第373話 閑話:とある冒険者の物語5
B級冒険者パーティ『黎明』のリーダー、剣士のアレン。
魔術師ほどではないが、こいつの情報も酷いものだった。
未確定情報という但し書きがつくものの、敵陣に潜入して公王と公国騎士団長を暗殺し、一万を超える公国軍に追い回されて重傷を負いながらも生還。
確定情報だけでも、数百の歩兵部隊を無傷で制圧したという話だ。
その戦闘スタイルに関して詳しい情報はなかったが、おそらくは速度や身のこなしに自信のある剣士なのだろう。
ガストンとの相性は悪くない。
その大盾はあらゆる攻撃を受け止め、その大剣はあらゆるモノを斬り伏せる。
戦争都市最強の名は飾りではない。
これまでだって、全ての敵に勝ってきたのだ。
だから、俺が目の前の男を闘技場まで連れて行けるかどうか。
それが最大の難関だ。
「よう、『黎明』のアレンだな?」
「そうだが、あんたは?」
場所は冒険者ギルドのロビー。
進路に立ち塞がった俺を胡散臭いものを見るような目で観察するのは、黒髪の若い男。
剣や防具は装備していないが、古代魔道具を用いてどこからか装備品を召喚できると聞いている。
俺のカンも反応しない。
大丈夫だ。
何も問題はない。
「俺は『戦華』ってクランに所属するジャックってもんだ。一応、あんたと同じB級だ」
「へえ……?」
警戒の度合いが幾分か上がったのを感じる。
だが、この状況で話を聞いてもらうには、それに足る情報を示さなければならない。
C級やD級だったなら、つまらなそうに鼻を鳴らして素通りされたっておかしくはないのだ。
俺だったら間違いなくそうする。
「…………」
アレンはさりげなく周囲に視線を向けた。
冒険者ギルドのロビーにいる冒険者の数が極端に少ないことを訝っているのだろう。
時刻は昼前。
普段から冒険者の数は多くない時間帯とはいえ、それを差し引いても少々怪しい。
だが、これは仕方のないことだ。
今回の催しはガストンが昨夜のうちにギルドと交渉し、そのままギルドにいた冒険者たちに周知された。
催しのことを知っている者たちは、すでに観客席の最前列にかぶりついている。
もちろん観客は冒険者だけではない。
情報は戦勝に湧く都市を一晩で駆け巡り、極上の娯楽を求める市民が観客席を埋め尽くしている。
ここからではわからないが、闘技場では過去最大級の熱気が渦巻いているはずだ。
「忙しいだろうから端的に言う」
「…………?」
「そちらのお姫様を招待している。会いたければ裏に来な」
アレンから身も凍るような殺気が放たれ、危機感が背骨を貫いた。
しかし、それは一瞬で霧散する。
後に残ったのは強い疑念だ。
俺には、この男の思考が手に取るようにわかる。
(ホテルに残してきたお姫様を本当に俺たちが確保しているのか、疑ってるんだろう?)
