第274話 閑話:とある少女の物語38

side:フィーネ・ハーニッシュ



 嫉妬という感情が、これほど醜く恐ろしいものだと知ったのは最近のことだった。


 冒険者ギルドという女が多い職場。

 それも人気商売となれば、同僚との間に嫉妬が渦巻くのは仕方のないことだと理解はしていた。

 実のところ、ギルドの受付嬢という仕事をする彼女たちは稼ぐ金額自体にあまり興味がない。

 彼女たちが求めるのは冒険者ギルドの受付嬢をしていたという実績で、延いては冒険者ギルドで受付嬢をやれるほど器量が良いという評判だ。

 言ってみれば箔をつけるためだけに彼女たちはここにいるのだ。


 しかし、それだけでは満足できない人もいる。

 より強欲な彼女たちが求めるのは冒険者ギルドの受付嬢で一番人気だったという名誉。

 一部の受付嬢たちは同世代で一人しか得られないそれを得るために暗闘する。

 池を泳ぐ鳥たちが水上で見せる優雅な姿と裏腹に水面下で必死に足を動かすように、受付嬢たちはカウンターから外へ向けて笑顔を振りまき、カウンターの下では互いの足を蹴り合っている。


 そしてそんな彼女たちにとって私は疎ましい存在だった。

 多くの少女たちが15歳頃から2~3年間の勤務を希望するのに対して、私は何年も前からギルドで働いていて15歳のときには固定客も付いていた。

 彼女たちに言わせれば、これはズルであるらしい。

 自分の食い扶持を稼ぐために必死に働いているだけなのに、理不尽な話だ。


 私は先輩たちに可愛がられていたため、最初は表立って手出しする人は少なかった。

 しかし、先輩たちが上から順に抜けて行って、私が見習いの頃からいる先輩がイルメラ先輩を含めてほんの数人になってからは露骨に敵意を見せ始めた。

 少しでも敵意を軽減するために極力売上争いに参加するのは避けていたけど、アレンと再会してからはそれも難しくなった。

 アレンは本当に良く稼ぐのだ。

 都市に戻ってからわずか半年で稼いだ金額は金貨にして40枚に届くほど。

 しかもこれはアレン一人の稼ぎであって、パーティメンバー分を含めればその金額はさらに跳ね上がる。

 大型案件を造作もなく処理し、領主からの指名依頼の実績があり、騎士団の覚えも良い。

 そんな冒険者パーティを半ば独占的に担当していれば、上手く立ち回るにも限度がある。


 嫉妬は留まるところを知らず、ついに誰かがを使った。

 冒険者を何人か使って、私のところに並ぶ冒険者に私の評判を下げるためのウソを吹き込み始めたのだ。

 それでも悪意のある誰かの意図に反して、多くの人はそれを信じなかった。

 出所不明の噂より、付き合いの長い私のことを信じてくれた。

 それは嫉妬に身を削られる日々の中で、ほんの少し心が温まる出来事だった。


 しかし、それも長くは続かなかった。

 冒険者たちがウソを吹き込むに留まらず、嫌がらせを始めたのだ。

 彼らのウソを信じなかった冒険者たちも次第に他の受付嬢の窓口を利用するようになっていった。


 なぜそこまで、と思った。

 あるとき理由を尋ねて、その答えに戦慄した。


『稼ぎがなくなれば、身寄りがないフィーネちゃんは娼館に身売りするしかないよね?』


 粘りつくような声は、今も私の脳裏に焼き付いている。

 

 以来、私の受付を利用する人は減り続け、今ではアレンのほかに嫌がらせを苦にしないC級冒険者パーティが2つだけになった。

 私の窓口は空いているのに隣の列に並ぶ冒険者ばかり。

 朝や夕方の忙しい時間でさえ、それは変わらない。

 掲示板の貼り換えしか仕事がない日もあった。

 以前は私の窓口を利用していた人と目が合って、申し訳なさそうに逸らされたときは少し胸が痛かった。


 努めて気にしないようにしても物事には限度がある。


 心が限界を迎えつつあった。


 何か些細なことをきっかけに、壊れてしまうような気がした。




 あれは3日ほど前のことだった。


 最近は私の客を減らすだけに飽き足らず、用事もないのに私の窓口で居座って話し続ける冒険者の相手をすることが仕事になっていた。

 その日もロビーで軽薄に笑う冒険者の一団から、一人の男がこちらに向かってきた。

 

