第9話 事件勃発
車内でパンを食べ、それから会社に行ってみたが通常通りだった。すれ違う社員達と挨拶をしたが俺を見る社員達の目付きは何となくだが冷たく感じられた。
(何だろ……?)
疑問が浮かぶが如月先輩と共に羽衣石社長室まで行き、扉を開けた。
「失礼します」
如月先輩と共に入室すると、羽衣石社長は何時もと同じくにこやかに出迎えてくれた。
「如月君も、メシア君も、無事で良かった……ひかり君から訊いたよ、魔導執行省に行ってたんだってね」
「はい」
如月先輩が答え、一部始終を話していく。羽衣石社長は相槌を打ったのち考え込んでしまった。
「私はただ、魔王に会ってみたかった、何なら魔王の傍に行きたかったし、なってみたい願望もあった――それがこんなことになるなんて……」
「羽衣石社長は何も悪くないですよ」
「メシア君……」
むしろ誰も悪くない気がした。そもそもがただの意見の食い違いだ。意見の食い違いがトラブルに発展しただけだ。
魔族という本能の本質は人の悪意と同様に恐ろしく残酷で、相反する者を淘汰しようと考えてしまう。今はまだ殺し合いはしないにせよ、その本質がプロジェクトの件で露見してしまったのだ。
暫くしてから羽衣石社長が口を開いた。
「そういえば永冶君が言っていたのだけど、人間のフリをした魔族が社内に紛れ込んでいると、今後、脅威になると言っていてね――けど私は信じてないから安心していい」
羽衣石社長が今説明したことで合点がいった。もしかしたら俺が脅威になると言ったのだろう。永冶の情報は各部署で流布されたのかもしれない。
「羽衣石社長、それは傘下にして管理している仁枝工業の魔族達が脅威になるということですか?」
如月先輩が羽衣石社長に訊けば、羽衣石社長は首を横に振った。
「いや、そうじゃないけどね、気にすることはない。何れ噂も風化するだろう」
羽衣石社長は何時ものように微笑んでいた。
「羽衣石社長、お話したいことがあります」
「メシア君……」
俺が切り出すとひかりが名前を呼んだ。だがこのままでは社内全体に波紋が広がってしまう。何時までも隠しておくことはできない。
「俺は魔族です。人を支配するような能力はありませんが、もし永冶はじめが俺が脅威になると言って、魔導執行省が引き渡せと言っているのであれば、俺は向こうにいきますよ」
「メシア君、君――魔族だったのかい……?」
「はい、人間のフリをしてました。隠してて申し訳ないです。俺を引き渡すことでこの件が解決するのならば、俺は向こうに行きますから」
俺一人が犠牲になって異世界がなくならず、魔王も殺されることもなく、今まで通り人間の世界が平和に送ることができるのであればそれでいい。
(永冶が条件を聞き入れるとは思わないけど、やるしかない)
「ざけんじゃねぇ!」
刹那、如月先輩が話に割り込んでぶち切れた。
「お前が魔族だろうと関係ねぇ! クラゲは、メシアはここの社員だろ? 魔導執行省がやろうとしているのはただの犯罪だ。俺はそんな奴等の元に引き渡すのは反対だ。お前ももう少し慎重に考えて意見を言え。それになぁ、正直、魔族とか異世界とか、俺にはどうだっていいんだよ」
「如月先輩……」
「俺達と一緒にここで暮らして、普通に生活している、ただそれだけなのは――傘下にしている仁枝工業で知ったからよ。だから今まで通り、ここにいりゃいいだろ」
「うんうん、如月君の言う通りだよ」
羽衣石社長も頷き、続きを紡いでいく。
「いやはやそれにしても、人のような魔族は存在するんだねぇ。びっくりだよ――それで、メシア君! 矢張り君の世界には魔王が存在するのかな?」
社内がごたつているというのに、羽衣石社長は相変わらずだ。相変わらずな様子で訊いてきた。しかしそれが妙にホッとしてしまう。
「はい、魔王は存在しますよ。けれど魔王は姿を現すことはないです。随分前にひかりさんの治験薬で暴走した際、魔王に状況を訊かれたことはありましたけど、直接姿を見ることはできなくて、声のみでした」
「なるほど、そうだったのかい」
「魔王は人間に危害は与えてはいけない――というのをモットーにしている魔王でして、俺が暴走した理由を訊いた後、納得してくれました」
「ほぅ……」
「話をすれば長くなるので省略しますが、食べるか食べられるかの時代に今の魔王が君臨してから平和になったみたいです」
その後、魔王は一人の子供と暮らしていたという。大事な魔族会議をすっぽかして子供の世話をしていたという魔王、その子供は魔王が拐ったという話があった。人間に危害を加えてはならないという魔王が人間を拐う筈がない。その話の真相は不明だが、魔導執行省に都合が良いように尾ひれをつけただけかもしれない。
何にせよ、異世界の件も、魔導執行省の件も放ってはおけない。とはいえ、何をするのが一番いいかが今一分からない。
(俺、どうすればいいんだろう……?)
