赤い手帳

ショーンティン

第1話

赤い手帳


藤井は日本橋に6階建てのビルを持つ会社の社員である。

中肉中背、30代半ばのごくごく普通の男である。週に3日は残業があり忙しい毎日を送っている。

4月のある日、残業を終えてエレベーターを降りようとしてドアが開いた真ん前に目立つ赤色の手帳が落ちていた。踏んではいけないので反射的にそれを拾った。

たまたまその時は周りに誰もいなかった。

当然誰が落としたのかは分からない。仕方なくそれをカバンに入れ家路についた。

藤井の心の何処かに、見ず知らずの人の秘密を垣間見る期待と好奇心がうごめいていた。

独身の藤井は家に着くと、風呂そしてビールを飲むというルーティンの中でかばんから赤い手帳を取り出し僅かな興奮を抑える様に最初の1ページを開いた。

その時藤井が気づいたのはこの手帳はスケジュール帳では無いということである。

読み進んでみるとこの中は、この手帳は確かに女性のものであろうと思われる彼女が自分が感じた事を喜び、悲しみ、恨みの感情を自由に表現して書かれている。

その中の気になる事が書かれていた。

いわゆる不倫を思わせる内容のものである。

燃える様な愛の心の内、憎しみを思わせる嫉妬。読む方の藤井を驚かせ、手帳を拾った事を後悔させた。一気に読もうとしたが疲れが先に立ち知らず知らずのうちに眠りに入っていた。翌朝は快晴。藤井は手帳の事が頭の片隅に有りながらもいつもの様に出社した。

しかし、この日はいつもの様にとはいかなかった。片隅にあの赤い手帳ことが頭から離れなかった。あの手帳は同じ会社の女性社員である事は間違いない思っている。と言うのはあの時間帯に外部の人間が居るとは非常に考えずらいからである。

藤井の心の中で持ち主は誰かと言う興味が沸々とわいてきた。

そんな藤井もやがて仕事のモードに入り手帳の事を忘れ仕事に集中し、そのままいつもの様に定時をむかえた。今日も又残業と、いつものパターンで仕事を終えた。帰り支度の頭の中にはすでにあの赤い手帳が浮かびあがっている。藤井の頭には何か楽しみを見つけた様な感覚になって帰宅しいつものようにビール飲みながら昨日拾った手帳をテーブルに置いてその続きを楽しむ様にページをめくった。

そこには不倫相手とおぼしき人物が最近冷たくなり会うことも避けている様でその恨みを長々と書かれていた。同時に次回のデートを❤️のマークを付けて書かれていた。別な女性でもできたのではと言う不安な心が長々と書かれていて、そこからは何となく精神バランスの悪さが伺う事ができた。それ以外に書かれていたのは数字、記号の羅列である。仕事上のものなのかわからない。

その中の「kさんは」で始まるその書き出しに藤井は知る限りのkで始まる名前の上役、先輩、同僚の顔を思い浮かべた。文章の流れからkさんは同じ会社の人間である事は間違い無さそうである。

知る限りの中からは不倫と繋がりそうな人は浮かび上がらなかった。他の階、他の部所かも知れない。

その後のページには何もかかれてはいない。気になるとすれば数字と記号である。その意味は全く分からない。

藤井はその手帳を隅から隅まで開いてみたが

持ち主を知らせる者は何もなかった。

ただ分かることはこの持ち主はきっと落とした事を悔やみハラハラしているだろう事である。同じ会社の誰かに拾われたと思えば、彼女は思い悩み同僚を見る目も変わっているはずである。

日が経つに従ってAさんはその手帳のことも忘れ記憶も薄らいで行った。


5月の連休を前にしてある日、同じ会社のSさんが急死したと言う話が会社の中で広まりそれが不審死だったので噂は大きくなっていた。藤井の頭の中では亡くなったSさんと手帳の中にあったkさんが自然と結びついていた。藤井はその亡くなった人の頭文字がkでなかったので、違うかなと思ったが下の名前が何なのかが気になった。二、三日後に分かったのだが下の名前の頭文字がkだと知った時に背筋に冷たいものが走った。

藤井は頭の中で、手帳を落としたのは女性であり、同じ会社に居て藤井とは顔を合わせる程の時間差の中に居た女性社員、と言うことを確認するように思い返した。手帳を落とした女性もそれを拾った人間は同じ会社の誰かである、と確信しているだろう。精神状態もそれを境に乱れているはずである。

