第一章

第50話 お金がない1




「俺は、どうすればいい…………」


 フロルと出会った居間のソファーに腰掛け、誰に向けたわけでもない独り言をこぼす。


 昨日は素晴らしい一日だった。

 拠点を持ち、装備を新調し、知己との再会を果たし、明日に希望を持つことができた。


 そのときの心境を今のそれと比べれば、まさに天国と地獄だった。


 俺は早速今日から狩りに出るつもりだった。

 日の出とともに起床してフロルの作ってくれた料理を平らげ、フロルに「行ってきます。」とにこやかに告げて玄関から出て行き――――しかし、すぐに無表情で戻ってくることになった。


 俺の懊悩は目の前に広がっている1枚の紙に起因する。

 郵便受けに入っていた一枚の紙きれで、人はここまで絶望できるのか。


 何かの間違いではないかと、俺はもう一度その紙に目を走らせる。

 綺麗な封筒に入れられた上質な紙には、読みやすい大きな字で次のよう記されていた。




『地税 納税通知書


 南東区域10番地5号


 税額(5年分)300万デル也


 12月末日まで、政庁1階窓口で納入されたい。


 なお、地税は12月1日の零時に上記の土地を所有する者に課税される。


 期日までに納入がない場合、土地家屋を没収する。


                    以上』




 誤解しようのない簡潔な文章。

 住所はこの屋敷の住所で間違いない。

 そして今日の日付は12月1日だ。


 つまり、俺は月末まで金貨3枚を用意しなければ、この屋敷を没収されることになったのだ。


 何度読み返しても内容は変わらない。

 無慈悲な手紙に新たな解釈を見出すことを諦めた俺は、のけぞるようにソファーによりかかり、天井を見上げてぼそっと呟いた。


「金が、ない……」






 フロルが淹れてくれたお茶をすすって、一息ついた。


 フロルは出かけた主人が5分と経たずに戻ってきても不思議がることもなく、早く帰ってきてくれたことが嬉しいと言わんばかりの花が咲くような笑顔で迎えてくれた。

 今は俺の隣に座って俺の手を握り、魔力の吸収に務めている。

 そんなフロルに、「ごめん。税金が払えないからお別れだ。」などと、どうして言えるだろうか。

 きっとこの子は大泣きするだろう。

 その悲痛さは、昨日俺が出かけようとしたときの比ではないはずだ。


 ずきりと胸が痛む。

 そのときの様子を想像するだけでこれなのだから、本当に泣かれることになれば罪悪感で心臓が止まってしまうかもしれない。

 もっとも仮に心臓が止まらなくても、俺の心が再起不能に陥るのは確定的だ。

 金欠が原因でこの子とお別れなんていくらなんでも無様すぎる。

 傷だらけの心が耐えられそうにない。


 お茶を一気に飲み干すと、渋みが口の中に広がる。

 緑茶に近いが緑茶よりも苦みのあるお茶は、肌寒い季節でも体中に暖かさで満たしてくれる。

 動揺も少しずつ落ち着いてきた。


(思えば、仲介屋の丸い店主が契約を急いだのは、これが原因か……)