「おい、羽衣石社長の前で悩んだ顔を晒すな! しゃんとしろ、クラゲ!」
「あぐっ!」
如月先輩に片手で顎を掴まれ、頬肉がキュッと上がった。
「ひ、ひたいです、如月しゃん……」
「こらこら如月君、優しくしないといけないよ?」
羽衣石社長が言うと、如月先輩はパッと離し「失礼しました」と一礼して羽衣石社長に跪く姿勢を取った。久々に羽衣石社長に跪く如月先輩の雰囲気は何時も通りで、色々と吹っ切れた感じにも見えた。
「羽衣石社長、この状況でのイベントは不味いです。イベントは延期しましょう」
「そうだねぇ、まだ数週間先のことだけど各社の人達に延期のお知らせをしようか。魔導執行省が何をするか分からないしねぇ」
如月先輩と羽衣石社長の意見は一致し、直ぐに延期の通達をしていく。
➴➴➴
それから羽衣石社長、ひかり、俺と如月先輩とでそれぞれ分かれ、業務を開始したが――
「クラゲ、イベント延期の間、プロジェクトについて探ってくぞ――もう我慢ならねぇ」
如月先輩はそう言うと、新たな端末を取り出した。黒いPCには色々カスタムされていた。独自で作ったのだろうか?
「如月先輩、それは何ですか?」
「これはな、不足の事態が起きた時にだけ使用するマストアイテムだ。幾らはじめでも今回の件は許せねぇ」
如月先輩は怒っていた。
(そうだ、もう一個の件も如月先輩には伝えておいたほうがいいのかな……? 羽衣石社長を魔王の器にすることや、羽衣石社長の魂を魔王に入れて管理するとか言ってたし……)
「おいクラゲ、また悩んでんだろ! ごちゃごちゃ悩んでねぇでさっさと言え!」
「は、はいっ! あのですね、永冶さんが羽衣石社長を魔王の器にしようと言いまして……」
「はぁ!? んだと!? それガチか!?」
「はい、ガチです」
「あんの野郎……」
如月先輩がブチ切れした真っ只中、俺の端末が鳴った。見ればレイナからだった。
「あ、レイナさんから早速連絡がきてます。ちょっと出ますね」
スワイプしてタップすれば『こんにちはレイナよ』と妖艶な声がした。
「レイナさん無事だったんですね」
『ええ、監視対象になるかと思ったけど、気づいてない様子だったわ。ラッキーね?』
「そうなんですか、良かったですね」
『ええ、それよりもメシア君、あなた大丈夫なの? こっちじゃあなたを執行対象にする動きが出ているわ』
「そうなんですか、やっぱり……」
脅威になると言っていたが、俺は低級魔族なので脅威になり得ない。そもそも俺の能力は鏡越しに人間界を見れるぐらいだ。あとは治験できることと、なけなしのストーキング能力のみで、他は何の取り柄もない。
「永冶さんが俺が脅威になると言ってたようですけど、全くのあてずっぽうだと思いますよ」
羽衣石社長よりも俺を取引の材料にすれは如月先輩が動き、企業も動く――というのが永冶の考えだ。脅威になるというのは、プロジェクトの件を始動させる為の詭弁だ。
(そもそも俺は取引材料にならないと思うんだけどなぁ……)
意見の食い違いはあれど、如月先輩は矢張り羽衣石社長ガチ勢なのだ。
『そう、それならいいのだけど……気を付けたほうがいいわ。そうそう、研究所で見た施設があったでしょ?』
「はい、ありましたね」
『あの研究所のことを調べてみたらどうもきな臭いのよ』
「きな臭い? きな臭いとは?」
『あそこに不思議な生物がいたでしょ。あの生物、魔族じゃなくて元は人間の可能性が出てきたわ。古いファイルを突破したらファイルが壊れてて読めない箇所が多かったのだけれど……』
「えっ……」
『気を付けたほうがいいわ。永冶がどこまで深く関わっているかは分からないけれど、兎角、気を付けて』
レイナの電話はそこで切れた。
(この件、魔王は放っておかないかもしれない……)
異世界も人間界も巻き込んだ争いが起きるかもしれない――
「どうしたクラゲ?」
「如月さん、魔導執行省で見た生物を覚えてますか?」