手帳を落とした女性社員はこのビルのどの階にいるのか。

さて、ここで藤井について言えば彼はごく普通の青年であり趣味はギターでアコースティックと呼ばれるものをかなり上手に弾くことができる。会社のサークルにも入っていたので、これを通してその中の誰かに他の課の事も知りたいと思った。そのメンバーの中で気になる存在の堀と言う女性がいる。その女性から会社の様々な情報知りたいと藤井は思った。

そのなかの気になる一人で堀と言う女性に次の日曜日に渋谷で会う事になった。

個人的に二人で会うのは初めての事である。

堀はなかなかの美人でこの手帳の問題がなければ一歩も二歩も踏み出せる相手では無かった。

当日、日曜日。快晴。

二人はルノアールと言う喫茶店に入った。

落ち着いた雰囲気の中で藤井は緊張気味である。

堀「貴方からデートの誘い。ちょっと驚きね、何かあったの?」と嫌味なく話し始めた。

藤井「この前貰った譜面の分からないことがあって」と取り止めもなく話し始めて、なんとか話をkさんの話へもっていった。

すると、堀の居る3回ではその話で色々情報が流れていると話した。

堀「私、一つ気になる事があるの」と藤井に話し始めた。

この話に藤井の心は揺れ始めた。

藤井「何?」と聞き返した。

堀「今回の事件とは関係ないんだけどね。

 うちの課の課長のパワハラが話題になってい

 るの。噂を聞いていない?」

 「今までもそんな感じだったけど、最近は

 ちょっと目に余るわ」

藤井「最近?」

堀「そう」

藤井の頭は忙しく動き始めた。

それから取り止めのない話をして別れることになったが、又会う?の問いかけに堀は意外にも嫌な顔を出さず「良いですよ」と答えた。

藤井の心は一気に弾んだ。


女性と初めて心を開き話ができた喜びで、翌朝の光を格別な想いで目覚めた藤井は昨日の事を思い返した。

赤い手帳と堀と言う女性とが交錯している自分を藤井は不思議な感覚で捉えている。

藤井は毎朝のルーティンを繰り返し出社。

電車の中で浮かび上がる赤い手帳。この事を知り合ったばかりの堀に伝えるべきか。藤井の心の中ではこの件を一人だけで抱える事に自信が無くなっていた。誰かと共有したいのである。心の負担を軽くしたいと思っている。そう思えばここからの先は早い。

すぐにでも堀さんに話したいと思いメールを入れた。すぐに返信。次の日曜日同じ場所と時間で決まった。藤井の心は待ち遠しさでゆれている。

そんな中、kさんの死因は薬物中毒と大きくテレビ報道されている。kさんの周辺の警察による聞き込みは当然社内にも及び落ち着かない雰囲気は仕方のない。仕事上でkさんに電話した人間は全て捜査対象であるらしい。

(これからはkを苗字の立花と呼ぶ)

しかし、そこから疑わしい人物は出ていないらしい。堀とのデートでその辺りを聞くのを期待しながら日々の仕事をこなした。

土曜日、藤井はこの赤い手帳を手に取り新ためて読み返すと立花が別の女性二人と交際をしているのでは、と疑っている事が書かれている。一人は居酒屋の店員、もう一人はドラッグストアの女店員である。確かに立花は長身でハンサムである。しかし結婚をして2人の子供もいる。

読み返すうちに一日の疲れに襲われ藤井は眠りについた。

翌朝、快晴。堀と渋沢で待ち合わせ。

藤井の毎朝のルーティン。ただ今日の服装は会社へ行くものと違う。鏡の前に立つ事数回。やっとそれで満足し

赤い手帳をバッグにしのばせ渋谷のあのカフェへと駅へ急いだ。

外から見ると店内の窓際に堀さんが居て手を振ってくれている。藤井の心の何かが一気に弾けた。

弾む心を抑えるように藤井は堀の隣に座った。とりとめのない話を交わした後、藤井は思い切って今までの出来事を細かく話し「これがその赤い手帳だ」と言って堀の前に赤い手帳を置いた。

堀は事態をうまく飲み込めてはいなかったがそれを手に取った。

藤井「拾った時間からしてこれは社内の人間のものだと思う。時間は9時頃」

堀はそれを見て僅かに驚いた様である。

しばらくの沈黙の後

堀「もしかしたらこれは、課長・・・。珍しい鮮やかな赤なので、課長のじゃないかしら」

藤井「これ見た事があるの?」

堀「確かじゃ無いけど、こんなに鮮やかな赤はもしかしたら・・・」

藤井「中も見てくれる?」

堀は読むうちに引き込まれる様に沈黙が深くなっていった。


堀がつぶやいた「課長」とは堀の直属の上司である。美人で一流大学を出て会社では知らぬ者は無い存在である。当然、藤井も知っている。

堀「亡くなった人事部の立花さんとうちの課長が不倫関係だなんて、ショック!」、と驚きを隠さなかった。

その女性課長は名前を結城と言う。

この二人の関係は誰も知らない。

藤井「驚いたなぁ。相手があの課長とは。これが本当なら驚きだね」

藤井「Kとは人事部の立花さんだと言う事は分かった。殺されたか病死かどうかは調査中という事になっているね。でも、ほぼ殺人事件という事で報道していて、それも毒物を使ったらしいね」

