第19話 穏やかな村1
俺の運命を大きく変えてしまった日から2日が経った。
俺はまだ、草原を東に向かって歩き続けている。
時間の経過とともに心は落ち着きを取り戻した――――と言えば強がりだろうが、それでもいくらかマシにはなってきた。
ただ、それは状況が好転したという意味ではない。
むしろ俺の心の中には新たな不安の種が巣食っており、それは時間の経過とともに少しずつ俺の心を蝕んでいた。
(そろそろ村が見えてきてもいいはずなんだが……)
迷った、かもしれない。
記憶の中の地図によれば、都市の北の森から流れ出る川に沿って東に向かうと村にたどり着けるはず。
しかし、一向に村が見えてこないのだ。
(地図の川がこの川じゃない、とか……?)
道標である川を間違えているというのは、なかなか恐ろしいがありえない話ではない。
その場合はこのまま誰にも会わずに海まで行ってしまうことになるのだろうか。
それまで食糧が持つかどうかは甚だ疑問だが。
そう、俺の心に巣食う不安の正体とはほかでもない。
食糧不足である。
食糧問題などあの日の懊悩に比べればなんと小さい悩みなのか。
そう思う気持ちがないではないが、人間は食べ物がなければ簡単に死んでしまう。
周囲は見渡す限り草原で周囲には川を除けば草ばかり。
このままでは奴隷商に捕まって奴隷になるまでもなく人生が終了してしまいかねない。
(穀物のスティックがあと3本……1食1本でも明日までか)
奪った食料をやけ食いで浪費したのは今となっては失敗だった。
軽くなった食糧袋の口を開けて中身を確認すると、黄色の箱に入ったカロリーの友達を固くまずくしたようなものが3本だけ。
これは冒険者の携帯食料として広く流通しているらしいのだが、味はあんまりよろしくない。
本来はお好みでジャムを付けるのだから、そのままかじっておいしいはずもなかった。
歩きながらスティックを腹に押し込み、食べ終わった後もひたすら歩く。
遠くを見ても川以外は見渡す限り似たような景色が広がっていた。
「…………」
不安に駆られ何度も進路を変えたくなったが、その度に首を振って前を向く。
今この川を見失っては自分の位置が全くわからなくなる。
川以外の目印を知らない俺は、記憶の中の知識を頼りに川沿いを行くしかなかった。
さらに1日が経過した。
(流石におかしい……。なんでだ?どこで間違えた?)
先ほど食べた分で食糧はなくなってしまった。
川沿いを歩いているから水には困らないが、食糧なしで行動できるのはあと1日が限度だろう。
生きて救助を待つだけならともかく俺は自力で村にたどり着かなければならないのだから、体力がなくなってはおしまいだ。
(いざとなったら、自力で獣を狩るしかないな……)
逃げる獣を狩ることは想定していなかったが、まあなんとかなるだろう。
獣が見つかりさえすれば。
さらに、1日が経過した。
(やばい、やばいやばい……。餓死は流石にないだろ。なにか、なにか食べるもの……)
贅沢を言うつもりはない。
もう魔獣の肉でも構わないのだが、視界の中で動くものは遠くに鳥が見えるくらいのもの。
川に魚がいないかと思って川底を見つめてみたが、たまにザリガニかヤドカリのような何かを見かけるだけだった。
あれは本当に最後の手段だ。
(そろそろ昼か。ちょっと休憩するか…)
疲労が溜まった体を休めるため、手ごろな岩に腰を下ろす。
日差しがぽかぽかと気持ちいい。
ついつい眠ってしまいそうになるが、今眠ってしまうわけにはいかない。
(あれ?やば……なんだか意識が……)
そんな思いとは裏腹に、俺の意識は水の底に沈むように――――
◇ ◇ ◇
「あ、起きそう」
知らない誰かの声が聞こえて俺は飛び起き――――ようとして足がもつれさせ、ベッドから転げ落ちた。
「…………」
「…………なにしてんの?あんた」
何がしたかったのだろうか。
俺にもわからない。
最近寝起きにいい思い出がないため過剰反応してしまったのだが、俺の体はベッドから跳ね起きることもできないほどに疲労困憊だったという事実が判明しただけだった。
