第18話 そろそろ洗濯したい

 苦労してヤシの実を収穫して食べた俺たちだったが、思わぬ副産物があった。

 浜本美波はまもとみなみが、果肉を食べたあとのヤシの殻を食器として使おうと言い出したのである。最初はちょっと良いアイデアぐらいにしか思わなかったが、使ってみると非常に便利だった。食事のときに、里芋やパパイヤを盛り付けたり、水を入れたりするのである。今までは、水を飲んだり手を洗ったりするのに、わざわざ水場に行かなくてはならなかったので、とても便利になった。


 ただ生きていくだけで精一杯な日々ではあったが、少しずつ生活しやすくなってきて、楽しさも感じられるように思う。

 そんなある日、潮見夕夏しおみゆかがあらたまった様子で話しかけてきた。


「あの、守川さん。少しお願いしたいというか、提案があるのですが」

「どうしたの? 何か困ったことでも起きたのかな」


 どこか、ぎこちない様子の潮見さんを不思議に思いながら、俺は首をかしげた。


「わたしたち、この島に遭難してから結構な日数が経過しましたよね」

「うん、世間では連休が終わって学校が始まってる頃だよね。俺たちは勉強もしないで、食べるものを探したりしてるけど」

「ふふ、そう思うと何だかおかしいですね。こんなことをしている高校生ってわたしたちぐらいだと思います。……えーと」


 おかしそうに笑った潮見さんだが、どうも歯切れが悪い。しびれを切らしたのか、浜本さんがずずっと前に出てきた。


「だからね……日数が経ってるから、その……洗濯をしたいの。着替えなんてないから、同じ服を着てるでしょ」

「ああ、そうだね。汗もかくから、においが……」


 におい、と口にしたとたん、浜本さんと潮見さんの表情が固くなった。余計なことを言うと、面倒なことになりそうだったので適当に流して話を進める。


「とにかく、洗濯ならすればいいんじゃないの? 衛生的にも良いだろうし。別に、そんな深刻な感じで言わなくても」

「……さっきも言ったけど、あたしたちには着替えもないから……」

「つまり、どういうこと?」


 浜本さんの言いたいことが、よくわからない。だいたい、洗濯なら水場ですればいいじゃないか。何も問題があるとは思えないが。いや、着替えが無いって強調してたな。あれ、着替えがないってことは洗濯中はどうするんだ。


「あっ、そういうことか。着るものがないから……」

「ストップ、守川君。口に出さなくていいから。……ご、誤解しないでほしいんだけど、洗濯した服が乾くまではパーカーをはおるつもりだから。へっ、変な想像はしないでねっ」

「わ、わかったから」


 真っ赤になった浜本さんに圧倒されつつ、俺はうなずいた。そうか、素肌にパーカーか……いや、余計なことを考えてはいけない。


「つまり、俺は予期せぬ事故が起こらないように遠くで居ればいいわけだろ。それなら海岸にでも行って、魚を捕まえる方法でも考えようかな」

「あの、注文が多くて申し訳ないのですが、あまり遠くには行かないでほしいのです」


 潮見さんが、すまなそうな表情で俺を見た。


「ここは、おそらく無人島ですから人は居ないと思いますし、危険な動物も今のところ見ていません。ですが、その……何かあったら不安ですので、声が聞こえるぐらいの距離に居てほしいのです。勝手なことばかり言って、すみません」