 今日もまた、苦痛の時間が始まる。


 そう思って、心を凍らせたそのとき――――


『よう、戻ったぞ』


 暢気で優しい声が私の心に沁み込んだ。

 アレンが帰ってきたのだ。

 私は心の底から安堵した。

 それはもう涙が出てきそうになるほどに。


 その安堵は、目の前に積み上げられたとんでもない量の魔石によって呆れへと変わった。

 指名依頼の報酬と合わせて、たった一度の遠征でC級冒険者何人分稼ぐつもりだろうか。


 そんな他愛無い、かけがえのない時間に舌打ちが混じった。


 私は現実に引き戻され、そしてこの状況がアレンに知られることを怖れた。

 これを知れば、アレンは事態を解決しようと動くだろう。

 それもおそらくは乱暴な方法によって。

 その結果がアレンにとって良いものになるとは、どうしても思えなかった。


 恐るおそるアレンの表情を窺う。

 しかし、アレンは気にも留めていないようだ。

 彼にとっては、この程度の嫉妬なんて慣れたものなのかもしれない。


 彼の心の強さを羨ましく思った。


 私は、そこまで心を強く持つことはできなかった。





 ◇ ◇ ◇




 

「よう、ラウラは空いてるか…………どうした?なんだか元気ないな?」


 アレンがやってきたのは朝早くから続いた苦痛の時間が終わった直後、意気消沈していたときだった。

 彼は忙しそうにしていたけれど、私の元気がないことに気づいてくれた。

 

 彼と話している間は心が温かくなる。

 

「あー……、今は色々と立て込んでてな。何日かしたら誘いに来るから、飯でも食いに行こうぜ。この前相談した件のお礼も兼ねてな」


 申し訳なさそうに言い残し、2階へと向かう彼を見送る。


 そんな些細な幸せすら、簡単に消えてしまう。


「よう、ラウラは空いてるか?」


 アレンと同じセリフを吐くのはアレンと似ても似つかない軽薄な男。

 

「ただいま、他の冒険者の方とお会いになっております。予約をされますか?」

「かー、つれないね!あいつに見せてた優しい笑顔はどこに行っちゃったの?」


 毎日のようにやってくる男に愛想笑いを向けることすら難しくなってから、ずいぶん経ったように思う。

 先ほどまでそうしていたように、表情を凍らせて苦痛に耐える。


 聞くに堪えない戯言を聞き流し、しばらく経ったそのとき――――


「――――ッ!」

「ああ、惜しい」


 邪な感情を感じ取り、胸に伸びる手を打ち払った。

 男を睨みつけると下品な笑い声をあげながら去って行く。


「…………」


 隣の窓口で仕事をする同僚も、同僚と会話する冒険者も、ロビーにいる冒険者の一部も。

 男の行動を見ていて、それを咎める者はいない。


 私は孤立無援なのだと改めて思い知らされる。


 今日の業務が終了する時間まで、私は誰もやってこない窓口で立ち続けた。






「はあ……」


 今日は早番だった。

 極度の緊張で身も心も疲れ切った私は、休息を求めてベッドで横になる。

 まだ日は高いけれど、服を着替える以上のことをする気にはなれなかった。


 うつ伏せになって何をするでもなく壁を眺めていると、視界が歪み、ほろりと涙が零れる。


 アレンを助けたことを後悔する気持ちは欠片もない。

 もし時間が巻き戻っても、私はアレンに割りの良い依頼を流すだろう。


 たとえ、その後に待つ地獄の日々を知っていたとしても。


「…………ッ」

  

 不意に男が伸ばした手が脳裏によみがえり、両腕で自分の胸を庇う。

 腕に不快な感触が来ることはなく、手に触れるのはアレンから贈られたネグリジェの柔らかな生地だけだ。

 これを着ていると、アレンに守られているような気持ちになる。

 

(アレン、がっしりしてたな……)

 

 出会った頃は私より背が低かったのに、やはり男と女では体のつくりが違うらしい。

 目を閉じて、いつか両腕で抱きかかえられたときのことを思い出しながら自分を抱き締める。


(いっそ、アレンに泣きついちゃおうか……)


 そんな短絡的な考えが頭を過るのは、一体何度目のことか。


 私はこんなに苦しんでいる。

 抱きしめてほしい。

 優しく慰めてほしい。

 

 そして――――


「…………」


 そんなこと、現実にはできないとわかっているけれど。


 妄想の中ならば、素直に彼を求めることができた。





 ◇ ◇ ◇





 一時の安らぎを得て眠りに就いても、また朝はやってくる。


「そろそろ、支度しないと……」


 どうすれば、この地獄から抜け出すことができるのか。

 解決の糸口はどこにも見つからない。


 今日もまた、私は重い体を引きずって、苦痛が待ち受ける職場へと足を動かした。



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