「あー、なんかいたな。あれは何だったんだ? 魔族なのか?」
「魔族ではなく、人の可能性が出てきました」
「人って――おいおいおい、まじか……」
「レイナさんが調べたファイルに載っていたそうです」
「すでに犯罪に手を染めてました――ってか? あり得ねぇだろ……いや、でもアイツが言うなら、そうなんだろうな。仕事に関しては嘘ついたことはねぇし……」
如月先輩は頭を抱え「参ったな……」と口にした。
如月先輩にとって永冶はじめは幼馴染みだ。どれぐらいの付き合いになるか分からないが、幼馴染みが犯罪に手を染めているかもしれないのは相当辛いだろう。それから如月先輩は黒いPCを仕舞い立ち上がった。
「悪い。一旦、外の空気を吸ってくるわ」
如月先輩は部屋から退室した。それから暫くした頃、扉のノック音がし、ひかりが入ってきた。
「お疲れさま! メシア君! 大変よ! たった今、傘下の仁枝工業のビルが爆破されたわ!」
「ええっ!?」
「ほらこれっ!」
ひかりがスマホの端末のテレビを見せてきた。仁枝工業のビル爆破事件は早速ニュースになり、羽衣石化学は勿論、仁枝工業のビルも調査が入ると放映され、その調査権限は必然的に魔導執行省になったのも放映された。
「これ、仕組まれたんじゃ……」
「かもしれないわね……」
そしてニュースキャスターが記事を読み上げた。
『魔導執行省の捜査によりますと爆発物はビルの屋上に仕掛けられていたとのことです。現場に残されていた指紋から羽衣石化学の社員が候補に上がっており……』
「へっ……、俺!?」
何かの間違いではないかと思ったが、俺の顔写真が画面上に映し出されていた。
「あら、中々可愛い顔の写真ねこれ? 後で私にもちょうだい」
しかし画面上に映されたこの写真の出所は知らない。どこにあるかも分からない。
「いや、ちょうだいと言われましても……ていうか俺、逮捕されるんですか!? 爆破もしてないのに……!?」
そもそも爆弾の仕掛け方も知らなければ爆弾の作り方も知らない。
「不味いわね……」
それから間も無く、如月先輩がバンと扉を開けて駆け込んできた。
「クラゲ、お前何でビルを爆破した!?」
「いやいやいやいや! 何言ってるんですか!? 俺じゃないですよ……!」
「だよな、どう見てもクラゲじゃねぇ――つぅか、やられたな」
「如月! そんなことよりメシア君を逃がさないと逮捕されるわよ!?」
「んなもん分かってるよ! だけど逃げても捕まんだろ……どうすりゃいい!?」
如月先輩が考える中、ひかりが思い付いたように魔術書を取り出していく。
「そうだわ、確か変身魔法があったはず! ちょっと待ちなさい」
ひかりが魔術書の頁を手繰る中、如月先輩が魔術書を覗き込む。
「変身魔法って……え、お前もまさか、魔族なのか?」
「そうよ! メシア君ばかりが言われてたけれど、あたしも魔族で魔女よ! ――! あったわ!」
ひかりは頁を開くなり詠唱をした。するとひかりの体から光源が放たれ、俺になった。
「これでよし! 声も完璧! 如月とメシア君は私が捕まった後に逃げなさい」
「いやそしたら、ひかりさんが……」
「私はいいから、それにこう見えても魔女の端くれ――簡単に口を割ったりはしないわよ」
(ひかりさんの場合、物に釣られて割りそうな感じがしますが……)
不安が過るが、そうなってもいいように覚悟だけはした。
「ひかり、やばくなったら直ぐに逃げろよ、いいな」
如月先輩はひかりに念を押した。
(そうだ、もしかしたら向こうにいるレイナさんなら協力してくれるかもしれない……)
「ひかりさん、魔導執行省にレイナさんという方が一階の医務室にいるので不味い状況になったらそこに駆け込むのがいいと思います――そうだ、先に連絡しとけばいいですね」
レイナさんに今起きている状況をラインした。すると直ぐに『了解』という返事が返った。
➴➴➴