 5年に一度の税金の支払い時期が迫っていたから、店主は安値でもなんでも所有権を手放したかった。

 D級冒険者が死霊屋敷に挑んで勝てるわけもなく、買い戻してほしいと泣きついてきたところで買い戻せば、D級冒険者が税金だけ被ってくれるというわけだ。


 正直に言えば、かなり悔しい。

 店を訪ねるまで家を買うという発想がなかったから検討不足だったが、それでも固定資産税か類似の税制の存在くらい想定しておくべきだった。

 きっと丸い店主は俺に交渉で負けたように装いつつも、内心では「馬鹿め!」と笑っていたに違いない。


 ただ実際のところ、フロルのことまで含めて考えると300万デルの値上がりも理不尽な値段ではない。

 むしろ、330万デルでこれだけの買い物ができたことを喜ぶべきだろう。

 税金さえ払ってしまえば領主がこの屋敷の所有権を保証してくれる。

 丸い店主がこの屋敷を返せと言ってくることもないはずだ。


 どうすればいいか。

 そんなの決まっている。


 冒険者として金を稼げばいいのだ。


 隣で手を握っていたフロルの頭を撫で、俺は決意を固めた。


「やってやる。英雄になるんだ、金貨3枚くらい稼いでみせるさ」


 そう言って、俺は今度こそ、屋敷をあとにした。





 ◇ ◇ ◇





「ということで、手っ取り早く金を稼げるおすすめの依頼を頼む」


 場所は冒険者ギルドの受付窓口。

 すっかり日が高くなってしまったため、すでに冒険者の数は少なく混雑はない。

 ただ、壁際で俺と同じくらいの歳の冒険者らしき少年が、これまた俺と同じくらいの歳の冒険者らしき少女を誘っているようで、少年の言葉がこちらまで聞こえてくる。

 相手にされていないのに諦めずにナンパを続ける少年を横目に受付まで進み、現在の窮状を脱するべく見知った顔に声をかけたのだったが――――


「こんにちは、当ギルドのご利用は初めてですか?依頼はあちらの掲示板からお好きなものを選んで、依頼番号をこちらまでお伝えください」

「………………」


 作り笑顔で通常対応をされてしまった。


 そうだった。

 フィーネに事情を説明するのを完全に失念していた。


「あの、フィーネさん……?」

「あら、私の名前をご存知でしたか。当ギルドのご利用は昨日が初めてのアレンさん?」


 ずいぶんと怒っていらっしゃる。

 昨日のラウラは「私は怒ってるよ!」と全力でアピールしてきたから弁解のチャンスがあったが、今日のフィーネは「私は怒ってません。」とアピールしつつも実際は怒っているパターンのようだ。

 こういう対応をされると、謝る側としても非常にやりづらい。


「なあ、フィーネ、少し時間をくれないか?」

「あら、ナンパですか?勤務時間中なのに困っちゃいますねー」

「ぐっ……」


 ダメだ、これは何を言ってもおもちゃにされてしまう。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 今はなんとしてもフィーネに機嫌を直してもらわなければならないのだ。


 たしかに、依頼を受けるだけなら掲示板から自分で見繕えばいい。

 掲示板にはE級冒険者からC級冒険者までが受注できる依頼が掲示されており、常設の素材採取から臨時の魔獣討伐まで、多種多様な依頼から自分の力量に見合ったものを選ぶことができるから、通常なら困ることはない。


 それでも、今はダメなのだ。

 掲示板に出ているような依頼では1か月で金貨3枚もの大金を稼ぐことはできない。

 なにせ、この冒険者ギルドに通いつめていたころにフィーネ本人から聞いた話によると、ギルドでは美味しい依頼は掲示板に出さずに受付嬢が手元にとっておき、それらの依頼はギルドへの貢献度の高い冒険者に優先的に紹介される――――そういう不正が横行しているらしいのだ。


 そして、この制度を悪用して自分が気に入った冒険者においしい依頼を紹介する受付嬢も存在しており、これはある程度ギルドから黙認されている。

 これらのことは公然の秘密であるらしく、冒険者側が好みの受付嬢がいる窓口を利用することと同様に、受付嬢側から冒険者に好意を示す手段としても使われているらしい。

 言わば、おいしい依頼票は贈り物の代わりというわけだ。


 俺がこの話を聞いた時、こんな職権濫用がまかり通っていることを不思議に思ったものだが、これにはやはり相応の理由があった。

 ここからは一般には知られていないことだが、これらの『秘密』を逆手にとって、ギルドへの貢献度が低いあるいは伸び悩んでいる冒険者に、見目麗しい受付嬢から時々おいしい依頼を紹介させ、「この子はもしかして俺のことを……?」と誤解させることでモチベーションの向上を図るというやらせが行われているのだ。

 なんとも夢のない話である。

 ちなみに一般には知られていない話をなぜ俺が知っているのかというと、俺の目の前にいる受付嬢見習い(当時)がうっかり口をすべらせたからだ。

 あの日、フィーネの頭に落ちた拳骨は、それはもう見ているだけで頭がジンジンと痛みそうなほど強烈なものだった。

 なお、当然のことだが俺に対する口止めも速やかに行われた。


 それはさておき。

 現状、とっておきの依頼を出してくれそうなのは冒険者見習い時代にいろいろと世話になったフィーネだけだ。

 彼女以外の受付嬢は顔も名前も知らないのだから脈なんてあるわけない。

 というわけで、俺はなんとかしてフィーネのご機嫌を取らなければならないのだ。


「あ、そういえば、西通りのレストランで新しいランチメニューが始まったんですけど、ご存知でしたか?なんでも、ランチなのに1万デルもするそうなんですが、先輩がかっこいい冒険者の方に連れて行ってもらったって自慢してたんですよー。いいなー、誰か連れて行ってくれないかなー?」