アレンが宿泊するホテルを突きとめるのは難しくなかった。
ホテルを出て一人で都市を散策しているときも複数のメンバーに尾行させた。
だから女をホテルに残してきたことも、この男がホテルから出てここに現れるまでに掛かった時間すら把握している。
こちらの用意が良すぎて、虚偽と疑われる可能性も重々承知。
だが――――
「……いいだろう。案内しろ」
俺は賭けに勝った。
分の悪い賭けではなかった。
能力に自信がある奴ほど、自身に降りかかる危険を軽視する。
どうせ危険はないのだからと、万が一お姫様が攫われていたときのことを考えて意味もなく危険に飛び込んでしまう。
その油断が命取りになる――――といっても、本当に命まで取るつもりはない。
大勢の観衆の前で少し恥をかいてもらうだけだ。
かいた恥は、勉強代だと思ってもらおう。
俺は背を向けて歩き出す。
大人しく後ろを歩く男の背後、念のため一人張りつけて逃亡を牽制すると男はつまらなそうに小さく鼻を鳴らした。
逃げる必要がどこにある。
そんな内心が、態度から透けて見えた。
留守番を任された受付嬢が一人佇む受付を素通りし、ギルドの内部を進む。
辺境都市もきっと似たような造りだろうから、俺が何処に向かっているのかは薄々察しているだろう。
「ここだ」
俺が道を譲ると、アレンは躊躇いもせず扉を開けた。
「「「――――!!!」」」
吹き荒れる歓声。
押し寄せる熱気。
男の後に続いて闘技場に足を踏み入れた俺の背後。
扉が閉じ、錠が落ちた。
「一応聞いておくが、お姫様のくだりはハッタリか?」
「さて、何の話だったかね」
口の端を上げてみせると、アレンは呆れたような表情を見せた。
「南側!!辺境都市最強の冒険者、『黎明』のぉ…………アレン!!!」
露出多めの衣装で魔道具片手に声を張り上げる受付嬢が男の名を呼び、観衆が呼応する。
これで逃げ場はなくなった。
「またか……」
「……何だって?」
男の呟きと溜息は歓声にかき消され、俺の耳に届かなかった。
久しぶりの催しに、観衆の盛り上がりは留まるところを知らない。
満席で立ち見の客までいるのだから、興行主であるギルドにとっても良い収入になったことだろう。
冒険者ギルドとの関係を改善したい俺たちにとっては好都合だ。
俺たちのために犠牲になってくれる『黎明』には、本当に頭が上がらない。
「北側!!戦争都市最強の冒険者、『戦華』のぉ…………ガストン!!!」
先ほどの歓声よりも更に大きな歓声が闘技場を震わせる。
共に戦った冒険者はともかく、市民の間に『黎明』の名は知られていない。
余所者と地元の組み合わせなら、こうなるのは当然だった。
「試合前に、お二人から一言ずつお願いします!」
進行役の受付嬢の言葉を受けて二人の受付嬢が走り寄り、ガストンとアレンに魔道具を手渡す。
しかし、南側の受付嬢が少しもたついておりガストンが先に話し始めた。
この流れも、もちろん仕込みだ。
「試合を快く受けてくれたこと、感謝するぞ、『黎明』のアレン!辺境都市最強の力、そして公国軍を相手に振るったその剣技!この私に届くか、見せてみろ!!」
観衆の盛り上がりは最高潮に達する。
「ガストン!ガストン!」
「今日も輝いてるぞー!」
「戦争都市の力、見せてやれー!!」
アレンは、もう戦うしかないのだ。
この勝負はガストンとアレンの一騎打ちだが、怖気づいて逃げ出すようならその限りではない。
逃亡を阻止するための用意は万全。
誘拐の非道を訴えようにも、そんな事実は存在しないのだから意味がない。
むしろ怖気づいて嘘に逃げた臆病者という最悪の不名誉を得るだけだ。
しかし、アレンはこの期に及んで煮え切らない。
魔道具を握ったまま、憮然とした表情で沈黙している。
発言を待っていた観客も少しずつ焦れ始め、アレンに向けて野次が飛び始めた。
「どうした!怖気づいたか!!」
「それでも上級冒険者か!?白けさせんじゃねえぞ!!」
「そうだそうだー。戦えー、はやく戦えー…………あふっ!?」
アレンが背後の観衆を睨みつけても野次は止まらない。
しばらくして、ようやく諦めたのだろう。
大きく溜息を吐き、魔道具を口元に寄せた男は――――口を開けたまま、不自然に動きを止めた。
そして――――
(なんだ……?)
アレンの口元が歪んだ。
それを知覚した次の瞬間、俺の視界は黒一色に塗りつぶされた。
「――――」
突然の事態に、呆然と立ち竦む。
闘技場は屋外だから照明が落ちたわけではない。
突然夜が訪れたわけでもなければ、巨人が現れて闘技場に蓋をしたわけでもない。
(馬鹿な!!なんだこれは!!?)
