第九話 病弱美少女、卒業

「ねえ、マイちゃんさ。卒業したらどうするの?」


 彼女が切り出したのは卒業も迫る6年の冬。寒い寒いと愚痴を吐きながらも談笑していた放課後の空き教室でのことだった。急に吹雪が吹き始めたから少し遅れます、とノアからの連絡があって、二人で空き教室で喋りながら待つことにしたのだ。

 彼女からの質問に、厚着して手袋を二重に嵌めても尚冷たい指に息を吐きかけながら、俺は考える。歳を重ねるごとにまるで既定路線だったかのように、いや、俺がそう願ったのだから確かに既定路線ではあるのだが、俺の「病弱」という要素はどんどん強くなっていった。数年前は鬼ごっこなんかの多少の外遊びくらいであれば出来たのだが、今は50m走ですら精一杯。ついでに冷え性も悪化してブランケットが手放せなくなった。まあ、病弱美少女の「美少女」の部分も見事に成長を遂げ、我ながら通り掛かった男が二度見し、笑顔で手でも振れば世の中の男は皆イチコロといった感じの美貌を俺は手にしていた。ちなみにエメリーも大体そんな感じである。

 そんなこんなで二人とももう18になって体つきも精神もかなり成熟し、俺達は大人の仲間入りが見えてきた。数ヶ月もして卒業したら、この国では一人の成人として扱われるようになる。卒業とともに酒、煙草、あとえっちなことも大っぴらに解禁されるらしい。ま、俺はどれもなんやかんやで手を出さないような気はするが。


「そうですね……」

「……って、どうせマイちゃんは実家継ぐんでしょ?貴族のお嬢様だもんね」

「いえ、分かりませんよ。まだ考え中です。そっちこそ、卒業したら実家に帰ってしまうんでしょう?跡継ぎ争いはけりがついて、エメリーちゃんのお父さんが勝ったって言ってたじゃないですか」

「うーん……いやそうなんだけどさ?でもそれで実家帰ったらそれはもう「あたしも跡継ぎ修行します」って決意表明なわけじゃん?そしたらお役所勤めしないと行けないわけじゃん?流石にあたしにはまだ荷が重いかなぁって……」

「確かにそうですね。お役所勤めとかエメリーちゃん一番向いてませんもん」

「でしょ?かといって流石に卒業してからもマイちゃんとノアさんの好意に甘えるつもりもないしさぁ……」

「私としてはずっといてもらっても構わないんですが……」

「うぐ……今はその好意が痛い……」


 そう言って、彼女は「うえー」と机に突っ伏した。まだロクに形にもなっていないのだが、エメリーに伝えてしまってもいいだろうか。万が一どころか四に一くらいに頓挫してしまったらあまりに面目ないが、でも俺の計画に彼女の圧倒的な記憶力と数学力は欠かせない。魔法学校では一応国数理社の基本四教科も教わるのだが、数学に関しては最も難しくて二次関数程度。しかし、彼女は独学と蒐集した先人達の数学書によって微積やベクトル、modやlogなどの概念にまで到達していた。当人曰く「これやってる時が一番楽しいんだよね」とのこと。この見た目で趣味数学とは、クラスにいたらそれなりに引くレベルである。現代にいたら数学科の院とかまで行ってたんじゃないか?

 正直ああは言ったが、エメリーに実家に帰られてはかなり困るのだ。今帰られてしまっては計画が始まる前に頓挫してしまう。俺は意を決して口を開いた。


「……少し良いですか?エメリーちゃん」

「?どうかしたの?マイちゃん」

「もし、私が卒業したら起業するって言ったら、エメリーちゃん、付いてきてくれますか?」

「それって……」

「……はい。もうしばらく、一緒になっちゃいますけど」

「……もちろん!マイちゃんとだったら喜んで手伝うよ!……えっと、本当にあたしなんかで良ければ、だけど……」

「エメリーちゃんだから誘ったんです。他の誰にもまだ話してません。ノアにだって、私話してないんですから」

「ふふっ、あたしがお初かぁ……なんだか悪くないや」


 二人で顔を合わせて笑っていると、ガラッと教室の戸が開く。厚手のコートに袖を通したノアだった。彼女は俺達が並んで話しているのを見つけるなり、両手の人差し指と親指で四角を作り「カメラ」を構える。