 1万デル――――つまり、昼飯に諭吉をだせとフィーネ様はおっしゃっている。

 一見ひどい要求だが、いつ終わるとも知れないご機嫌伺いのためのお百度参りよりは良心的だ。

 あんまり時間をかけて、受付嬢に絡んでいる質の悪い奴だと思われては、ギルドの奥から怖いおっさんが出てきて奥に引きずり込まれかねないし。

 金がないのに金がかかる要求をされるのは厳しいが、先行投資だと思って諦めるか。


「わかった。じゃあ、そのランチをご馳走するよ」


 俺は白旗を振ってフィーネに降参の意を示す。

 しかし――――


「え?それで誘ってるつもりなんですか?それじゃあ、私が連れてってくださいってお願いしてるみたいじゃないですか」

「…………」


 白旗を振るだけではフィーネ様にはご満足いただけないらしい。

 誘うならもっとちゃんと誘えと。

 暇なのか、いつのまにか他の受付やその奥からこちらを窺っているお姉さま方の前で、ナンパしろと。


 俺はナンパなんて前世でもやったことがないから、こんなときにどんな言葉を選べばいいかもわからない。

 顔が引きつるのを止められないが、ここで言い返せば二度とチャンスは来ないかもしれない。

 すでに退路は断たれているのだ。

 あとは前に進むしかないと覚悟を決める。


「あなたのことをもっと知りたいんです、フィーネさん。どうか、あなたの時間を少しだけ俺に分けてくれませんか?」

「うーん…………。まあ、勘弁してあげる。私の優しさに感謝してよね」

「ありがとうございます、お優しいフィーネ様……」


 ひどい。

 自分でも不格好な誘いだとは思うが、あの顔は本心から微妙だと思っている顔だった。


「お昼休憩まであと1時間くらいだから、その辺で暇をつぶしてて」


 俺を散々にいたぶって満足したのか、受付の奥に引っ込んでいくフィーネを見送って、俺はとぼとぼとギルドの正面出入口へと歩いて行く。

 来るときに見かけた少年がまだナンパを続けていたが、フィーネをナンパした今となっては彼を見る目も変わってくる。

 挫けずに次々と誘いの言葉をかける彼はなんと勇敢なのだろうか。

 誘われる側の少女はそろそろイライラが限界のようだが、そこは見なかったことにしておこう。

 言葉だけで誘っているうちは外野が邪魔する理由もない。


 たとえば、そう――――


「いいだろ、俺たちと遊ぼうぜ!」

「や、やめてください。友達を待っているだけなんです」

「そりゃあ丁度いい!こっちは3人いるから、1人か2人増えても大丈夫だぜー。もっと多くてもいいけどな!」


(こんな感じに、力ずくだったり威圧的だったりするならともか……く…………)


 ギルドを出て右手から声が聞こえたのでそちらを見やると、ギルドの建物に追い詰めるような形で3人の男が少女を囲んでいた。

 少女の方は白いローブを着ておりフードを被っているから顔が見えないが、背格好や声からして俺と同じくらいの歳だろう。

 そして首に掛けられたプレートを見るに、どうやら男たちだけでなく少女も冒険者であるらしい。

 少女が冒険者ではなく一般市民だったらすぐに衛士が飛んでくるのだろうが、これが冒険者同士の争いとなると衛士も仕事をしない場合が多い。

 喧嘩をしていても、殺し合いにならなければ好きにしろと言わんばかりの対応だ。


 しかし、これは衛士が悪いのではなく、ギルドと領主の話し合いの結果としてそうなっていると聞いたことがある。

 もともと冒険者ギルドは政治的な圧力を嫌う傾向があり、領主側も非常時に備えて冒険者ギルドと良好な関係を保っておきたいという思惑があるから、冒険者同士の諍いはかギルドで裁定すればいいというスタンスだ。


 だが、問題はない。

 俺は何を隠そうD級冒険者である。


(懐かしいな。小さい頃も、こうやって困ってる女の子を助けて回ったっけ……)


 かわいい女の子とのフラグ立てに奔走した幼い頃を思い出す。

 最終的に20人以上の女の子を助けたはずだが、誰一人として顔も名前も思い出せない。

 俺の記憶力の問題だけではなく、12歳から4年間の記憶が強烈すぎたのだ。


 それに、終わったことは仕方がない。

 フラグも今からまた立てていけばいい。

 ちょうど相手は冒険者の少女だから、これをきっかけに一緒にパーティを組むなんて流れになれば最高だ。

 ソロでもそれなりに戦えるだけの力は身に付いたが、いつまでも一人では寂しいものがあるし、ソロでの活動は限界もある。


(おっと、こんなこと考えてる場合じゃない。早く助けないと……いや、まてよ?)


 早く助けてあげようと現場に近づいていた足が止まる。


(あの女の子、本当に嫌がってるんだろうか?)