堀「先走ってこの手帳を警察に持って行くのも早すぎるわね」

藤井「そうだね、様子を見守った方がいいよね」

この日はサークルの話や音楽の話で盛り上がり2人の仲はみるみる近づいていった。

次の朝の報道で、あの事件で使われたのはトリカブトではないかと具体的な話がなされていた。

何故に、何処で立花は薬物を飲まされたのかとコメンテーターは言っている。

殺された立花が心臓に疾患がある事を知って少しづつゆっくりと死に至らしめたのか、とか、

さまざまな人がさまざまに推理をしても事件が明らかになる事はなかった。間違い無く暗礁に乗り上げている。

この日の夜のニュースで、藤井の会社の近くのドラッグストアの店員が満員電車の中でカッターで足の付け根の大動脈を切られ重症のニュースが流れた。一命は取り留めたとニュースは言っている。ぼんやりとそれを藤井は聞いていたがその頭の中に赤い手帳の映像が映し出された。

その内容と繋がるような気がして藤井はすぐに堀に電話をして、手帳の中のドラッグストアの女性と一致しないかと同意を求めた。

堀「これは大変なことよ。連続殺人事件に発展しかねないわよ。どうする?」

藤井「どうすると聞かれても、どうしようか。」

藤井はこの赤い手帳の存在が日増しに大きくなって行くのに驚きと不安を抱いている。

堀「今週の土曜日はどう?」

藤井「いいよ!会おう!」

藤井の心は会えることの喜びと彼女が藤井に好意を持っている事を隠す事無く接してくれているので喜びに溢れていた。

土曜日の朝は生憎の雨。渋谷のハチ公付近で待ち合わせ一つの傘で腕を組み夕方の雑踏の中を雰囲気のありそうな一軒の居酒屋を見つけそこへ入った。

大変な混み具合と話し声が店に充満していた。

これならどんな話も聞かれることは無いなと

藤井はおもった。堀も同じであった。

堀「驚いたわね!」とドラッグストアの女店員が刺された事件を言った。

藤井「本当だね!」

「手帳の話が歩き始めたね」と藤井。

堀「手帳を警察に持って行くなんて言わないでね。そんなことすると私達、面倒に巻き込まれるわ。それは嫌!」

藤井「俺も嫌だね!」

堀「あの結城課長がカッターナイフを持って人を傷つけるなんて想像も出来ないわ!」

事は重大な事態になっている。

2人はもう一度、ゆっくりと手帳を読み直し考えてみようという事になった。

翌朝、ニュースをぼんやり聞きながら、このデジタル時代に疑いのある発信、着信があっても良さそうに思うがそれが全く無いのは不思議だと藤井は思った。

不倫相手の結城課長の名が出てきてもよさそうなのだが。

殺された立花と結城課長はどの様にデートの日時をお互いに伝えたのか。

この問題を解く鍵はやはりこの手帳にあるのだ。それと知りたいのは二人の行動である。

結城課長のよく知られた行動は決まったように

近くの公園のテーブル付きベンチに座って缶コーヒーを飲む姿であると、藤井は堀から聞かされた。数少ない彼女の習慣らしいが一日の疲れを癒している様だと言うのである。

それを聞いて藤井はその日定時に退社し例のベンチへ向かった。一つしか無いベンチなので間違い無く結城課長ぬ座るベンチである。

テーブルも付いて書き物もできそうである。

ぼんやりとそのテーブルを眺めるとR2/6 7 R2/12 8 が小さく意味ありげに小さく幾つも書かれていた。藤井がそれが気になったのは赤い手帳の中にRとそれに続く数字の列が意味ありげに並んでいた事を思い出したからである。

藤井「Rと数字か・・・」と呟き、その意味も分からないままに藤井は家路をいそいだ。


ドラッグストアの店員が刺された事件によって

乗客は混み合った電車を避けるようになり、のりこんだ乗客も周りを気にするようになった。

面倒くさい事になっている。

藤井はいつものように車で営業に出かけ高速に乗ったがその間も頭に浮かぶのは手帳の事である。

藤井はハンドルを握りながら思い出しているのは堀が同僚から聞いた話の結城課長は仕事を終えるとよく近くの公園のテーブル付きベンチに座って一日の疲れを癒していると言う事だ。この行動は何かと関係があるのか?そこで立花と結城課長が待ち合わせるとなると人目に立ち、きっと噂になるだろ。

