。子ドモ、殖ヤス」
「………………!?」
イントネーションがおかしいせいで理解が遅れる。
ただ、言葉選びは単純なので意味を把握するのは難しくなかった。
(こいつ、まさか俺を飼うつもりか!?)
いつぞやラウラが似たような寝言をほざいていたが、こいつはもっとたちが悪い。
子どもを殖やすことまで考えているとなれば、それはもはや養殖だ。
(こんのクソ蜘蛛……ッ!)
状況が変わり、<フォーシング>を控える理由はない。
ただ、こいつを無力化するだけの威力を持たせるには、相応の溜めが必要になるはず。
<土魔法>の手数の多さは先ほどの戦いで実証済み。
四肢の自由を奪われた状態で<結界魔法>だけで時間を稼げるかというと、微妙なところだった。
そして――――眼下の大樹海を見下ろす。
現在地は大樹海から数十メートルの上空。
上等なエサを確保できて上機嫌なのか、アラクネが盛大に跳ねるせいでジェットコースターのような加速と浮遊感を交互に味わっている。
「…………」
アラクネの妨害を凌いで<フォーシング>を叩き込むことに成功したとして、俺は四肢を拘束された状態で大樹海の上空に放り出されることになる。
落下の衝撃を<結界魔法>で軽減し、アラクネが復帰する前に拘束を脱し、襲い来る大樹海の妖魔を撃退しながらアラクネから逃げ切る。
遺憾ながら、成算は乏しいと言わざるを得ない。
(何か……。アラクネの気を引く何かが起きてくれれば……!)
そんなことを考えた瞬間、それは起きた。
「――――ッ!!!?」
まさか俺の願いが届いたわけではなかろうが、アラクネ式ジェットコースターが突然故障して進行方向を大きくを逸れた。
俺はアラクネの小脇に抱えられたまま錐揉み回転し、大樹海の上空を舞う。
明らかにアラクネの跳躍ではない不安定な飛び方に脳を揺らされる中。
必死に状況を確認しようと開いた目に、それは飛び込んできた。
「でっ……!!?」
デカい、巨人。
大樹海の木をそのまま利用したような棍棒を振りぬいたまま、大きな一つ目がこちらを見ている。
どこから現れたのか。
どうして殴られたのか。
疑問は尽きないが、俺が思ったのは別のことだった。
(今だ……!!)
吹っ飛ばされたアラクネの拘束は緩んでいる。
一つ目巨人との距離もそれなりに広がった。
脱出するなら今が最大の好機だ。
「あばよっ!!」
この状況を脱すべく使うスキルは<フォーシング>ではなく<結界魔法>だ。
アラクネが巨人の視線を遮るような位置関係でタイミングを合わせ、俺とアラクネの間に<結界魔法>を設置する。
時々自分の速度を殺すために使っている<結界魔法>だが、今回殺すのはアラクネの速度だ。
空中で静止後に自由落下を始めるアラクネを置き去りにして、俺は慣性に従い落下軌道を往く。
(落ち着け、落ち着け……!)
恐怖に負けず、急速に近づいてくる地面をしっかりと見据える。
そして――――地面に衝突してミンチになる寸前。
自分と地面の間に<結界魔法>を差し込み、顔から突っ込んだ。
「んぶっ!?あっ!?ぐっ……!?」
ガラスが割れる音が、都合三度。
とても人にお見せできない無様な恰好だが、俺は大きな怪我もなく不時着を決めた。
(次……!)
じわりと滲む汗を拭う暇もなく、芋虫状態のまま仰向けになり、祈るような気持ちで右手に『スレイヤ』を召喚。
果たしてそれは蜘蛛糸を突き破り、俺の手の中に現れた。
「うっし!!」
ここが若干賭けだった。
『セラスの鍵』で召喚したものが出現する位置に別の物が存在する場合、両者が同時に存在することはできないため片方は無事では済まない。
何が起きるのかと言うと、強い方が残されて弱い方は消えてしまう。
例えば木桶の方に手を向けて『スレイヤ』を召喚すると『スレイヤ』が刺さった木桶が残り、スレイヤの剣身がある座標に存在したはずの木片はどこかへ消失する。
検証不足ではっきりとはわかっていないが、この強いというのが単に物質的な硬さを意味するわけではなさそうなのが不安材料だった。
消えたモノがどこに行ったのかも確認できていないので、蜘蛛糸の強度によっては『スレイヤ』を喪失する可能性もあったのだ。
(急げ、急げ!)
粘着質な蜘蛛糸に邪魔されながら、まず両足、そして両腕を解放する。
体中に蜘蛛糸が張り付いたままだが、いちいち取り除く暇はない。
まずはここから離れることが最優先だ。
ドシン、ドシンと地面を揺らすのは一つ目巨人の足音。
多分アラクネと戦っているのだろう。
大樹海の妖魔共の勢力図なんて知りようもないが、調子に乗ったアラクネがうっかり巨人の縄張りに飛び込んだのかもしれない。
俺は邪魔しないから、気が済むまでやり合ってほしい。
なんならそのままアラクネを退治してくれてもいい。
養殖を提案されたときは絶対殺してやると思ったが、親切にも俺を助けてくれた一つ目巨人さんになら手柄を譲っても構わない。
(あばよ!二度と森から出て来んなクソ野郎!)
悪態は心の中に留め、素早く周囲を見渡す。
方角を確認する時間も惜しい。
とにかく巨人の足音と逆方向に、一目散に駆け出した。
巨人の縄張りだからか、幸いほかの妖魔との遭遇もない。
このままなら何とか逃げ切れそうだ。
(防衛線までの距離はどれくらいだ……?)
アラクネのジャンプ一回で50メートル以上進んでいたと思う。
少なく見積もっても数キロメートルは東に来てしまったはずだ。
(そういえば、指名依頼も途中だったな……)
指名依頼を途中で放棄すると何かペナルティがあったはずだが、現状がどういう扱いになるのか少々気になる。
こうなった過程に関して言いたいことは山ほどあるが、まずはソフィーのところに顔を出して謝罪せねばなるまい。
ただ、焦るべきではない。
足音から十分な距離を確保できたら、一旦落ち着いて休息をとるべきだ。
水分を補給し、食事を取りながら帰還のための行程を考えるのだ。
足音から、十分な距離を確保できたら。
確保できたら。
「………………ッ」
頭の中で考えを巡らせる間も、俺は全力で大樹海を駆けている。
にもかかわらず、足音が全く遠ざからないのはなぜなのか。
考えたくない。
考えたくはないが、先送りにしても状況は悪化するだけだ。
俺は一瞬だけ背後を振り返る。
そして、空に向かって吠えた。
「なんでだよ!!戦えよ!!!」
一つ目巨人が追いかけてくる。
そればかりか、アラクネも並走して追いかけて来ている。
あいつら敵同士ではなかったのか。
巨人はともかくぶん殴られたアラクネが巨人と敵対しないのは何なのか。
「ちょ……!?」
再び振り返ったタイミング。
巨人が棍棒代わりに握っていた樹木を振りかぶった。
投擲されたそれは俺の頭を越え、前方で土砂を巻き上げる。
「くっ!?」
方向転換。
とっさに進路を10時方向へ。
<強化魔法>全開で全力疾走しているのに、振り切れる気配がない。
「うがああああああああっ!!」
やり場のない怒りと焦りを吐き出しながら、命がけの鬼ごっこが続く。
こうして俺は、大樹海で遭難した。
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