魔女中毒ー⑤

 冷汗が垂れる。

 直前まで中毒に満たされていた思考が一気に平常へと回帰した。

 その事実が恐ろしくて、しかし目を反らすことなど出来ない。


「あら、そんな顔をされては悲しいわ。こんなにも私を求めてくれていたから、急いで駆けつけてきたというのに」


 刻魅はスマートフォンの画面を俺に見せる。

 今朝、ほんの一時間程前に連投した数十件のメッセージがそこにはあった。

 短く歪な単語の羅列。それは紛れもなく異常事態の証明であり、彼女が俺を探していてもおかしくはないものだった。


「『助けて』、『会いたい』……。うふふ、嬉しい。昨日勇気を出して気持ちを伝えた甲斐があったわ」


 刻魅は微笑む、いつものように美しく、麗しい笑み。

 しかし今は恐怖の象徴以外の何物でもない。何せ彼女は一切の感情が宿っていない、虚無だったから。


「……あ、あ、あの〝っ」


 そこまで言って、身体に異変が起きた。

 苦しい。脳みそが溶けて、内臓が溶けていくような。気持ち悪い感覚が駆け巡る。


「あハっ、ダメダメ……。君はもう私の中毒者なんだから、他の人見ちゃだーめぇ」


 先輩が手で俺の視界を覆い、何度も身体を打ち付ける。

 まるで杭打ち。肉が抵抗し、拒絶しようとした太い杭を再び肉の中に沈めていく。


「……あなたが私の彼氏を奪った泥棒猫ね」


「アはっ、そうだよ? 二人のことは噂になってたからねぇ、手をつけてやろうと思って」


 脱力感の後、腹部に感触。

 先輩が俺の身体を椅子にして、刻魅と向かい合っていた。


「昨日までは今までみたいに殺しちゃうつもりだったんだけどね~、私にしがみついてくるのがもうすっごく可愛くて可愛くて仕方なくってさぁ……。貰っちゃうことにしたの」


「随分と勝手なことを言うのね。私が許可を出すとでも?」


「許可なんていらないでしょ。見て? 灰清のこの顔」


 顎に何かが触れた。わからない、熱すぎて何が何やら。

 また触れた。今度は頬だ。段々と感触が上にズレていく。でも、何だか心地良い。


「私の魔法は『毒獨快薬どくどくドープ』。身体の中で強い依存性を持つこの世に存在しない唯一の毒を作り出す毒属性の魔法。これを取り込めばどんな屈強な男もご覧の有様。いつもはこの蠍の尻尾で注入するんだけどね」


 朧気だった視界が明瞭になった。入ってきたのは太い針を有する黒い尾をゆらゆらと動かしている。


「今回は寝取りも兼ねてたからキスとセックスでたっぷり注入しちゃった。この子はもうお終い。数時間どころじゃない、数秒おきに毒を接種しなきゃ満足に動くことすら出来ない身体になっちゃいました~!」


 軽く、そして悍ましい嗤いが響く。

 下された宣言は実質的な死刑に等しい。毒無しでは生きていけない身体になった。それはもう、既に短くなった命を蝕まれながら生きていくしかないことを意味していて。

 

 俺は自分の安易な行動に、ひたすら後悔する、暇も無く。


「あ〝あ〝あ〝あぁぁっぁっぁあああああ」


 再び悶えるしかない。

 溶けて溶けて溶けだしていく意識と人格。

 言――す――許されず、――はた――女の――なりにな――か――った。

 

「はーい、ちゅーにゅー♡」


 また意識が凝固する。

 しかしそれは熱した鉄板の上にゼラチンを一時的に固め直したものに過ぎず、ま――ロドロ――体とな――。

 崩れ――め――れて固めて。段々と歪になっ――く――の意識。

 

「アハッ♪ やっぱ君最高だよぉ~! かぁわいい♪」


 頬に唇が触れる。もう何――良いから、こ――態から――て欲――。

 何でもするから、どんな罰でも受けるから。

 どうか、――か。――――――――――――――――――――――。





「……壊れちゃった?」


 流石に毒を入れ過ぎたかと蠍は訝しんだ。

 毒液が染み込んだ舌を出し、自身の頭を小突く。彼女は確かな反省を少しだけ噛み締めると、再び笑顔を作った。

 

