第375話 再集合
冒険者ギルドのロビーは活気を取り戻していた。
不気味なほど人が少ない空間は一転して冒険者たちで埋め尽くされ、耳に入る話し声やこちらに向けられる視線は好意的なものが多い。
何も知らない一般市民は別として、『戦華』が戦線から退いたことを知っている冒険者たちが『戦華』へと向ける感情は、その行動に見合った否定的なものだったということだろう。
俺に対する不満も聞こえてきたが、内容は試合をぶち壊したことで賭けが無効になったことを悲しむものがほとんどだ。
多くの冒険者がショーを楽しんでくれたようで、処刑人として鼻が高い。
(……ああ、また思考が乱暴な方向に)
顔をしかめながら、こめかみをグリグリと指で揉む。
そろそろ切り替えないと、血の匂いが心にまで染みついてしまいそうだ。
俺は癒しを求め、ロビーの一角を占める待合スペースを見渡す。
ほどなくテーブルのひとつに目当ての三人組を発見。
そちらに足を向けると、最初に俺に気づいたのはこちらを向いて座っていたネルだった。
「あ、見つけた!」
こちらを指差して大声を上げる彼女のもう片方の手には、食べ掛けのハンバーガーが握られている。
若干機嫌が悪そうなのは俺のせいで昼食の時間が遅れたからだろう。
少しだけ待ったものの結局は待ちきれず、先に食べ始めたところと見た。
相変わらずのネルに呆れと安堵が半々の溜息をこぼし、俺は空いている席に腰を下ろす。
テーブルにはギルド併設の酒場で購入した食べ物が雑多に並び、良い匂いが空腹感を刺激した。
同時に喉の渇きを自覚したのだが、それが顔に出たのかティアが気を利かせてくれた。
「飲み物は何がいいですか?」
「そうだな、何か冷たいの……種類があるなら、後味がすっきりしたやつを頼む」
「わかりました。私も追加で頼むので、飲みかけで良かったらどうぞ」
「助かる」
半分ほどに減った果実水のグラスを俺の方に押しやり、ティアは席を立った。
席に着いてから、俺が彼女の分も買ってくるべきではと思い至ったが、今から立ち上がるのも少々間抜けだ。
今回はティアの好意に甘えよう。
氷が浮くグラスを一気に傾け、喉を鳴らす。
わずかな甘みが口の中に広がり、水分が体の中に落ちていった。
「はー、生き返る……」
「死霊かな?」
「退治しなきゃ」
「……心温まる感想をありがとよ」
いつにもまして息の合った連携口撃に閉口する。
とばいえ、待ち合わせに遅れたのは俺だ。
愚痴を言う前に、弁解くらいはしなければなるまい。
「別に寝坊したわけじゃない。色々あったんだ」
「知ってるよ。観客席から見てたからね」
微笑を浮かべながらフライドポテトを摘まむのはクリスだった。
服装は良く見る私服で、ここ数日の貴族らしさはもう残っていない。
その様子に戦争の終わりを感じ、安堵しながらポテトを摘まむ。
しかし、それを口に放り込む前にふと手が止まった。
「…………見てた?」
「うん。ネルちゃんに都市を案内するつもりだったんだけど、面白い話が聞こえてきたから」
「…………」
そうか。
見ていたのか。
動揺を押し隠し、まだ温かいフライドポテトをゆっくりと口に押し込んでいく。
今更、顔が火照ってきた。
あのときは気分を優先して、やりたい放題やってしまった。
それが人からどう見えるかということを、あまり考えていなかったのだ。
そのとき、ネルが音もなく立ち上がった。
俺とクリスの視線を集め、コホンと咳払い。
そして――――
「処刑人を務めるのは、『黎明』のアレンだ」
「ぶふっ!?ご、ごほっ……けほ……」
役者のような大仰な仕草に普段より低い声で、ネルが唱えた。
咀嚼していたポテトの欠片が鼻の方にいってしまい、俺が咳き込んでいる間も彼女の茶番は続く。
「心置きなく誘拐犯を処刑できる」
「て、てめ、ふごっ……」
「女を痛めつけるのは趣味じゃない」
「…………」
「命だけは奪わないでやる」
「…………」
「ふっ……」
ネルがキザったらしい台詞で周囲の視線を集めているとき。