「いや、そんなの気にしなくていいんだよ。よく考えれば何が起こるかわからないし、俺の方も単独行動して事故にあったら困るからね。うん、心配しないで」


 俺の言葉に潮見さんは、ほっとした様子を見せた。なるほど、これが言いたくて彼女はぎこちない態度をとっていたのか。


「じゃあ、俺は水場からちょっと離れたところで、石の道具の手入れでもしながら待つよ。石斧とか作ってみたかったから、いい機会かも」

「じゃあ、お願いね。ただ、その……」


 何か言いかけて浜本さんは、言いよどんだ。だいたい、内容は察しがつく。


「わかってる。のぞくとか絶対にしないから。俺たち、この島で助け合っていかなくちゃいけないのに、そんなことしたら信頼関係が崩壊するでしょ」

「あう、ごめんね、疑ったわけじゃなかったの。念のためにね……」

「女の子にとったら重要な問題だから、気を悪くするとかはないよ。ただ、まぎらわしいことはしないでね」

「どういうこと?」


 浜本さんと潮見さんが、同時に首をかしげる。


「虫が出たとかで悲鳴を上げたりしないでよ。俺が誤解して様子を見に行ったりしたら、悲劇しか起こらないから。でも、本当に助けが必要なときは、ちゃんと言ってね」

「あうう、大丈夫、大丈夫。ピンチのときは、助けてってはっきり言うから」

「はい、気をつけます。虫ぐらいなら……大丈夫ですから。たぶん」


 女の子たちは、大げさなぐらいコクコクとうなずく。大事なことではあったのだが、何だか疲れてしまったので俺はそっとため息をついたのだった。


  ***


 水場から少し離れたところで、俺は石器の材料を地面に並べていた。女の子たちがしていることについては、考えないようにして作業に集中する。

 石斧を作ってみようとしたのだが、刃にあたる部分の石の切れ味が鈍い。そこで、頑丈な石を砥石がわりにして、刃を鋭くしようと考えた。つまり、磨製石器を作ろうというわけだ。


「石を使って石の刃をぐって、できるのかな。いや、金属の刃を研ぐ砥石も石だよな、素材が特別なんだろうけど」


 ヤシの殻に水を入れてきたので、石の刃を濡らして研いでみる。ごりごりと音はするが、できているかはよくわからない。きちんとした砥石を使っているわけではないから、簡単にはできないだろう。ここは忍耐強く続けてみるか。

 俺は無心になって手を動かした。黙って集中していると、心までが研ぎ澄まされるようだ。遠くから聞こえる波の音、鳥の鳴き声が心を穏やかにしてくれる。


「……ひゃっ、冷たい」

「……でも、身体を洗うのって気持ちいいですね」


 集中したせいか、耳が女の子たちの話し声を拾ってしまったようだ。はっきりとは聞こえないのだが、風向きか何かの加減でよく聞こえるタイミングがある。


「……んー、やっぱり、やせちゃったよねえ。ここの生活、ダイエットにはいいんだけど」

「……こういうときって、やせてほしくないところに限って、やせてしまうんですよね」

「……やせてほしくないところ……どこかなー」

「……きゃあっ、やめてください。もうっ」

「……あはは、ごめーん。でも……」


 くっ、やせてほしくないところってどこなんだ。いや、そんなことを想像してはいけない。そもそも、俺はこんなことで動揺するような軽々しい男ではないはずだ。

 修行だと思ってやろう。刃と共に心を鋭く鍛え上げるのだ。俺は、ときおり聞こえる声に心を乱されつつも、黙って石を研ぎ続けたのだった。


  ***


 このまま作業をしていたら悟りを開けるんじゃないか、と考えだしたところで背後に気配を感じた。


「ごめん、長く待たせちゃったよね」


 振り向くと、さっぱりした様子の浜本さんと潮見さんが立っていた。いつも一緒に居る彼女たちではあるが、なんだか新鮮な感じがする。


「あっ、その石の刃、すごく立派になっていますね。……すみません、それだけ時間がかかったということですよね」

「気にしないでいいよ。こんな機会でもないと、やろうって思わなかったからね」


 すまなそうに話す潮見さんに、俺はなんでもないかのように答えた。少し濡れた髪に、憂いをおびた表情の彼女に心がざわついてしまう。


「今度は、守川君が洗濯に行ってきたら? あたしと夕夏ちゃんは、ここで作業しておくから。小枝とツルを使ってカゴっていうか、物入れを作ってみるの」

「ぜひ、行ってきてください。洗濯もですけれど……か、身体も洗うとリフレッシュできますよ」


 潮見さんは身体を洗う、と言ったところで顔を赤らめた。俺は一瞬だけ余計なことを想像しそうになったが、自制心を総動員して顔に出さないようにする。


「じゃあ、行かせてもらおうかな」

「うん、ゆっくりしてくれていいよ。……守川君、虫が出ても悲鳴をあげたりしないでね」

「さすがに大丈夫だよ。それはメンツというかプライドとか色んな意味で大惨事になっちゃうからね」


 俺は、にこにこと笑う浜本さんと、顔を赤くした潮見さんに見送られて洗濯へと向かったのだった。

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