英雄になりたかった少年の物語

ななめぇ

序章

第1話 プロローグ1




 結局、俺は戻ってきた。

 一人でこの都市から逃げ出したあのとき、もう二度と見ることはないと思った生まれ故郷の景色が目の前に広がる。


 空が赤く染まる夕暮れ時、都市を南北に貫く幅40メートルほどもある大通りを様々な装いの人々がそれぞれの目的地に向かって歩いていた。


 探索から帰ってきて酒場に繰り出そうとする冒険者たち。

 家族が待っているのかお菓子の包みを片手に家路へ急ぐ職人風の男。

 そんな彼らに声をかける若い女はこれからの時間忙しくなる酒場の給仕だろうか。


 誰もが、前を向いて歩いていた。


 そんな人々に負けないように、俺は今にも止まりそうになる足を必死に動かした。

 それでも下を向いて歩いている俺はやはり周囲から浮いているのだろう。

 先ほどからチラチラとこちらを伺うような視線を感じてしまうのは、俺の気のせいではないはずだ。


 俺は大通りを歩く人々から目をそらすように路地のひとつに目をやる。


(ああ、この路地は……)


 ひどい偶然もあったものだ。

 それは忘れもしない、大通りから孤児院へと続く道。

 孤児だった俺が幾度となく通った道だった。


 その路地から一人の少年が飛び出した。

 いつのまにか立ち止まっていた俺の目の前をその少年は走り抜けていく。

 身なりからして孤児ではないだろう。

 その顔には一片の不安もなく希望に満ち溢れている。

 しばらくその少年を目で追っていると、彼は大通りを走っていき反対側にある路地のひとつへと消えて行った。


 少しの間、少年の消えた路地を見つめていたが、こうしていても仕方がないと思い直して俺は再び足を動かし始める。


「…………」


 先ほどの少年の様子が頭の中から消えてくれない。


「俺にも、あったはずなんだ……」


 あたりまえの幸せを享受できる人生が。

 希望に満ち溢れていた未来が。


「どうして、こうなっちまったんだろうな……」


 思わず呟いてしまった。

 一体、俺はどこで間違えてしまったのだろうか。

 俺は自分にできることを精一杯やってきたはずだった。

 にできなかったことをしようと、目標に向かって着実に歩みを進めたはずだった。


 こうならない方法がどこかにあったのだろうか。


 もはや手遅れと思いながらも、俺は自分が歩んできた過去に思いを馳せた。





 ◇ ◇ ◇





 俺はどこにでもいる平凡な男だった。


 自分と両親と弟の4人家庭で育ち。

 それなりの大学を出て、それなりの企業に就職。

 給料も地方では悪くない方だったし、会社の同期の中では成績も良い方だった。

 1LDKのマンションの一室を借りて自分の好きなように暮らすこともできた。


 こんな話をすると羨ましいと思う者もいるかもしれない。

 しかし、俺にとってその平凡な生活は妥協に妥協を重ねた末に手に入れたものだった。


 幼い頃、俺は英雄になりたいと思っていた。

 男の子の多くが憧れたアニメやゲームの主人公のように強くなりたかった。

 テレビアニメの登場人物が変身するシーンや必殺技を撃つポーズなど、何度真似したかわからないほどだ。

 けれど多くの場合、年を重ねるうちにそれが幻想の中にしか存在しないということ理解する。

 俺の友達もみんなそうだった。

 本気で英雄になりたいと思っているのが自分だけだったと気づいたとき、言い知れない衝撃を受けたことを憶えている。

 それからさらに歳を重ね、当然と言えば当然だが俺もご多分にもれず英雄になる夢をあきらめた。


 そのときだろうか、妙な諦め癖がついてしまったのは。

 俺はいつしか冒険を恐れ、安定を求めるようになった。


 浪人するのが嫌だったから目指していた一流大を諦めて地元の大学で妥協した。

 大手企業の内定を得たのに優秀な同期としのぎを削る未来を嫌って地元の企業に就職した。


 一歩先に踏み出した友人からは臆病者と罵られたが、それを代償に大きな失敗や挫折を経験することなく俺は安定を手に入れることができた。


 しかし――――いや、だからこそ、だろうか。


 俺はそこから先に進むことができなくなった。

 挑戦を恐れ安定に逃げ込んだ俺は安定を手に入れた後、次にほしいものを見つけることができなかったのだ。


 心の底から打ち込みたいと思えるものがない日々というのは虚しかった。

 気分転換にスポーツをしてみても、鈍った体は思うように動いてくれず苛立ちだけが募った。

 学生時代に鍛えたはずの腕力や体力を気づかぬうちに失ったという厳しい現実。

 自分が少しずつ中身のない抜け殻になり、腐っていくように感じられた。


 




