ポンコツ日和 ~アル中舞台役者、社会復帰を目指す~

酔いどれ天使

ep.1 僕が無職である理由。

 2024年3月現在、僕は札幌在住のしがない48歳で、悲しいかな求職中だ。

 いい歳をしたおっさんが何ゆえ無職なのかと訊かれれば、これには少しばかりワケがあるワケで、まずはそのあたりの積もる話を聴いていただきたいワケなのである。


 僕は以前、コールセンターでトイレだのキッチンだのといった水回り用品の故障修理受付を担当していたのだが、度重なるユーザーさんのクレームにココロを折られて完膚なきまでに病んでしまった。そうなるともう人間堕ちていくのは早いもので、もともと好きだったお酒に救いを求めることとなり、以来満身創痍の僕にとってアルコールは現実逃避のお供に欠かせい代物となったのだ。

 今からちょうど10年前の春、通勤途中の市電の車内で意識を失った。救急搬送された病院で検査をしても異常はなく、ストレスからくるものだろうということで精神科のⅩ病院を紹介された。このⅩ病院はアルコールをはじめとする依存症の治療を行う病院で、めでたく鬱病うつびょうおよびアルコール依存症と診断された僕は、その日のうちに入院することになった。

 入院は1クール3カ月。僕は仕事を休職し、アルコール依存症の回復プログラムを受けて治療に臨んだ。アルコール依存症は実に根が深い。根が深く恐ろしい病気である。恐ろしい病気ではあるのだが、コールセンター業務というのはもっと恐ろしい。復職した僕を待っていたのは、悪夢のクレーム対応の再来だった。

 ほどなく僕はもとの酒飲みに戻り、鬱病が再発した。会社を退職して2度目の入院をすることになるが、赤貧で医療費が支払えないためこのときから生活保護受給者となった。返上した健康保険証の代わりに僕が手に入れたのは、3級と記された精神障害者手帳だった。


 その後3度目の入院を経て、Ⅹ病院のデイケアに2年、障害者のための就労移行支援事業所に半年、B型作業所に3年、足かけ6年という歳月をかけて社会復帰のためのリハビリに専念した。そして2021年11月、契約社員ではあるが事務職の障害者枠に採用され、再び社会のピラミッドの中にカムバックすることができたというワケなのである。

 だがしかし、世の中そんなに生やさしいものではない。よりにもよって新型コロナである。仕事に就いてから1年余りが過ぎた2022年の暮れ、職場で発生したクラスターのために業務規模の縮小を余儀なくされた会社によって、僕は翌年2月いっぱいでの雇い止めを宣告された。

 さて、この年の僕の年越しがどれたけひもじかったことか。春を待たずにクビが決まっているしがない労働者の憐れやいかに。僕のような無学無才の枯れた中年は所詮、社会のヒエラルキーの最下層にも加われずに仕事を求めて彷徨さまよう流浪の民となるしか選択肢はないのだろうか。

 かくして僕は求職者となり、失業保険で生活する身となった。しばらくは自力で仕事を探してみたものの、いかんせん先行きが不安である。就活などというものは、僕の年齢を考えても人生の中でこれが最後にせねばという切実な願いというか決意というか、とにかくそういう思いもあって昨年5月より、新たな就労移行支援事業所へ通う日々を始めたという次第である。

 就労移行支援とは自治体の障害福祉サービスのひとつで、就労支援員・職業指導員・生活支援員の方々が、僕らいたわしい障害者の就労のためにビジネスマナー講座や履歴書の添削、企業見学・実習など様々な支援を行ってくれるという、早い話が障害者の職業訓練みたいなものだ。事業所を利用してサービス提供を受けられる期間は2年となっているのだが、生活源である失業保険の給付日数が360日となっている僕はおおよそ1年以内に新たな勤め先を見つけなければ収入が皆無になってしまう。

 何とか、今年度中に仕事に就きたい!


 2024年3月現在、僕は札幌在住のしがない48歳で、悲しいかな求職中だ。

 僕の悲痛な叫びもむなしく、2024年も3月が過ぎようとしている。就労先が決まる気配はまだない。そう、決まっていないのだ。これは由々しき状況である。失業保険の給付が終わる来月以降、僕はどうやって生きていけばいいのだろう。世間は新年度ということでそれこそ新鮮な空気に包まれているというのに、僕は明日の食糧に困りつつ、やがてひからびていくのだろうか。

 マジで孤独死してしまうので、対策を打つことにした。とりあえずアルバイトで生計を立てるという方法はあるが、どんなかたちであれいったん仕事をすると現在の就労支援は受けられなくなってしまう(そういうルールなのだ)。するとこれはもう、いよいよ最後の手段しかないということになる。

 というワケで、行って参りましたよ区役所の保護課に。

 かつて6年もお世話になった生活保護を再び受給するということに抵抗がなかったワケではない。以前の僕は常に後ろめたさを感じ、下を向いた生活をしていた。人様の血税でごはんを食べている後ろめたさ、申し訳なさ、みじめさ。そんな思いがありながら僕はのうのうと暮らしている。それどころかお酒まで飲んでいるではないか。事務職の採用が決まって保護が打ち切りとなり、真新しい保険証が届いときには小躍りして喜んだものである。そして誓ったのだ、「もう保護生活には戻らない」と。それがどうだ、わずか2年半でこのていたらく。情けない限りである。

 親族の反応も気になる。特養に入居している母は認知症が進んでいるので僕の状況を理解できないだろうが、兄や親戚はどう思うだろう。僕が生活保護という安全地帯に逃げていると思いやしないか。1年も就活して結果が出ていないのだから、僕が働くことを拒んでいると受け止められても仕方がない。

 とまあ複雑な思いはあるが、しかしどれだけ躊躇ちゅうちょしても僕に選択の余地などないのだ。いま生活保護を申請しなければ、僕は来月本当に飢え死にしてしまう。だからせめて半年だけ、あと半年だけこの国の福祉の力に助けていただいて、その間に何としても職を手に入れよう。

 保護課の窓口で相談に応じてくれた職員さんからは、4月に入ってからの申請を勧められた。4月には残り3日分の失業保険、1万数千円が支給されるので、それを受け取ったあとで申請をしたほうが生活保護の初回受給額を減額されることがないというワケだ(失業保険も収入になるため、保護決定後に保険の受給があると保護費が減額されてしまう)。


 なので私、来月から生活保護になります。生活保護というセーフティネットを敷いたうえで、半年以内の就労を目指しますのでそこんとこよろしく。

 しかしまあ言うまでもなく、世の中には様々な仕事があるものである。この中でいったいどんな仕事が僕にできるというのだろうか。自慢じゃないが僕は、資格や免許といったものを何ひとつ持っていない。この歳なので体力もない。自信もない。正社員として会社勤めをした経験がない。以前の仕事でエンドユーザー恐怖症になってしまったので接客ができない。そして何より鬱病持ちである。

 要するに、まるで役に立たないのだ。48歳にもなって即戦力にならない人材なのである。こうなるともう、社会不適合者と言わざるを得ない。まったく自分の不甲斐なさには辟易へきえきしてしまうが、それでも仕事は探さなくてはならないのだ。こんな僕に何ができるか皆目見当もつかないが、とにかく就活しなければならない必死な中年なのである。


 2024年3月現在、僕は札幌在住のしがない48歳で、悲しいかな求職中だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る