「キミが俺を助けてくれたのか?」
目の前の少女の質問は華麗にスルーして、俺は自然な流れで話題の転換を図る。
歳はおそらく俺と同じくらい。
明るい茶色の髪を頭の後ろでまとめた少女の、くりっとした黒い瞳で俺を見つめる。
先ほどの俺の奇行のせいだろう、その視線は興味よりも警戒の色が強くなってしまったが、それでも俺を気遣ったのか少女は俺の問いかけに対して答えてくれた。
「あんたを助けたのは私じゃ――――」
ぐぅ~~~~~~。
「…………」
「…………おなかすいてるの?あんた」
「…………うん」
もう、恥ずかしくて泣きそうだ。
俺が寝かされていた部屋は簡素な休憩室だった。
どこかで見たような造りの木製の扉を内側に開くと、廊下の窓から外の様子を伺うことができた。
外はもう薄暗くなっているが、木造らしい小さな家がまばらに点在している。
「ここは村か」
「そうよ。悪かったわね、小さな村で」
初対面からわずかな時間で少女の好感度が下がりに下がり、地面にめり込んでいる。
俺がやったことを思えば致し方ない。
それでも食事は出してくれるあたり、いい子なのだろう。
「別に悪いなんて言ってない。俺はもともとここを目指してきたんだから」
「この村を?一体どうして?」
少女は足を止めてこちらに向き直る。
この村を目指してくる人がそんなに珍しいのだろうか。
顔を出していた警戒心はすっかり影をひそめ、その瞳は好奇心一色に染まっている。
「それは…………」
孤児院から奴隷として売り飛ばされたところ、奴隷商を殺して逃げてきました。
(……なんて、言えないよな)
どう答えたものかと視線を彷徨わせていると、窓ガラスに反射して映る自分の姿が目に留まる。
鏡に映る自分の服の隙間、わずかに覗く銀色のカードが光を反射した。
「冒険者になるため、かな」
予定より数日遅れてしまったけれど。
予定より遠くに来てしまったけれど。
(もう考えても仕方のないことだけど。もし、あのまま都市で冒険者になることができていたら……)
窓の外、沈む夕日を見つめながら感傷に浸る。
「冒険者になるためにこんな村にわざわざ来る人がいるわけないでしょ!嘘つくならもうちょっと頭使いなさいよ、ばかじゃないの?」
「………………」
言いたいことはよくわかる。
でも、なんかもっとこう、同情とかないのだろうか。
哀愁漂う表情で夜に侵食されゆく空を見あげる少年。
それを上級冒険者の剣閃もかくやとバッサリ切り捨てた少女が、俺を置いて廊下を進んでいった。
(いや、どうした俺……。あんな女の子に同情してほしいとか、頭は大丈夫かよ……)
自分で思っているよりも、俺の心の傷は深いのかもしれない。
そういうことにしておこう。
いつまでも廊下でぼーっとしていても仕方ないので、俺も少女が進んだ方へ歩いていく。
廊下を抜けると広がる比較的広い空間。
初めて訪れた場所なのに、どこか見慣れた雰囲気が感じられた。
「ここ……冒険者ギルドか」
都市のものよりかなり小規模な――――というか受付がひとつしかないが、そこはまさしく冒険者ギルドの受付だった。
「冒険者ギルドへようこそ!冒険者見習いさん?」
いつのまにか受付の向こう側へ回り込んだ少女は、まるで受付嬢がするように俺を出迎えてくれる。
しかし、廊下を歩いていたとき俺より少しばかり背が低かったはずの少女がなぜ俺を見下ろしているのか。
その表情は心なしか自慢げだが、疑問は尽きない。
「受付嬢ごっこはやめて、受付嬢を呼んできてくれよ」
「誰が『ごっこ』よ!失礼ね!正真正銘、私がこのギルドただひとりの受付嬢よ!」
「ええ……キミが?」
「どいつもこいつもっ!わたしが小さいからってばかにしてっ!ていうかあんたはわたしと同じくらいでしょ!?あんたにばかにされるのはおかしいわ!!」
受付台に両手を叩きつけて俺の発言に抗議する少女。
半信半疑の俺はついつい余計なことを言ってしまったのだが、どうやら少女にとって『ごっこ』呼ばわりは地雷だったようだ。