 そして、日々を無為に過ごしていたある日。


 俺はいつものように会社に向かい、通勤客であふれる駅のホームの最前列に欠伸をしながら並んでいた。


 俺が利用する駅は始発駅に近い。

 少し早めに家を出て電車を一本見送り、ホームの最前列に並べば大抵の場合は席に座ることができるような過疎路線だ。


 走り出した電車を見送れば、ホームに残るのは俺と同じように次の電車を待つ通勤客たち。

 俺の隣にも、よく見かける少女が並んでいた。

 この少女も毎日電車を一本見送っている数少ない人間の一人だ。

 俺が考えるようなことだから同じことを考えるやつがいても不思議ではないし、実際に俺の隣の少女以外にも毎日決まった場所で最前列に並ぶ奴が数人いた。


 少女の着ている制服からして俺の勤め先の近くにある高校の生徒だろう。

 好みもあるだろうが多くの人間がかわいいと評するだろう顔立ち。

 髪を染めたりしていないことも個人的にはポイントが高い。


 しかしその容姿とは裏腹に、少女いつも自信がなさそうに下を向いて列に並んでいた。


(おっと、見すぎたか)


 少しだけ少女の方に向けていた顔を正面に戻そうとする。

 俺はこの少女と会話をしたことがない。


 それはそうだろう。

 この少女にとって、俺はただの見知らぬ男。

 そんなやつがいきなり話しかけて来たら完全に事案である。

 人生に飽いているとはいっても、警察の厄介になるのは流石に御免だった。


(ん……?)


 しかし、少女から目をそらそうとしたとき、少女の後ろに並んでいた男が目の端に映る。

 その男は少女の背をじっと見つめており、しかしその少女の背に目の焦点があっていない。

 正直、あまりお近づきになりたくない気配を放っている。


 いや、それよりも―――


(近いな……)


 その男の立ち位置が少女と非常に近い。

 少女と男の距離は30センチもないくらいだろうか。

 都会の通勤時間帯の状況は知らないが、この駅でこんな狭い間隔で並ぶやつは他にいない。


(しかし、なあ……)


 なんと声をかけたものだろうか。

 少女が痴漢被害にでも合うようならすぐに止めに入るつもりだが、この男はまだ何もしていないのだ。

 怪しいからといって、それだけで非難するのは躊躇われる。


――――後ろの男、怪しいから離れたほうがいいですよ。


 知らない男に、そんなことを言われたとする。

 さて、怪しいのはどちらだろうか。


(うん……?この子を見ていることが怪しいなら、俺も大差ないんじゃ……?)


 急に不安になってきた。

 俺の後ろにどんなやつが並んでいるかは見ていないが、そいつから見たら俺も相当怪しいやつなのではなかろうか。


――――そこの高校生のキミ。隣の男がさっきからあなたを横目でチラチラと見ていますよ!危ないから気を付けなさい!


 なんて言われた日には人生終了の危機である。


(人の心配している場合じゃなかったか……)


 人の振り見て我が振り直せとはよく言ったものだ。

 そんなことを思っていると、いつのまにか次の電車がホームに入ってこようとしていた。

 この電車は急行だからこの駅には止まらないが、この電車が来たということは俺が待っている電車もじきに来るはずだ。

 他愛もないことを考えている間に思ったよりも時間が経っていたらしい。


 心の中で反省し、今度こそ視線を正面に戻そうとした――――そのときだった。


「え?」


 唐突に少女の声がした。


 俺が先ほどまで見つめていた隣の少女。

 彼女がたたらを踏み、ホームから線路に転落しようとしている。


 少女のいた場所には、さっきまで少女の後ろにいた男。

 明らかに少女を突き飛ばした体勢だった。


(くそがっ……!)


 とっさにカバンを放り捨て、少女の手をつかもうと懸命に右手を伸ばす。

 もう少しで少女の手に届きそうだが、俺の体勢はかなり崩れていた。

 そんな一瞬の間に、俺の思考は全力で回転する。


(この体勢……この子を引き上げたとして、俺はホーム上で踏ん張れるか?)


