エピローグ

第46話 船にゆられて

 俺たちは無事に救助された。


 戦後70年の日に、慰霊のために島を訪れた人たちが、俺たちを発見してくれたそうだ。もしかしたらと思って狼煙をあげてみたのだが、非常に幸運だったと言えるだろう。本来は、上陸は難しいので遠くから島を眺めるだけにするつもりだったらしい。


 船に乗っていた人たちは、俺たちにとても驚いたようだった。あの島は戦争が終わってからずっと無人で、まさか人が居るとは思わなかったようだ。しかも、それが3ヶ月前の事故で行方不明になった高校生3人だったから、俺たちが事情を話してもなかなか信じてもらえないほどだった。


 今回、慰霊の船旅が企画されたのは、あの島の生き残りの人のためだったそうだ。当時、兵士だったその人は、負傷のため、補給にやってきた船で島を離れたらしい。俺たちは、強くお願いしてその人に会わせてもらった。どうしても、渡したいものがあったからだ。


 島の生き残りは、90歳を越えたおじいさんだった。その人は車椅子に乗り、しわだらけの顔に穏やかな笑みをうかべていた。俺たちは、島の洞窟で見つけた背嚢はいのうと手帳を渡した。

 おじいさんは、驚いたように手帳を見つめていたが、中身を見て静かに涙を流した。きっと言葉に表せないほどの様々な想いがあったのだろう。俺たちは、おじいさんと心のこもった握手をしたのだった。


 肩の荷が下りた気分になった俺たちは、疲れて眠ってしまった。ゆっくりと海の景色を楽しみたかったのに、気がつけば船は港に到着していたのだった。


  ***


 連絡が届いていたのか、港では俺たちの家族がすでに待っていた。


 浜本美波はまもとみなみは家族の姿を見るなり、泣きながら走っていった。途中でつまづきそうになったが、彼女の家族がぎりぎりのところで手をつかんだ。


 潮見夕夏しおみゆかは立ち尽くしたまま、声を出さずに泣いていた。彼女の家族がかけよってきて、小さな身体を抱きしめたのだった。


 俺の家族、母さんは涙を流していた。隣に立つ父さんは、ぐっと何かをこらえるかのような表情である。胸に熱いものが込み上げてきたが、俺はあえて我慢した。涙を我慢してうなずいて見せると、父さんも同じようにうなずき返してくれたのだった。


 無事に家族と再会して、俺たちは本当に帰ってきたのだと実感することができたのだった。


  ***


 そこから先は、めまぐるしく出来事が進んでいった。

 てっきり家に帰るのかと思っていたが、俺たちの行き先は海のそばにあるホテルだった。どうやら、事情の聞き取りや健康に問題がないか医者の診断を受けるためらしい。


 島では毎日、何か食べるものを探したりシェルターの手入れをしたりして過ごしていたので、いきなり多くの人と話すという状況に戸惑ってしまった。正直、面倒だなと思ったのだが、俺たちを探してくれていた人たちに事情を伝えるためでもあると聞いたので、がんばって対応することにした。  


  ***


 夜中になって、急に目が覚めてしまった。疲れて早めに眠ってしまったのと、やわらかすぎるベッドが原因なのかもしれない。俺は、眠っている両親を起こさないようにして、そっと部屋を出たのだった。


 向かったのは、ホテルの屋上である。

 今まで野外で生活していたので、狭い部屋に居ると落ち着かないのだ。それに、本来は快適なはずの空調がどうも気になってしまう。なぜか、草木の匂いが恋しい気がした。とにかく、外の空気を吸いたくなったのである。


 もしかしたら立ち入り禁止かな、と思ったが屋上は開放されていた。高く頑丈そうな金網があるので、安全面に自信があるということだろう。風景でも眺めようかな、と金網に近づくと先客がいた。


「守川さん、こんな夜中にどうしたのですか。わたしは、眠れなくてちょっと出てきてしまいました」


 ワンピース姿の潮見さんが、穏やかな笑みを浮かべた。つややかな髪が夜風で、ふんわりと揺れている。


「俺も眠れなくてね。部屋は快適なはずなんだけど、逆に落ち着かないんだ」

「ふふ、わたしと同じです。帰ってきたっていうのに、おかしな話ですよね」

「そうだね。隣、いいかな」

「どうぞ、遠慮しないでください」


 俺は潮見さんの横に立って、街の夜景を眺めた。夜中だというのに、人の暮らす街は星空よりも明るい。


「何を見ているのですか?」

「なんとなく街の様子を見てるんだ。こんなに沢山の人が起きてるって、島でいたときは考えなかったなって」

「ふふ、暗い夜は寝ることしかできませんでしたからね。……あれは何でしょう?」

「えっ」


 潮見さんが、遠くを指さしたので目を凝らしてみる。だが、ぼんやりとした街の明かりがあるだけで、これというものは見当たらなかった。あきらめて隣を見ると、潮見さんの姿がない。