 そうして視線を送るのは、目の前の龍王刻魅。

 昔から仏頂面で気に食わなかった高嶺の花。それを自らの毒で枯らしてやるのはさぞ快感だろう。

 そう思っているのだが、彼女の顔は一向に変わらない。

 しかし先程まで浮かべていた微笑が消えていることから、彼女が精神的な負荷を感じていることは間違いないはずだ。


「ねえどんな気持ちなの? 何でも上手くいく名家のお嬢様が恋人を奪われるっていうのは、私的には最高に刺激的なシチュだと思うんだけど?」


 昔から、蠍は刺激が好きだった。

 善であれ悪であれ、自身の心を震わせるものならば何でも好んだ。

 中でも自分が一から築き上げてきた物を奪われる者の顔は何者にも代えがたい快感があった。


 多くの男が蠍に貢いだ。多くの女が蠍に送った。

 そうして築き上げて築き上げて、自身の愛を得ようとした人間を絶頂させて殺す。

 それが彼女にとって最高の快楽となっていたのだ。


 裏切られて絶望しながら死んでいくのも良いが、知らぬまま快楽に溺れて死んでいくのもまたたまらない。

 自身の下で心臓の鼓動を止めた灰清を見て、蠍は自身の股が濡れるのがわかった。


「……そうね、これは中々に腹立たしいものね」


「あはっ、気取っちゃって。肩震えてるよ~、我慢してるのバ・レ・バ・レ♪」


 上唇を噛み締めて、俯いている刻魅を確認して、蠍は殺すことを先送りにすると決めた。

 今度はこの女に毒を注ごう。グチャグチャに依存させて、足元に縋りつかせてやろう。

 殺して欲しいと喘ぐだろうか。死にたくないとよがるだろうか。

 どちらにせよ、楽しいことは確定している。


「あ、ハハハ! じゃね~、またどっかで♪」


 嗤いながら蠍は姿を消した。

 今宵は満月。謎の確信を得ながら、校舎から飛び去って行く。


 残されたのは毒に塗れた死体と力なく震える哀れな乙女だけ。


「……………………」


 否。哀れではない、寧ろその逆。

 今の刻魅にはこれ以上無い程に力が漲っていた。

 それは怒り。彼女はその生涯の中で最も強い怒りを抱き、その魔力を滾らせる。

 

 校舎が震えた。

 周囲を飛んでいた鳥達は地に落ち、調査に当たっていた警察官は失禁した。

 ありとあらゆる生命体に根源的恐怖を抱かせる程の激情。一見弱弱しく見えた彼女の震えは大地を駆け、海を渡り、星の裏側さえをも突き抜ける。


 その日世界中の魔女は確信した。

 どこぞの馬鹿が、とんでもない化け物を怒らせてしまったのだと。


 そしてそれとは裏腹に、灰清の死体に触れる手はどこまでも繊細で優しかった。

 触れれば壊れてしまう物を扱うかのように慎重な手付きで、死体を持ち上げる。

 毒が手に付着するが、刻魅は一切気にしなかった。


「……全く。とんだ度胸ね、あんなことを言われて、後悔に浸って数時間もしないうちに浮気続行だなんて」


 口調は呆れを滲ませて、しかしどこか母性を滲ませている。

 

「灰清。私、怒っているのよ? 幾ら魔法によるものだとはいえ、あそこまで露骨に腰を振られては私としても気分が悪い」


 瞬間移動。

 宿直室に向かい、シャワー室の中に死体を放り込む。

 服を脱ぎ、下着姿となって水栓を開く。

 温かいお湯が流れ出し、死体表面の毒を取り除いていく。


「全く、貴方以外に私を知る人がこの光景を見たら一切の例外無く目を疑うでしょうね。この私が、たった一人のために甲斐甲斐しくお世話してあげているというのだから」


 もしここに蠍が居れば、これに一体何の意味があるのか、理解出来ないだろう。

 既に灰清は死んでいる。毒を洗い流したところで息を吹き返す訳でもない。

 ならば何故? 何のために?


「さて、これで良いかしら。……そろそろ起きなさい、馬鹿な彼氏クン」

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