 『嫌よ嫌よも好きのうち』と言いながら本当に嫌がっている女に迫るアホな男もいると言えばいる。

 しかし、『嫌だ』とか『どうしようかな』とか言いながら、内心は『もっと誘え』と思っているひどい女も実際に存在しているのだ。


 今頃その女は、銀貨1枚の高級ランチに誘われたと受付の奥で自慢しているに違いない。


「ほら、こっちこいよ!いいところに連れてってやるぜ」

「ぎゃははは!一緒に楽しいことしようぜ!」

「あの、や、やめてください……」


 俺が躊躇しているうちに男たちは少女の腕や肩をつかみ、強引にその場から連れて行こうとし始めた。

 流石にこれはダメな方だろうか。

 確信は持てないが、少女が望まずに男たちに連れていかれた場合、後味の悪いことになるのは間違いない。


 心は少女を助ける方向に傾き、俺はチンピラに向けて飛び掛かった。


「その汚ねえ手を離しやがれ!!」

「ブヘッ!」

「あっ……」


 少女が本当に嫌がっていると確信した俺は少女の肩をつかんでいた男の背に先制の飛び蹴りを食らわせ、その衝撃でよろけた少女を抱き寄せた。


「てめえ、なにしやがる!」

「見ねえガキだな。英雄ごっこは相手を見てやらねえと怪我すんぞ?」


 英雄ごっこか。

 言い得て妙だ。


「忠告ありがとさん。でも、ちゃんと相手見てやってるから大丈夫だ」

「こ、このクソガキがあ!ぶっ殺してやる!」


 俺の飛び蹴りで地面とキスしていた男も立ち上がり、3対1。


(さて、どうしようか)


 相手の男たちは剣で武装しているが得物は抜かない。

 野次馬が集まり始めているし衛士もちらちらと様子を窺っているから、彼らが介入してこない程度に収めるという理性は向こうにも残っているようだ。


「仕方ねえな。いっちょ俺様が世の中の厳しさを教えてやるぜ」

「あーあ、あのガキもう冒険者は続けらんねぇな」

「兄貴は<身体強化>のスキルがあるんだぜ!せいぜい教育してもらいな!」


 兄貴とやらのスキルを聞いて、俺の表情に驚愕が浮かんだのを見て、取り巻きたちがさらにはやし立てる。


「ぎゃははは!今頃びびっても遅いぜー!」

「両手両足折るくらいやってくださいよ、兄貴!でないと俺の気がすまねぇ!」


 戦闘前に兄貴とやらのスキルを教えてくれたことに驚いたのだが、なにやら腹が立つ勘違いをされている。

 しかも、3人いるにもかかわらず1対1で戦ってくれるという。

 俺はどれだけ舐められているのだろうか。


 フィーネに虐められたことで鬱憤が溜まっているところにこの扱い。

 これは、ちょっと憂さ晴らしに付き合ってもらわねばなるまい。


「………………」

「ああ、ごめん。すぐ終わるからちょっと下がってて」


 少女を抱き寄せたままだったことを思い出し、少女から手を離して後ろに下げる。

 少女に触れているときになんだか違和感があった気がしたが、今は目の前の兄貴とやらを叩きのめすのが先決だ。

 新調した防具がまだ体に馴染んでいないが、本番前の練習としてはちょうどいいだろう。


「次にかっこつけるときは、自分より格下を選ぶんだな……。ハンデだ、先手はくれてやる。どこからでもかかってきな!」


 兄貴とやらの立ち姿や装備から、彼が熟練の冒険者だとはとても思えない。

 というか、こんな時間から道端で少女にちょっかいをかけているようなやつが、まともに稼げる冒険者なわけもない。

 さっさと片付けてフラグを立てる仕事に戻ろう。


「それじゃ、ありがたく」


 言い終わるや否や、<強化魔法>の強度を引き上げた俺はそのまま一気に男の前に踏み込んで鳩尾に拳を叩きこんだ。

 水平方向に吹っ飛んだ兄貴は、飛び蹴りを見舞った男を巻き込んで地面に転がる。

 あれでも冒険者だし、<身体強化>があるなら死にはしないだろう。


 一撃でのびてしまった兄貴と再び地面にキスすることになった憐れな男。

 最後に一人取り残された男は目の前の光景が信じられないといった表情で呆けている。


「おい」

「ひっ!」


 そんなに怖がらなくてもいいだろうに。


「転がってる二人を連れてさっさと消えな。それと、『次からは、かっこつけるときは格下を選ぶように』兄貴とやらに伝えとけ」


 残った男は恐怖に表情を歪めながらも転がされた二人の下に駆け寄った。

 俺はそれを確認すると、はやし立てる野次馬に手を上げて勝利をアピールしながら、ギルドの近くで立っている少女のところに歩み寄る。


「待たせたな」

「………………」

「……おーい?」


 正面から向かい合うと、白いローブから綺麗な顔と深い緑色の瞳がのぞく。

 しかし、その瞳はどうみても俺を捉えているにもかかわらず、俺の言葉に反応する様子がない。


「おい、大丈夫か?」


 俺が不安になって少女に触れようとした、そのとき――――




「ティアに、さわるなぁっ!!!」




 声のした方へ振り向くと、靴底が目の前に迫っていた。



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