「あ、ノア。お疲れ様で──」

「いえ、結構です。事情は理解したので。確かにマイ様もエメリー様も年頃です。そして年頃の子供が放課後の空き教室でやることなどただ一つ。どうぞそのまま乳繰り合ってくださいな。私としてもエメリー様が将来の奥方となるのであれば万々歳です。あ、何枚か取ったら退散しますのでそこはご安心を」

「いやノアさんこれはそういうんじゃなくて……ってそういうこと微塵もしてないんだけど?!」

「っていうかノア早口すぎです」


 そして俺の起業の話も含めてノアに話すと、「チッ」という明らかに不機嫌な舌打ちの後、「ま、そういうことでしたら……」と俺達に傘を渡しながら答える。


「あ、エメリー様。マイ様とそのような話がありましたらいつでもご相談くださいね」

「あ、うん……」

「そういうの良いですから、さっさと帰りましょうノア。凍傷で私の手そろそろ腐り落ちちゃいますよ」

「かしこまりました」


 ◇◇◇


「うっわ、また雪強くなってますね。本当最悪です」

「ノアさんそんな雪嫌いなの?」

「大嫌いです。私が神なら雪なんて冷たいだけのゴミみたいな物も概念も絶対作らないので。……ま、そうなってないってことはやっぱり神なんてものはいません。聖職者とか全員馬鹿です」

「その神の否定の仕方凄いですね。エゴに溢れきってます」


 しんしんと降る雪、なんてものであれば年の瀬に向けて風情もあったであろうが、生憎叩き付けるような猛吹雪。俺はほんの僅かな申し訳無さを感じながらエメリーとノアを風上の盾にしながら歩いていた。


「そういえば気になったんだけどさ、ノアさんって給料貰ってるの?マイちゃんあげてる?」

「……あ、言われてみれば渡したことないかも……」

「……えノアさん無賃労働?」

「いえ、死ぬ前にモーゼ様から150年分一括で頂いてますよ。最初は100年分だったんですけどなんとか交渉でもぎ取りました」

「1.5倍の賃上げ呑むとか頭おかしいんですかねお父様?まあ全然覚えてないんですけど」

「モーゼ様……まぁ、良い人ではありましたよ」

「良い人からもぎ取るとかほぼほぼ詐欺じゃんノアさん……」


◇◇◇


 そして、さらに数ヶ月。水面下で開業準備なんか進めていたら、時間は本当にあっという間だった。気がつけば雪解けの時期はとっくに過ぎて、花が咲き始める春が始まっている。俺はエメリーと手を繋ぎながら、最後の登校を迎えていた。


「あっという間だったね、マイちゃん」

「はい。小説だったら数話分くらいでしょうね」

「あっは、そうかも」


 二人でゆっくりともう見ない風景を味わいながら歩いていると、ひゅんと吹いた春風が俺の羽織ったカーディガンに花びらを添える。それに気がついたエメリーはそれをパッと取り、俺に見せてくる。甘い香りがした。


「そういえばさ、マイちゃんは起業して何かやりたいこととかあるの?」

「やりたいこと、ですか?」

「うん。まだ一回も聞いてないでしょ?」

「確かにそうですね。私は……」

「私は……?」

「……はい。私は、全てをやりたいんです。薬草から、戦争まで」

「……何それ、すっごい楽しそうじゃん!」

「でしょう?」


 気がつけば、俺とエメリーは最後の校門をくぐっていた。

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