それから暫くして報道陣と共に羽衣石化学に魔導執行省の永冶はじめと共に、同じく魔導執行省の者達がどやどやと流れ込んできた。羽衣石社長が報道陣に囲まれる中、俺になったひかりが連行されていく。
(ひかりさん、どうかご無事で……)
ひかりの無事を願う中、またスマホが鳴った。見ればレイナからで、そこには極秘ファイルの資料が貼付されていた。
「如月さん、これ……レイナさんからで、資料が貼付されてます」
「分かった。じゃ、端末で解読してくか」
如月先輩は先程のカスタマイズされた黒いパソコンを開き、パスワードを解除してキーを叩いていく。不正捜査が本格的に始まるよりも先に、魔導執行省を叩くのが先決だ。時間との勝負だが、如月先輩は焦らずにファイルを解凍していく。
「魔導執行省を叩ける物が見つかれば、速攻、マスコミに流せば詰みだ」
「ですね……ただそれまでに、ひかりさんが持てばいいんですが……」
ただ一つの不安はそれだ。バレる前にレイナに頼って逃げ出すか、かき回すかをしてくれれば一番いいのだが――。
「おー、出てきたわ。黒字で塗りつぶされている書類もあるが、問題ねぇなぁ」
如月先輩は慣れた手付きで黒字で塗りつぶされた箇所を剥がしていく。欠損したファイルも直ぐに修復して、読めるように復活させた。
(すごい、まるで魔法みたいだ……)
「ほれ、出てきたぞ」
如月先輩は画面を見せてくれた。そこには実験報告が記載されていた。どうやらあの研究所にいたのは間違いなく人で、死刑を言い渡された受刑者で実験していたようだ。倫理的にしてはならない線を完全に越えていた。
「何でこんな実験なんかしてたんでしょう?」
「分からん……。だがこの情報をマスコミに流す前に、永冶に直接確認したほうがいい」
「え、まさか如月さん、向こうに乗り込む気ですか?」
「ああ。クラゲはここで留守番な?」
「いやいや駄目ですよ!? 俺も一緒に連れてってください!」
「それこそ駄目だろ? お前が行ったらひかりとの入れ替わりがバレちまうだろ」
「確かにそうですけど……」
相手は魔族だ。それに如月先輩は魔導執行省に行った際、途中で記憶を無くしていた。いつの間にかあの研究所に辿り着いていたと言った。それは誰かに操られていたのであれば危ない。
「やっぱり駄目です、俺も一緒に付いていきます! 変装すれば分からないですよ! お願いします、如月さん! 俺も一緒に連れてってください!」
一蓮托生、そんな言葉がふと浮かんだ。如月先輩と一緒に行きたい、これは魔族としての本能的な部分がただ反応しているだけかもしれないが、それでも揺らぐことはないと断言できた。
「クラゲ……」
「それに如月先輩に何かあったら、羽衣石社長に申し訳がたたないです」
「羽衣石社長――……か」
不意に如月先輩は黙りとしてしまった。
(あれ、俺、何か不味いこと言ったかな……?)
「まっ、そういうことにしとくわ」
如月先輩はニッと笑い「俺に付いていくのはいいが、何かあっても拾わねぇからな。じゃ、支度と変装しろ」
「はいっ!」
早速、支度と変装をしようとして、ふと、デスクの上に何かの薬が置いてあるのを発見した。ひかりさんが残していった物なのだろう、小瓶にシールが貼り付けられ『メシア君へ』と記載されていた。その近くには謎の茶色い紙袋も置かれていた。
(これはもしかしなくても、役に立つ薬と茶色い紙袋の中身は役立つアイテムかもしれない!)
「ひかりさん、ありがたく使わせて頂きます!」
オレンジ色に揺れる液体が入った小瓶の蓋を取り、口に付けて一気に飲み干した。
忽ち体が熱くなってきた。体内で何かしらの変化が訪れているようだ。
「これは……」
俺の手もだが、腕も今以上に滑らかになっている気がした。
「なんだ、この変化……?」
そして俺の体、平たかった胸板から放漫な胸がぷるんと出現した。
「えっ……?」
それから間も無く、下半身の中心地にあった大事な物が消滅した感覚が訪れた。
(あれ、いつもぶら下がってる大事な物が――ないっ!?)
