第335話 祝いの席




 現場を主軍に引き継ぎ、俺たちが戦争都市に帰還したのは昼をいくらか過ぎてから。

 冒険者ギルドに立ち寄り詳細報告は明日にしてもらうと、クリスを除く3人はホテルに直行して泥のように眠った。


 目が覚めたのは日がとっぷり暮れた後。

 寝ぼけたまま足を動かして女性陣を起こして回り、ホテルに食事を頼んだ。

 もう少し寝ていたかったが、すでに夕食時を過ぎている。

 これ以上遅くなると、食事が出てこなくなるかもしれなかった。


(腹減った……)

 

 入浴して身支度を整えた頃には、頭もすっきりして空腹感が顕著になる。

 それはティアとネルも同様のようで、ホテル内のレストランに向かう道すがら背後から可愛い音が聞こえた。


「…………ッ」


 羞恥に耐えるような気配を感じたが、背後を振り返るようなヘマはしない。

 出所がどちらであっても、ろくなことにならないからだ。


「お待ちしておりました」

 

 夕食の席はホテルの2階にある利用客専用のレストランに用意されていた。

 俺たち以外に客の姿はなく、ほかのテーブルは皿もグラスも綺麗に片付けられている。

 やはり通常の営業時間はすでに終わっているようだ。


「我儘を聞いてもらい、感謝する。料理人にも伝えてほしい」


 ウェイターと思しき年配の男性に銀貨を数枚差し出す。

 詫びを込めたチップのつもりだったが、意外なことに男性はこれを固辞した。


「私は当ホテルの支配人をしております、チャーリー・オルストンと申します」

「ああ、これは失礼を……。冒険者をしている『黎明』のアレンと申します」


 軽く頭を下げながら、さりげなく相手の姿を観察する。

 たしかに、各所で見かけたホテルの従業員より上等な服装に見えた。


 羞恥心から少しだけ顔が熱くなるが、支配人は気にしたような様子もなく丁重に俺たちを席へと案内してくれた。


「本日は当ホテルをご利用いただき、誠にありがとうございます。このたびは、都市のために勇敢に戦ってくださった『黎明』の皆様に、私共からささやかながらお礼の席を用意させていただきました」


 支配人が深々と頭を下げたので、俺は驚いて彼に尋ねた。


「さほど時間も経っていないのに、よくご存じで」

「帰還した冒険者たちが口々に語っておりますれば。我々市民も前線基地の陥落という悪夢のような噂に震え、それを払拭する朗報を心から望んでおりました」


 どうやら俺たちがベッドに沈んでいる間に酒盛りを始めた奴らがいたらしい。

 帰還の道中に馬車の中で休息を取ったのだろうが、夜通し戦い抜いた後だというのにタフなことだ。


「そうですか。それならば有難くお受けします」

「大変お疲れとは思いますが、どうか時間は気になさらず、ゆるりとご堪能ください」


 もう一度深く頭を下げると、支配人は退室した。

 それを合図に料理がテーブルに並べられ、ずらりと並んだボトルから好きなものを指定するとウェイトレスがグラスに注いでくれた。


「それじゃ、とりあえずおつかれさま。乾杯」

「「乾杯」」

 

 いつかの反省を踏まえて挨拶は短めに。

 場の雰囲気に合わせ、グラスを鳴らす代わりに小さく掲げた。

 

「良いワイン。苦みで弱り切った口の中が癒される……」


 ネルはうっとりとワインを堪能する。

 彼女が言う苦みというのは、毒々しい青色をしたフロル製の魔力回復薬のことだろう。

 

 フロル製の各種ポーションは取り違えが発生しないように、それぞれ異なる色と味が付けられている。

 若干透明度がある赤色で、すっきりとした甘さがある傷薬兼体力回復薬。

 無色透明無味無臭、水にしか見えない状態異常回復薬。

 そして昨夜の戦いでネルがお世話になった魔力回復薬は、濁った青色で苦みがあるという。


 俺自身は魔力回復用を服用したことがないので、味付けについてはネルから聞かされて初めて知った。


「そんなにか」

「飲んでみればわかると思うけど?」

「飲まねえよ……。他の種類と違って数は用意できないみたいだし」

「でしょうね。効果が低い市販品でもかなり高価だし」


 魔力回復薬は俺が持っていても仕方ないので、最低限の数だけ残して全てティアとネルに分配してある。

 ポーション瓶をポーチにしまうときは、二人ともそれぞれの理由で渋い顔をしていたものだ。

 

「でも、そのおかげでしっかりと活躍できただろう?なあ、聖女様?」

「治療した人に祈られてましたよね、ネル」


 宗教が十分に根付いていない帝国に聖女などというものは存在しない。

 だから帝国人が聖女と聞いて思い浮かべるのは、物語の中に出てくるそれだ。


 改めて、目の前の少女を観察する。

 

 緩やかなウェーブを描くプラチナブロンドの髪。

 透き通るような白い肌。

 鈴を転がすような澄んだ声音。

 

 綺麗な白系統のローブを着せ、罵声を封印し、微笑を貼りつければ聖女様の完成だ。

 この少女が自分のために力を使って傷を癒してくれたなら、感謝の祈りを捧げる者がいてもおかしくない。


 俺とティアによるからかいに、ネルは鼻を鳴らした。


「そういうあんたも、ずいぶんと愉快な呼び名をもらったようだけど。ねえ、『お姫様の下僕』さん?」

「え、下僕……?」


 ネルの鋭いカウンターが俺の胸に突き刺さる。

 好意的でない視線には気づいていたが、そんな陰口を叩かれていたとは知らなかった。


(うーん……。まあ、今回は仕方ないか……)


 昨夜の戦い、俺は本当に何もしていなかった。

 別にクリスと一緒に前線に出ても良かったのだが、撤退が容易でない戦場で魔力が枯渇したティアを放置などできないし、俺とティアの火力差を考えても大人しく魔力タンクをしていた方が戦果拡張に貢献できたはずだ。

 しかし、その姿を傍から見れば、たしかにお姫様の下僕と称するほかない。


 俺が何をしているか明かせない以上、その扱いを甘受するほかなかった。


「そんな、お姫様だなんて……」


 一方、ティアはいつになく上機嫌だった。

 少女はみんなお姫様になりたいという。

 そこに女王様的なニュアンスを含んでいたとしても、お姫様と呼ばれて悪い気はしないのだろう。


 俺をへこませたネルは上機嫌にワインを呷った。

 余程気に入ったのか、ウェイトレスにお代わりを頼んでいる。


「はあ、美味しい。ねえ、一杯――――」


 飲んでみないか、とでも続けるつもりだったのだろう。

 ネルの視線の先には誰もいなかった。


 普段ならクリスがいるはずの空席を見つめ、ネルの頬が急激に赤く染まる。


「おやおや、頬が赤いなあ……?酒に強いお前にしては、珍しいじゃないか」

「なっ、あっ……!?」


 鋭く睨みつける視線は長続きしない。


 ティアはにこにこと、俺はにやにやと。

 二人分の視線を浴びたネルは、やがて羞恥に震えながら顔を伏せた。


 ネルの反応を楽しんだ俺は、トドメとばかりに追撃を放つ。


「安心しろ、お前のは叶えてやった。クリスが戻ってきたら、好きなだけ甘えると良い」

「はいはい!ありがとうございましたっ!!」


 自棄になったネルはワインのお代わりを一気に飲み干し、再度お代わりを要求する。

 

 そんなネルを横目に、俺とティアは顔を見合わせて笑った。

  


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