受付台の裏に隠してあるはずの踏み台のことを踏まえると、背のことも気にしているのだろう。
歳を考えれば気にするほどでもないと思うのだが。
「俺が悪かった。それじゃ登録を頼んでもいいかな」
「金貨1枚よ」
「……何が?」
「登録料、金貨1枚よ」
登録だけで金貨を要求する冒険者ギルドがどこにあるというのか。
払えるものなら払ってみろと言わんばかりのドヤ顔で俺を見下ろす少女だが、こんな顔をされては一泡吹かせてやるしかあるまい。
「はい、これでいいかな?」
「えっ!?……ウソでしょ」
受付に置かれた1枚の金貨。
まさか本当に俺が金貨を出すとは思わなかったのだろう。
明らかに狼狽した様子の少女の表情がコロコロと変わるのは、なかなか面白いものだ。
(どうせ野盗の真似事をしたときにくすねてきたものだからな)
本来俺が持つべきではないものだから惜しくもない。
「どうしたんだ?登録料は払ったんだ、登録の手続をしてくれよ」
「う……ぐ…………」
さらに煽ってみた。
今更やっぱり違うとは言えないのか、少女は悔しそうに俺を睨み付けてくる。
さて、からかうのはこのあたりにしておこうか。
あんまりいじめても後が怖い。
「冗談はこの辺にして……、実はしばらく寝るところを貸してほしいんだ。俺は見てのとおりヨソ者だけど、この村には宿屋なんてなさそうだからね。その金貨はその代金も込みってことでどうかな?」
「なんでこの村に宿屋がないって……」
「あるの?」
「……ないわ。行商の人も、この村で夜を明かすことになったときは、ここの休憩室を貸すことにしてる」
さもありなん。
この村の位置、それに窓から見えた景色からこの村の規模を想像すると、宿屋の経営が成り立つとはとても思えなかったのだ。
大きく溜息を吐いた少女は俺が置いた金貨をつかむと受付台の下からごそごそと書類を取り出して並べはじめる。
どうやら登録はしてくれるらしい。
「登録料は銀貨1枚、残りは……預かっておくわ。食事は用意してあげるからいらないときは先に言いなさい。部屋は、とりあえずさっきのところを使って。後で、これでいいかお父さんに確認するけど、たぶん大丈夫だと思うわ」
「お父さん?」
「ギルドマスター」
なるほど。
親子経営なのか、このギルド。
「それで、あんたの名前は?」
少女はペンを片手に俺に尋ねる。
そういえばまだ名乗ってもいなかった。
「ああ、俺の名前は、ア――――」
12年間名乗り続けた自分の名前を告げようとして、その名前を最後まで言い切ることはできなかった。
(俺は、名乗ってもいいのだろうか?)
あの日の出来事が露見しないように、俺はできる限りの偽装を施した。
野盗に襲われることだって珍しくない世情だ。
おそらく大丈夫だとは思う。
だが、もしも―――
万が一、死体が発見されることがあれば奴らは犯人を探そうとするだろう。
孤児院にだって真っ先に人を向かわせるはずだ。
俺の名前を奴らが調べるのは難しいことではない。
安全を取るなら、俺は名前を捨てるべきだ。
「俺の、名前は…………」
でも、それでいいのだろうか。
この12年間、いろいろな人から呼ばれてきた名前。
それを捨ててしまうということは、これまで得てきた人との繋がりを全て捨ててしまうことにならないか。
過去を、切り捨ててしまうことにならないか。
悩んだ時間は数秒。
そして、俺が口にした答えは――――
「アレン。俺の名前は、アレンだ」
「わたしはエルザよ。よろしくね」
「ああ、よろしく」
少女に対して本当の名前を告げられないことで、少女を騙しているようで少しだけ心が痛む。
「まあ、いいわ。でも、いつか本当の名前を教えなさいよね」
「…………ああ、そのうちな」
バレていた。
あれだけ悩めば、そりゃ気づくか。
曖昧な笑顔を浮かべながら、俺は少女が差し出す手を握った。
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