「おい、どうした――って、どうしたそれっ!?」
如月先輩が驚いたのも無理もない。何せ俺の体は女性になってしまったのだ。
「何でこんなことに……!?」
「クラゲ、変装しろとは言ったが、女になれとは一言も言ってねぇぞ?」
如月先輩は至極真面目に突っ込んできた。
「いやその、俺もびっくりしてまして……机に置いてあった薬を飲んだらこうなるとは思わなくて……」
「は……? またひかりの薬を懲りずに飲んだのか?」
「はぃ、すみません。メシア君へって書いてあったので、この状況を打破できるものかと思って、つい……」
「ったく、しょうがねぇなぁ……。でもまぁ、女になってりゃ誰もクラゲとは気づかねぇだろ」
「それはそうですけど――これ、また効果が切れるのは明日なんですかねぇ? 何時もと違う感覚でソワソワします……」
体型もだが、男物の下着を履いているせいか脚がスカスカとしていた。
「そうだな、乗り込む前に下着と服だな――つぅか、こっちの紙袋はなんだ? こっちにもメシア君へって書かれてるぞ」
如月先輩が紙袋を開けて逆さまにした。すると中から女性物の下着と服がデスクに散らばった。
「おいこれ、ひかりが用意してくれたんじゃねぇか?」
「そうみたいですね……ううっ、最初から計画されてた感が否めない! 怖い!」
「クラゲ、ごちゃごちゃ言ってねぇで着替えろ!」
「はいぃ……」
俺は覚悟を決めて着替えていく。
(しっかし女性の体って柔らかいなぁ……)
肌はスベスベつやつやの柔らかめ――ちょっとだけ羨ましい。
ショーツを履いてパンツを掃き、上の下着のブラジャーを付けようとしたところで、どうにもホックがはめられない。
「うっ! くっ……! ふぬぅう~~~~っ!?」
唸り声を上げながら一人でホックと格闘していると、外で待機していた如月先輩が室内に入ってきた。
「おい、まだか?」
しびれを切らして様子を見にきたのだろう。
「あ、如月先輩……その、後ろのホックが上手い具合にはまらなくて……これ、できますかね?」
「あ? ホック? ああ、それな」
如月先輩に背中を向ければ、あっという間にパチンとはめてくれた。
「ほれ」
「ありがとう御座います」
それからカットソーのTシャツを着ようととして、不意にまたお腹に手が回った。
「ふぅ~ん、また抱き心地が違ぇなぁ」
と言い、お腹を撫でている。もしこれが本物の女性ならば軽くセクハラ案件だ。
「ちょっと、急いでるんですよね!? そういうのは後にしてくださいよ!?」
「後ならいいのか? へぇ、じゃあ覚えとくわ」
如月先輩はニヤリと笑って部屋を退室した。
(しまった、ついうっかり後でと言ってしまった……)
しかし今日中に解決する問題になるとは限らない。つまりは今日、徹夜の可能性もあるのだ。徹夜になれば明日には元通りになっている訳で問題はないはずだ。
ともあれ、急いでTシャツを着て部屋を退室した。
➴➴➴
ひかりの薬を飲んで女性になってしまったので身バレの危険性はなく魔導執行省に着いた訳だが、魔導執行省にも報道陣が大量に押し寄せていた。
「表から入るのは無理だな」
「そうだ、レイナさんに訊いてみます」
レイナにラインで今の状況を送ると『近場の駅に来てちょうだい』と場所指定をされた。
「如月先輩、この駅にと、レイナさんから」
「分かった、じゃあ行くか」
それからまた走ること十分、指定の駅に着いた。レイナはまだ来てないが、建物の影に隠れて如月先輩と共に待った。
「レイナさん、ここに来れるんでしょうか?」
「分からん」
それから待つこと数分、レイナが颯爽と歩いてきた。
「お待たせ。さぁ、こっちよ」
レイナは俺と如月先輩の手をつかむなりそのまま駆け出した。レイナと共に駆け出した先には、使い魔のキウイがすでに籠になって待機していた。しかし他の人には見えていないのか、使い魔のキウイを見もせずに素通りで歩いている。
「レイナさん、もしかしてあれ、俺達にしか見えていないんですか?」
「そうよ」
「へぇ、レイナは相変わらず特殊な物を開発してるんだな」
如月先輩が染々と言う中、レイナが笑った。
「ふふっ、まぁあれ、私の使い魔だしね?」
「使い魔って何だ? もしかして、お前もなのか……?」
「ええ、こんな騒動になればもう言うしか無いわよね。魔導執行省の内部事情もきっと公になるわよ。それにしてもひかり君、いつから性転換したのよ?」