その黒を、俺は知っている。
それは俺をB級に押し上げた自身の危機察知能力――――レアスキル<アラート>が見せる光景だ。
<アラート>が知らせる危機は使い手によって受け取り方が異なる。
ある者にとっては音、ある者にとっては匂い。
俺にとって、それは色だった。
俺にとって、黒は死の危険を示す災厄の色。
その色が今、アレンを中心に渦巻き、闘技場を飲み込もうとしていた。
「突然だが、司会者に代わって演目の変更を伝える」
戦いの前とも思えぬ穏やかな声音に、観衆が困惑する。
この期に及んで野次を飛ばす観客たちは、この場所が危険に晒されていることを全く理解していない。
いや、『戦華』の面々すらそうだ。
俺だけだ。
今の状況を正確に理解できているのは、俺だけなのだ。
しかし――――
(ダメ、だ……。もう、止められない……ッ!)
満員の観客。
煽りに煽った熱気。
今ここで中止を求めれば『戦華』の名声は地に堕ちる。
そういう状況を、俺たち自身が作り上げてしまった。
「今からここは、『黎明』に噛みついた愚か者の処刑場。処刑人を務めるのは――――」
男の手に、黒を斬り裂く青い光が顕現する。
それはまるで深い闇の中に浮かぶ偽りの希望。
魅入られたら、きっとここではないどこかへ連れ去られてしまう。
「『黎明』のアレンだ。戦争都市最強の冒険者が無様に地を這う様を、どうかゆるりと楽しんで行ってくれ」
アレンは防具を装備することすらしない。
試合開始を告げる鐘もなく、戦いはなし崩しに始まった。
いや、違う。
それは、戦いと呼べるものではなかった。
「ガストン……」
処刑。
そう表現するに相応しい光景が目の前で繰り広げられた。
ガストンには伏せているが、劣勢になったとき秘密裏に介入する用意はある。
戦闘準備をして客席に伏せたクランメンバー。
対人戦に有効な<闇魔法>を発現する魔道具。
希少だが効果は絶大な『魔封じの護符』。
しかし、それらが闘技場に渦巻く漆黒を祓う未来は――――見えない。
「もう少しくらい足掻いて見せろ。これじゃあ、せっかく来てくれた観客が退屈するだろうが」
「う、ぐ……あ……ッ」
全ての敵を斬り伏せて来た大剣は何も斬ることができず半ばから斬り飛ばされた。
全てを受け止めて来た大盾は3つに斬り分けられて足元に転がった。
漆黒に囚われて苦しむ仲間が、闘技場の舞台を無様に這う。
その姿を、俺は見ていることしかできなかった。
「そ、そこまで!そこまでっ!!」
試合終了の鐘が鳴り、受付嬢が悲鳴を上げる。
しかし、アレンは止まらない。
横たわるガストンの腹を強く蹴り上げ、その体を舞台上に転がした。
「も、もうやめてください!殺す気ですか!?」
「そのつもりだが、何か問題があるのか?」
受付嬢が絶句する。
闘技場の熱気はとうに冷め切り、会場は試合のルールを無視する無法者に対する怒りと恐怖に包まれていた。
「どうやら観客たちは、何か誤解しているようだな」
苦痛に顔を歪めるガストンを踏みつけながら、魔道具を片手にアレンは笑う。
そして、ここぞとばかりに『戦華』の非をあげつらった。
「俺は試合の依頼など受けていない。『戦華』所属の冒険者を名乗る男に、仲間を攫ったから返してほしくば従えと脅され、ここに呼び出されただけだ」
観客たちに動揺が広がる。
あの男は何を言っているのか。
なぜ冒険者ギルドは否定しないのか。
そんな声が、そこかしこで聞こえた。
試合の前なら、あるいは試合が『戦華』の勝利で終わった後なら、実績と知名度を盾に戯言と切り捨てることもできた。
だが、この状況でアレンを止める方法は存在しない。
それを感じ取ったアレンは、冒険者ギルドに楔を打ち込む。
「戦争都市冒険者ギルドに問う!まさか、企みに加担したわけではないだろうな!?」
「そ、そのような事実は、ありません……!!」
嘘だ。
冒険者ギルドには今日の手はずを全て伝えてある。
しかし、それを主張したところで何の意味もない。
アレンはそれを理解して、面白そうにくつくつと笑った。
「冒険者ギルドが誘拐犯と手を組んでいたらどうしようかと思ったが、ギルドがそんなことをするはずもなかったな。これで俺は、心置きなく犯罪者を処刑できるというわけだ」
処刑人は、煌めく剣を空に掲げた。
その足元には、力なく蹲る戦争都市最強の冒険者。
(ダメだ、やめてくれ……!)
