第14話 大神官を殺したのは誰か

 僕は王女を逃走用の馬に乗せて教会区からの脱出を果たした。

 教会の建物の外ではあちらこちらで衛兵たちが倒れていた。あらかたケイジが倒してしまったようだ。衛兵たちは気を失って倒れているか、倒れたままうめき声を上げている。


 たいしたものだ。これだけの人数相手に一人も殺さずに済ませてしまうとは。


 さて、これでスーパーノヴァは完全にお尋ね者、はたしてケイジはこの状況からどうやって民衆を味方に付けて王女救出劇へと転換するのだろうか……。

 今ここで考えても仕方ない。あいつに任せるしかない。


 そのまま駆け続けて森に入り、さらにしばらく進んだ湖のほとりで僕は馬を止めた。


「ここは?」王女は不安げに周囲を見回している。


 素性を隠した者に森に連れて来られたら、そりゃ警戒するよな。


「イニアの森です」と僕は努めて穏やかな声で応えた。


 王国の北にあるこのイニアの森は燃料になる木材や食べられる獣が少なく、道も整備されていない。陽が落ちてしまえばわざわざ入って来る者はおらず、身を潜めるには持って来いの場所だ。


 馬から降りた僕が王女に手を差し出すと、彼女は恐る恐るその手を握りしめて馬を降りた。僕は反対の手で月が輝く方角を指さす。


「少し歩いたこの先に鍛冶師の工房があります。そこを頼りなさい、きっと力になってくれるでしょう」


 そう告げて王女から手を離した僕は再び馬に跨る。


「あなたは一体何者なのですか?」と尋ねる王女に、僕は答えずに馬を走らせて森の中へと姿を消した。



◇◇◇



 湖をぐるりと反時計回りに移動し、王女が到着する前に先回りして工房へと移動した僕は部屋のドアを閉めて息を付いた。


「ふぅ……」


 天井にぶら下がるランタンに灯をともして椅子に座る。


 いやはやしかし、なんとかなった。冷静になってみれば教会から王女を救出するなんて無茶苦茶なミッションだ。今になってぶるりと背筋に寒気が走る。


「……」


 まあなんによせ、我ながらなかなかの演技だったではないか。

 このまま正体不明の美少女剣士としてやっていこうかな、などとは露ほどに思わない。もうこれっきりで十分だ。


 後は王女が僕の指示にちゃんと従ってくれれば、あと数分でこの工房にやってくるはずだ。


「……」


 来なかったらどうしよう……。途端に不安になってきた。迷うような道ではないが、たどり着けない場合は、森の中で一晩過ごすことになる。

 さすがにそれはマズい。

 もう少し待って来なければ探しに行くしかない。


 ドアがノックされたのはそんなときだった。

 僕は思わず胸を撫でおろして立ち上がり、ドアを開けると王女が立っていた。


 彼女は僕の顔を見るなりモノノ怪に化かされたような顔で目を丸くしたが、すぐにほっと息を付いて安堵の表情に変えた。


 さも何も知らない風を装って「シルヴィア王女!? どうしてここに!? 異端審問官に連れて行かれたって聞いて心配していたんです!」と驚いてみせる。


「心配をお掛けしました。教会から逃げてきたのです」


「誰かに見られないうちに早く中へ」


 道を譲るように王女を家の中に招き入れ、誰にも見られていないことを確認してからドアを閉めた。


「ごめんなさい、見つかればあなたも異端審問官に捕まってしまう危険があるのに……」


「僕なら大丈夫、疑いが晴れるまではここに身を隠していた方がいいよ」


 僕がにこりと笑うとシルヴィアはやっと笑みをみせた。しかし表情は未だ固く、疲労が垣間見える。


「ありがとう、ユウリ様」


「さあ、温かいお茶を用意するから椅子に座って」


 工房の作業用テーブルに着いた王女は、鍛冶道具が壁に掛けられた部屋の中をぐるりと見渡した。


「ここはあなたの工房なのですか?」


「うん、正確には父さんの別荘的な工房だけどね。それにしても今回の件、王位継承を狙った罠だって噂は本当かい?」


「ええ、まさか叔父様がここまであからさまな手段を用いるなんて……」


 声を震わせたシルヴィアは、自分を守るように両手で身体を抱きしめた。


「疲れているだろ? もう寝た方がいい、ベッドはないからそこのソファーを使ってよ。倉庫みたいな部屋で申し訳ないけど、ここなら教会の奴らに見つかるまで時間を稼げる。それまでにはきっと国王が手を回してくれるはずだ」


「すみません、こんなことになってしまって」


 恐縮するシルヴィアに僕は頭を振った。


「じゃあ隣の部屋で外を見張っているからゆっくり休んで」


 そう告げて部屋を出て行こうとする僕の袖をシルヴィアが掴む。


「あの……、その……今夜は、一緒にいていただけませんか……」


 シルヴィアは顔を伏せてそう言った。

 袖を掴んだ指先が震えている。気丈に振舞っているけど、本当は取り乱して泣き出してしまうほど一人になるのが怖いのだろう。


「分かったよ。今夜は傍にいるから安心して寝て」


 こくりとうなずいたたシルヴィアはソファーに移動して横になった。僕は彼女の体に毛布を掛けて床に腰を降ろす。


「今日は助けていただきありがとうございます」


「うん? 僕には匿うことしかできないけれど」


 王女は「そんなことはありません」と横になったまま首を振った。


「あなたが助けに来てくれたときは、本当に嬉しかった……」


「……えっ!? な、なんのことかな」


「隠してもダメです。たとえ声を変えても私には分かります。手を……見せてください」


 言われるがまま差し出した手を、王女は両手で包み込むように触れる。


「この手、ほら……さきほどの仮面の方と同じ、金槌を持つ鍛冶師の手、皮膚がとても厚くて硬い……」


「ひょっとして……最初からバレバレでしたか?」


「はい、バレバレでした」くすりと王女は微笑んだ。


「どうして聖剣を抜いたのに自分が勇者だと宣言しないのですか?」


「えっ!?」


 嘘でしょ? まさかそっちもバレバレですか!? なんで? どうして??


「ユウリ様が勇者を名乗りたくない事情はなんとなく分かりますが、なにか人に話せない理由があるのですか?」


 シルヴィアは全部お見通しだ。僕が盗んだと確信している。これは誤魔化すのは無理だろう。


「……そ、それは」


「それは?」


「ただ、欲しかったんだ……。特別な理由なんてなにもない。ずっと傍に置いておきたかったから、それだけです」


 そう答えると彼女は困った顔で微笑を浮かべた。


「そのせいで国が混乱し、多くの人を困らせました。現在もみんな困っています。ただ欲しい、それだけのために聖剣を盗むなんて……」


「返す言葉がないです。敢えて言い訳をさせてもらえるなら、レプリカを作って偽装もしたし、誰も困らず上手くいくはずだったんです……」


「ですが、羨ましい」


「羨ましい?」


「はい……。私も、いつか誰かにそう言われたいものです。『ただ欲しい、だから奪いに来た』と。なんてロマンティックなのでしょう」


「あの、王女、このことは――」


 彼女の指が俺の唇に触れる。


「分かっています。ふたりだけの秘密、ですね」



 そして翌日、無事に朝を迎えることができた僕らは、昼過ぎに工房にやってきた父から大神官が何者かによって殺されたことを知った。




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