「へっ? あ、いやこれは、ひかりさんが作った薬の影響でこうなっちゃいました……」
「あらあら、そうなの? 大変ね」
それからキウイの鳥籠に乗り、大空に羽ばたいて魔導執行省に急行した。
➴➴➴
魔導執行省の最上階に使い魔のキウイが下りたところで、キウイは元の形に戻った。
「そうだ、ひかりさんだったわよね? ひかりさんの匂いがある物はあるかしら?」
「この空の瓶で辿れますかね?」
先程飲んだ薬が入っていた小瓶をレイナに渡した。
「ええ、いけるわよ」
レイナは使い魔のキウイに嗅がせてから詠唱した。
「ひかりさんは地下にいるみたいね――私が探して救出するわ、あなた達はどこに行きたいの?」
「はじめ、永冶はじめがいる場所に行きたい、分かるか?」
「永冶は一番最上階の室長室にいると思うわ」
「そうか。サンキューな、レイナ」
「ありがとう御座いますレイナさん、それと気を付けて」
レイナと分かれて室長室まで急いだ。螺旋階段を下り、長いフロアを突っ切り、入り組んだ迷路のような道を抜けると何故か吹き抜けの庭園が見えてきた。草木が生い茂っているが天井は無く、淀んだ空気と色濃い霧がそこかしこに漂っていた。
(この空気は……)
前にもこの空気を体感したことがあった。もしかしたら来ているのかもしれない。深刻な事態になり、人間に危害があると考えれば魔王は放ってはおかないだろう――
「如月さん、もしかしたらですが、魔王が来ているかもしれません」
「そうなのか?」
「ええ、この空気――前にも体感したことがあります……」
魔導執行省に、永冶はじめの元に魔王が来ているかもしれない――
「如月さん、慎重に進みましょう。何が起こるか分からないですから」
「ああ」
如月先輩と共に進んで行くと、直に池の畔が見えてきた。そこには紫色の毒々しい野草が生い茂り何かの鱗粉が舞っていた。
「すげぇ匂いがするな……」
「ですね」
俺は平気だが、如月先輩は匂いに敏感なようで、眉間にシワを寄せていた。
「おや、錬次、遊びに来てくれたのかい?」
不意に声が響いた。声がした方向に視線を向ければ、永冶が立っていた。
「はじめ、俺はお前と話さなければならないことがある」
「奇遇だね。僕も錬次に話したいことがあったんだよ」
永冶と如月先輩は対峙した。永冶は俺に視線を向けてきたが、
「おや、宗旨変えかい?」と告げた。全く気付いていなかった。
「(クラゲ、お前は俺から離れてここの調査をしてくれ)」
「(え、でも……)」
「(俺なら心配ない、早く行け)」
「(分かりました)」
小声で急かされ、早速調査に向かうことにした。俺が如月先輩から離れても永冶は見向きもしなかった。取り敢えずどこかにいるだろう魔王を探すことにした。
➴➴➴
「魔王様、おりますかぁ~?」
小声で呟きながら探していく。だが声が返ることはない。小声だからだろうか?
(念じれば通じるかな?)
心の中で念じてみた――だがしかし、念じても通じることはなかった。
「駄目だ、全然答えてくれない……うーん、どうしたら答えてくれるんだろう? 悪いことをすれば反応してくれるのかな?」
だが悪いことが思い付かなかった。そもそも魔導執行省には人がいないしこのフロアにも見当たらない。悪さができない以上、意味がなかった。
「うーん、どうしたらいいんだ?」
やみくもに駆け回っても見付からない気がした。
"……こっちだ"
不意に声が響いた、紛れもなく魔王の声だった。だがこっちだと言われてもどっちだという話で分からない。
「どちらにいますか?」
"西の方向だ、西の方向に向かって走れ"
「西、西というと……おん?」
方角が分からずスマホを取りだしてデジタル方位磁石で確認した。
「お、西ってこっちか! 今、向かいますね!」
走ること数十分、ようやく魔王の側に辿り着いたのだが――
「えっ、何だこれ……」
魔王は電磁波を放つ謎の球体の中に閉じ込められていた。負傷はしてなさそうだが、出られなくて困っている様子だ。
「魔王様、今、助けます」
と言ってみるが、助け方が分からない。
一先ず球体に近付くことにした。
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