第19話 ココの娘 前編

~ススキ亭 応接室~

7月のある日、三輪は夫と一緒に龍兎様のススキ亭を訪れていた。

「龍緑様、奥様、ご足労いただきましてありがとうございます。」

龍兎様が玄関で出迎えてくれ、案内された応接室で鴨の妻が待っていた。


「ヤヤ様、お邪魔いたします。」

三輪は笑顔を作って鴨の獣人に挨拶する。

「奥様、ようこそおいでくださいました。」

鴨は深々と頭を下げる。腰が低いのは相変わらずだが、明らかに元気がない。


三輪たちがここに来たのは竜夢様のお願いという名の命令だ。


夫の一族から与えたヤヤの侍女はこの2ヶ月で3回も代わったらしい。

理由は侍女の嫌がらせ。

1人目はヤヤの宝石を盗み、2人目はヤヤのお気に入りのドレスを切り刻んで捨てようとし、3人目は龍兎様の留守中にヤヤを物置部屋に閉じ込めたらしい。

陰湿すぎる・・・

ヤヤはすっかり塞ぎこんでしまい、鴨の雛の侍女以外はリュウカの部屋に入れず、部屋に閉じこもってしまったそうだ。

困った龍兎様が竜波様に相談したところ、三輪ならヤヤに嫌がらせをすることはないだろうということでススキ亭で食事会をすることになったのだ。

ヤヤを元気付けるためといわれたけど、いい迷惑じゃないかな?

序列が上の夫と三輪が来たらヤヤは部屋から出て来ざるを得ない。

無理矢理、部屋から引っ張り出されるのと変わらない。

気の毒だが、三輪にも拒否する選択肢はないのだ。

それにしても話題に困った。

侍女の嫌がらせを知っていることは言わない方がいいだろうし・・・あ!


「可愛い~鴨族の石細工ですか?」


三輪は窓際の棚に飾られている手のひらサイズの置物を見て、ヤヤに話しかけた。

「は、はい。嫁入りの時に持ってきたものです。私が孵化した時の姿がモデルらしいです。」

ヤヤの表情が少し和らぐ。

「ヤヤ様は生まれた時から美しい羽の色をされてたのですね。」

「え?そんなとんでもないです。奥様の黒毛の方が何倍もお美しいですわ。」

定番のお世辞の言い合いをしているところに鴨の雛の侍女と白黒の犬の侍女が食事を運んできた。

雛といっても150近い獣人だ。三輪と背丈はほとんど変わらない。


食事中、龍兎様は色々な話題をヤヤに振るが、ヤヤは素っ気ない。

なんだか龍兎様が気の毒になってきた・・・来客の前くらい夫の龍兎様の顔をたててあげてもいいのになぁ。

三輪の隣の夫は・・・気をつかってヤヤがスルーした話題を拾って龍兎様と会話している。


「奥様、手袋をしたままではお箸は難しくないですか?」


龍兎様の質問に夫の顔が険しくなった。

「あ、いえ、大丈夫です。」

三輪は作り笑顔でそう答えたが、夫の顔は怖くて見られない。


 2日前、夫の留守中にこっそり庭に出た。

夫も留守中に妻が庭に出るのを禁じていたのだが、三輪も奥様と同じくそんなこと聞いていられない。

睡蓮亭の使用人たちの目を盗んでこっそり庭に出て綺麗な花を見て回った。

侍女のクーラはついてきたが止められはしなかった。

池のほとりに見慣れない赤い実をつけた植物を見つけ、触っていたら手がかぶれて痒くなり、爪で掻いていたら血が出てきて・・・帰ってきた夫が血の匂いに気づいて大騒ぎになってしまった。