喉が渇いて声が出ない。
足が震えて前に進めない。
そんな情けない俺に代わってに立ち上がったのは、ベルティーユだった。
「調子に乗るなっ!!」
もはやルールなど存在しない舞台にその身を躍らせたベルティーユ。
彼女が放つ渾身の<火魔法>は、いくつもの火球となってアレンを襲った。
宙を舞う火球に派手さはない。
その辺の魔法使いが使う<火魔法>と並べても多分区別はつかないだろう。
洗練された偽装は術者の練度と魔術の威力を誤認させ、回避行動を一手遅らせる。
敵を欺くことに心血を注いだ完全対人仕様の魔術は見た目に反して非常に高威力で、直撃をもらえば硬い魔獣もただでは済まない。
しかし、火球の群れがアレンを捉えることはなかった。
黒髪の剣士は全ての火球を風のように回避し、そのままベルティーユへと迫る。
だが――――
「掛かったね!」
火球を回避する細い道筋。
それもベルティーユが用意した罠に過ぎない。
敢えて正面に逃げ場を用意し、誘い出された敵を確実に討ち取るのは、極めて発動が速い必殺の二撃目。
<結界魔法>を使えても関係ない。
彼女の必殺に、<結界魔法>を差し込む隙など存在しない。
そのはずだった。
「あり、得ない……」
必殺が直撃し、爆炎が大輪の華を咲かせた後。
その中から現れたアレンは、全くの無傷だった。
<結界魔法>を使うことは知っていた。
それでも間に合わないはずだった。
しかし、現実は変わらない。
魔術師が剣士に相対するにはあまりに近い距離で、ベルティーユはアレンと向かい合った。
「女を痛めつけるのは、趣味じゃないんだがなあ……」
「――――ッ!」
覚悟を踏みにじられたベルティーユの顔が憤怒に歪む。
しかし、彼女がその怒りを言葉にすることはなかった。
「…………ぁ?」
呻くような音を残し、彼女はよろけて倒れ伏した。
剣で斬られたわけではない。
無力な俺には、彼女が何をされたのかもわからなかった。
「さて……、一度だけ言う」
気づけば、処刑人がこちらを見ている。
ガストンとベルティーユが倒れ、戦闘能力で二人に劣る俺に勝機はない。
あまりに絶望的な状況で、しかし俺のカンは確かな希望の存在を知らせていた。
「仲間を解放し、伏して詫び、金貨の山で罪を贖え。それで、命だけは奪わないでやる」
求められたのは『戦華』の名声を回復するという目的に真っ向から反する行為。
『戦華』の名を貶め、踏みにじるような要求だった。
だが、俺の心に浮かんだのは絶望でも憤怒でもなかった。
(良かった……!本当に、良かった……!)
渦巻く漆黒が薄れていく。
『戦華』を飲み込もうとしていた死が遠ざかっていく。
俺たちは誰も喪うことなく、無事に死地を乗り越えたのだ。
(ああ、そうか……)
今、ようやく理解した。
昨日、冒険者たちが俺たちに向けた視線。
そこに含まれた微かな違和感の正体。
あれは、気安さだったのだ。
上級冒険者とも呼ばれるB級への敬意。
戦争から逃げた『戦華』への反感。
それらをそのまま残しながら、なぜか近づいた冒険者たちとの距離。
彼らは戦争に勝利する過程で、絶対的な強者の存在を知ってしまったから。
決して越えられない壁を目の当たりにして、『戦華』はこちら側だと理解したから。
だからこそ、その距離感に相対的な変化が生じたのだ。
「…………」
舞台に上がりながら、観客席の最前列に陣取る冒険者たちを見やる。
昨夜、催しの告知に歓声を上げていた彼らの顔に浮かぶのは、嘲笑、侮蔑、憐憫、そして退屈。
『戦華』の敗北に驚愕する者など、一人として存在しなかった。
「申し訳、ありませんでした……。どうか……、どうかお許しください……」
数多の視線が集まる舞台上。
俺は額を地に擦り付け、無様に許しを請うた。
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