 不意に、背中にやわらかい感触があった。ふんわりしていて、とても良い匂いがする。しばらくして、潮見さんが俺の背中に抱きついていることに気づいた。


「……潮見さん」

「ずっと、こうしたいと思っていたんです」


 潮見さんが、ふるえる声で背中から手をまわしてきた。


「あの島で、初めて夜を迎えたときのことを覚えていますか? 岩場でかたまって過ごした夜です」

「ああ、遭難初日だね。あのときは、これからどうなるか不安でいっぱいだったな」

「わたし、もう駄目だなって思ってたんです。風の音とか波の音が怖くて……夜なのに、外でおびえているなんて、どうしてこんなことにって、そんなことばかり考えていました」

「そうだったんだ。……俺は何とかしなきゃ、とは思ってたけど、うまく頭が働かなくて」


 俺は潮見さんの手に、自分の手を重ねた。思っていたよりも小さくやわらかな感触だった。彼女は、この手で過酷なサバイバル生活に耐えてきたのだ。


「あのとき、守川さんは岩場の外を警戒してくれてたんですね。わたしは自分のことで精一杯なのに、みんなのことを考えてくれているんだなって、すごく頼もしく感じたんです」

「うーん、あの島に危険な動物なんて居なかったんだから、今となっては恥ずかしいな。俺は色々と気負いすぎてたと思うよ」

「そんなことないです」


 潮見さんが、ぎゅっと抱きついてくる。


「あの島の生活、守川さんがいてくれたから、今までがんばってこれたと思うんです。2日目にシェルターを作ってくれたときは、本当に嬉しかった。もしかしたら、大丈夫かもしれないって希望が持てたんです」

「俺だけじゃなくて、シェルターはみんなで作ったじゃない。潮見さんも、すごくがんばってたと思うよ」

「いいえ、わたし体力もないし、何もできなくて……」

「そんなことないじゃない。潮見さんの知識には何度も助けられたし、冷静に物事を見られる人がいるって大事なことだと思うんだ。俺が、島のことで色々と勘違いして悩んでたときも、夜中に相談に乗ってくれたよね」


 あのときは、海を見ながら2人で話したのだっけ。


「俺からすると、潮見さんが居てくれたから無事に帰ってこれたと思うんだ。もちろん、浜本さんもだね。みんなが、それぞれがんばったおかげだよ。そういえば、きちんとお礼を言ってなかったよね。……一緒にがんばってくれてありがとう」

「そんな、わたしの方こそ……ありがとうございます。わたしたちを守ってくれて、もう一度ここに連れ帰ってくれて……」


 後ろから聞こえる潮見さんの声はふるえていた。彼女はどんな表情をしているのだろう。

 俺が振り返ろうとした瞬間、ガシャンと何かが落ちる音がした。


 驚いて音の方向を向くと、屋上の入り口近くで、浜本さんがしゃがんで何かを探していた。彼女の足元には、ジュースの缶が転がっている。おそらく落としてしまったのだろう。

 そんなことを考えていると、浜本さんと目が合ってしまう。彼女はイタズラが見つかった猫のように飛び上がった。


「あっ、あの、あたしね、眠れなくて屋上に来てみたら、2人が話をしているのが見えたの。せっかくだから、一緒にジュースでも飲もうって買いに行ってたんだけど……戻ってきたら、あうう」


 俺の背中には、潮見さんが抱きついたままの状態だった。


「ご、ごめんね。あたし、お邪魔だよね」


 どうしようか困っていると、潮見さんが落ち着いた様子で浜本さんに声をかけた。


「そんなことないですよ。せっかく、また3人で集まれたのですから、一緒にお話しましょう」


 浜本さんは迷ったようだが、ぎくぎゃくした足取りでこちらにやってきた。この時点になって、ようやく潮見さんは俺の背中から離れたのだった。

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