藤井は二、三度見たことのある美形の結城課長の姿を思い出していた。

藤井は家に帰ってもう一度読み直そうと思い家路に急いだ。帰るとすぐに手帳を開きあのRのところを見つけ公園のテーブルにあったものと思い比べて見た。

手帳にはテーブルに書かれたもの以外に

・・3.14 R 33 1 6 7 1 13 4 4 6 1・・

と書かれたものがある


藤井は直ぐに堀にメールし今日、あのベンチに座り「意味不明な記号と数字をみつけた」と手帳のなかの数字と記号を写メして送った。これらがが公園のテーブルに小さく書かれていた事も伝えた。



この夜遅く堀からメールがあり、この長い数字は電話番号だと知らせて来た。説明によると、R以下の数字は円周率の頭の数字からの何番目にある数字だと言う事である。

ちなみに、33は円周率の33番目の数字とすると0であり1は円周率の1番目の数字の3であるから

それをつづけると03-XXXX-XXX Xと言う電話番号になる。

藤井は堀の才能に感心した。と同時にこの番号に電話する事により事件の解決の光が差すような気がして期待に胸が膨らんだ。

この番号は何処に繋がるのか。藤井は堀にメールを入れ明日会う約束をした。そこへ電話をしてみようと言うことになった。興奮の中、藤井は眠りについた。


堀はいつものように仕事をこなしている。

結城は優秀の名の通りの仕事ぶりで殺人者の仮面を隠し美貌を全面に出している。

しかし、ドラッグストアの女店員の殺人未遂事件の捜査で同じ車両に居合わせたと言う理由で警察の捜査対象の一人になっていると社内で噂になっていたが簡単な聞き取りで終わったと話は伝わって来た。あれだけの混雑の中で犯人を割り出すことはきっと難しいに違いない。

結城課長は無表情の冷たい印象であるが、一度笑うと一転して魅力的な表情に変わるのでそれが社会に受け入れられる要素であり会社で出世の道を歩いている要因の一つである。それに加えて頭の良さがある。

藤井と同じように堀も又、あの電話は何処につながり誰が出るのか胸の高まりを抑えている。二人は定時を待ち、堀は時間をずらし藤井と一緒に会社を出るのを避けるようにして何時もの居酒屋を目指した。

今日は居酒屋の一番隅のテーブルに座り、まさに鼻を突き合わせる事が出来るくらいに体を寄せあい互いの愛を燃え上がらせていた。

藤井「手帳には暗号のように色々書かれているのは全てスマホのやり取りの記録を残さないように、二人が顔を合わせる姿を人に見せないようにするためだよね、違う?デジタルに頼らず全てはアナログを利用する。足がつきにくいからね。」

堀「私もそう思うわ!」

藤井「後を残さずって事だね」

堀「不倫だからそれぐらいの用心は必要かもしれないけど」

藤井は決断するように「じゃあ、あの番号、俺が電話するよ」

慣れた手つきで番号を押さえ穏やかに「ちょっとお伺いしたあのですが、そちらは予約制でしょうか?あそうですか、また電話させてもらいます。」そう言って藤井は電話を切った。

堀「何処だったの?」

藤井「ラディアントと言うレストランだったよ、きっとここで待ち合わせたと思うよ」

「何処にあるか今調べてみよう」そう言ってそのレストランを検索している。

藤井「渋谷駅近くのガード下のあたりだね、イタリア料理みたいだね」

堀「トリカブトを飲ませるとしたら、そのレストランか又はそこから先の何処かね」

藤井「殺された立花が違う女性と付き合い始めて怒りを爆発させた末の結城の犯行だろうね」

藤井は堀の瞳を見つめて言った。この仲睦まじい藤井と堀の関係を会社で知るものはいない。しかし、いずれは皆の知るところになるだろう思っている。その時はその時である。めでたくゴールイン。二人の望むところである。

数日して慌てたように藤井が「俺の所にドロボーが入り荒らされた!金目の物は何も取られていないけど」と堀へ電話が入れた。

藤井「まさか!あの手帳の事、勘付かれたんだろうか?」

堀「あの手帳の中の沢山の数字にまだ何かが隠されているかも、だから取り返そうとしたのよ」

藤井「そうかもな、とにかく警察が帰ったら又連絡する、でももう遅いから明日にするよ」と電話を切った。

あの結城と言う女性は何者なのか。

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