俺はテーブルに伏して震えながら、鼻の奥に詰まったポテトの欠片と格闘していた。
鼻をすすり、喉を動かし、何とかポテトの欠片をあるべき場所へ戻す。
手の甲で口元を拭って体を起こすと、昨日の意趣返しが成功して上機嫌に勝ち誇るネルと目が合った。
クリスだけではなかった。
こいつもすっかり元通りだ。
ここ数日のしおらしさは一体どこへ行ってしまったのか。
そう思ったところで、俺はひらめいた。
「ふっ……」
俺はゆっくりと立ち上がり、テーブルを挟んでネルと向かい合った。
ネルの身長はティアより少し高い程度。
俺が立ち上がれば、当然ながら視線の高さは逆転する。
不敵な笑みを浮かべる俺に、ネルは訝しげに片眉を上げた。
いつのまにやら周囲の冒険者たちの視線は俺に集まっている。
騒がしいロビーの一角が静まり返り、不思議な緊張感が辺りを満たす。
ここからは反撃の時間だ。
俺は両手を胸の前で組み、祈るような仕草でネルを見つめる。
そして――――
「お願い、どうか力を貸して!このままじゃクリスが殺されちゃう!」
「「「ぶふっ!!?」」」
俺の喉から飛び出した高い声に、周囲の冒険者たちが噴き出した。
ネルの頬は赤く染まり、綺麗なプラチナブロンドの髪がブワッと膨らむ。
効果は抜群。
俺はネルに大ダメージを与えた。
だが、まだだ。
俺のターンは、まだ終わらない。
「お願い、クリスを助けて!あたし、彼を助けるためなら何でも――――」
「い、言ってない!!あたしそんなこと言ってない!!」
再起動したネルが俺の台詞に割り込んで吠える。
その視線の先にいるのは俺でも冒険者たちでもなくクリス本人だった。
今更否定して何の意味があるのか。
そう考えたところで、俺はピンときた。
「おいおい、ネルさんよお……。お前、まさかとは思うが……」
「…………ッ」
ネルは顔を真っ赤にしたまま、視線を逸らして黙り込む。
回答拒否の構え。
しかし、それは白状しているのと何も変わらないように思う。
俺は思わず呟いた。
「ないわー……」
「うっさい!!あんたには関係ないでしょうがっ!!!」
ネルの反応で確信した。
こいつら、まだくっついていないのだ。
俺の言葉は周囲の冒険者たちの心を代弁していた。
その証拠に、再び吠える彼女に向けられる視線は生温かいものばかりだ。
クリスのために無関係の戦争に首を突っ込んだネル。
彼女がときに<回復魔法>使いとして、ときに槍使いとして、命懸けで戦場を駆け回る様子は多くの冒険者に目撃されている。
あれだけ必死で駆けずり回っておきながら、いざとなればこの言いよう。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
しかし、当のクリスは意気消沈しているかと思いきや、浮かべる微笑はいつもと変わらない。
そして、その口から出た言葉はネルを庇うものだった。
「アレン、そのくらいで」
「いいのか?いい機会だと思うが」
「いいんだよ。その先は、いつか本心から言わせてみせるから」
クリスの微笑は、ただ一人に向けられている。
それだけで、毛を逆立てて怒る少女は声も出せなくなった。
優しげな視線に貫かれたネルは押されるように一歩下がり、椅子に足を取られてそのまま腰を下ろす。
頬を赤く染め、膝上で握った震える手を見つめる彼女は恋する乙女以外の何物でもなかった。
シンと辺りが静まり返る。
囃し立てていた男たちは口を噤み、聞き耳を立てていた女たちは羨ましげに溜息を吐く。
イケメンが放つ圧倒的なオーラが周囲に満ちていた。
クリスが眩しい。
(なんか、男として色々と負けた気がする……)
元より勝てるとも思っていないが、なぜか少しだけ情けない気持ちになった。
三者三様。
俺たちの様子を見て、飲み物を買って戻って来たティアが首をかしげていた。
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