 自分だけなら、まだ止まれる。

 線路に落ち行く少女の命と人身事故による電車の遅延と引き換えに、俺は普段の生活に戻ることができる。


 一方、少女を引き上げるとしたら。

 すでに少女の体はホームから線路に落ちようとしており、少女の手をつかむためには自分も一歩踏み出さねばならない。

 俺の後ろに並んでいる見ず知らずの誰かが俺を支えてくれると考えるのは、あまりにも楽観的だ。


(このままいくと腕の力だけでこの子を引っ張り上げて、俺はそのまま電車の前にジャンプだな……)


 寝ぼけている上に混乱した頭では、この状態から自分と少女のどちらも助かるビジョンが浮かばない。


 さて、どうすべきか。

 頭ではそう思考しながらも、俺の体はもう答えを決めているようだった。


(どうせやりたいこともないし……)


 俺の右手が少女の左手首をつかむ。


(この子のほうが、まだ未来に希望がありそうだし……)


 右腕に渾身の力を込める。


(最後に、英雄になるのも悪くないよな……?)


 少女のかわりに死ぬことになる自分の末路を考えて、ちょっとだけ感傷に浸る。


 しかし――――


(おい、ウソだろ……!?)


 少女の体が上がってこない。

 むしろ、俺の方が線路に向かって加速しているような気さえする。


(おい、まさか……)


 至極単純な物理法則の話。

 線路に落ちていく少女を引き上げるには、俺の腕力では不十分だったのだ。


「…………ッ」


 少女ひとりくらいなら引き上げられると思った。

 しかし、少女がホームに飛び出した勢いか、はたまた少女が背負う荷物のせいか。

 現役の運動部だった頃ならまだしも、会社員生活も3年目を迎えて鈍りきった俺の右腕には、この状況を打破する力は残されていなかったのだ。


(こんな……、こんな話があるかよ……!)


 これでは何のために死ぬのかわからない。

 こんな無様な死に方が他にあるだろうか。

 本当に情けなくて泣けてくる。


 もはや俺の体も完全に線路の上。

 ホームに入ってきた電車は急行だから完全に詰んでいる。

 速度を落とすことなくホームに入ってきた巨大な質量は、間違いなく俺と少女を“人間だった何か”に変貌させるだろう。


(運転手には悪いことしたなあ……)


 この路線の人身事故の件数がどれほどか知らないが、今日はこの急行の運転手にとって最悪の日になるはずだ。

 通勤客にも申し訳ない気持ちしかない。

 彼らはどんな目で俺を見ているのだろう。

 もしかしたら俺が死んだ後で、俺のあまりの間抜けさに爆笑するのではないだろうか。


(いや、一番謝るべきはこの子か……)


 俺が声をかけていたら、この少女は死なずに済んだのだろうから。

 俺はほんのわずかなリスクを気にしたせいで、この子を死なせてしまったのだ。


 俺が左手をつかんでいる少女。

 少女も驚いたことだろう。

 助かるかと思ったのもつかの間、自分の体は浮き上がることなく知らない男が自分の方に飛び込んでくるのである。


 一体どんな気持ちで最後を迎えるのだろうか。

 その顔を見るのはとても怖い。


 でも、どうせこれで最後なのだ。

 謝るような気持ちで俺は少女の顔を見た。


 するとそこには――――いつもの少女の、いつになく優しい笑顔があった。


(くっそ……)


 きっと、この少女は自分を恨んだり失望したりしてはいないのだろう。

 だからこそ、助けてやれなかった自分が悔しかった。


 今となっては手遅れだが、もし自分の体が鈍っていることを自覚した後からでも再びトレーニングを始めていたら。

 きっと、助けることができたのだ。


(すまない……)


 俺は観念して目を閉じた。

 この笑顔が砕けるところを一瞬であっても目にしたいとは思わなかった。


 近づいてくる急行の速度に見合わず、体感する時間はゆっくりと過ぎていく。

 だから最期に余計なことを考えてしまった。


(もしも、願いが叶うなら……)


 神も生まれ変わりも、全く信じてはいないのだが。


(この子の来世が、幸せでありますように……)


 そして、もしも更なる我儘が許されるのなら。


 もし、こんな俺にも来世というものがあるのなら。


(今度こそ―――――――――――)


 俺のは、こうして終わりを告げた。



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