黙って庭に出たことも白状せざるをえず・・・夫は原因になった赤い実の植物を全て焼くように命じて、庭師の桃さんは徹夜で作業するはめになったらしい。

ごめんなさい


そこまでしなくてもと思うが、怒った顔の夫には何も言えなかった。

夫に2~3発殴られるかと覚悟したけど、殴られるどころか怒鳴られることもなかった。

それどころか、三輪が怪我したら心臓が止まりそうになるから留守中には庭に出ないでくれと涙目で夫に言われ、三輪は苦笑いしてしまった。


言動が旦那様そっくりだ。


シュシュ先生からもらった人用の痒み止めが効いているけど、手にはまだ赤みが残っているので、今日は肘まである薄い白手袋をしてきたのだが、やっぱり気づかれたなぁ。


「失礼します。デザートと食後のお酒をお持ちしました。」


鴨雛の侍女がフルーツの盛り合わせと丸いガラスの酒瓶を持ってきた。

コルクせんを抜いて新しいワイングラスにお酒を注ぎ、三輪の前にも置いてくれた。


『うわ・・・』


三輪は匂いを嗅いで驚いた。

「へーいいお酒だね。」

お酒を飲んだ夫は感心している。


「龍緑様と奥様がいらっしゃるからとっておきのラム酒を出してきたんだ。奥様もお酒がお好きと伺ってますが、いかがですか?」


龍兎様が嬉しそうな顔で三輪にも尋ねてきた。

「美味しいです。」

三輪は笑顔を作って嘘をついた。


匂いからアルコール度数がかなり高いお酒だとわかった。

お酒は好きだけど、もう食事中にもそこそこ飲んだし、醜態を晒さないようにこのラム酒は飲むふりをすることにした。

獣人はお酒に強いようで鴨妻のワイングラスはもう空になっている。

いや、夫と龍兎様はもうおかわりしてるし・・・

すご!


三輪はフルーツに手を伸ばした。

「奥様もフルーツがお好きですか?」

ヤヤが久々に話しかけてきた。

「はい。鴨族のフルーツは特に美味しくて大好きです。」


奥様のおそばにいた時はよくおこぼれをもらってタタさんたちと食べていたし、結婚してからは毎月、夫が鴨族のフルーツをプレゼントしてくれる。


「ありがとうございます。族長の奥様が気にいって下さったおかけで鴨族の取引は拡大しまして・・・私の実家のブドウ畑は2倍の広さになりました。」

実家の話をしている時のヤヤは、嬉しさと寂しさが入り交じった顔に見える。


紫竜の妻になると里帰りはできないと竜夢様から聞いた。


遠方に嫁いだ三輪の姉たちは出産の時やお父さんが病気で入院した時には帰省してきたのに・・・ ヤヤは気の毒だなぁ。

雛とはいえ同族の侍女がいることがせめてもの救いだろうか?



バターン


突然、応接室に大きな音が響いた。

何か倒れ・・・

「り、龍兎殿!」

夫の驚いた声が響く。

なんと龍兎様が椅子ごと倒れたのだ。


「なに?どうしたの?」


ヤヤが慌てて立ち上がったのだが、今度はヤヤが膝から床に崩れ落ちた。

「え?どうしました?」


ガタン


今度は三輪のすぐ横で音が・・・

「あ、あなた!?」

なんと三輪の夫も床に膝をついて・・・いや苦しそうに呻いて床に倒れてしまった。

「な、なに?」

三輪は1人パニックだ。



「ちっ!やっぱりあんたは飲まなかったの。」


「え?」

声の主は・・・なんと鴨雛の侍女だ。

「え?なに?」

三輪は驚いて雛を見る。


「人族が改良したワニ毒って聞いてたけど、人族には分かるように作ってるのかしら?どうせ殺すのに。」


雛は・・・先ほどまでとはうってかわって恐ろしい形相でとんでもないことを言っている。


「コ、コーチ?」

弱々しい声が聞こえた。

ヤヤが驚いた顔で雛を見ている。床に両ひざをついたままだ。


「あわれな紫竜の花嫁、あんたから先に殺してあげる。」


雛はそう言うと懐からナイフを出した。

「ワニの牙加工品?」

三輪は考えるより先に言葉が出ていた。

「そ。毒が塗ってあるから楽に死ねるわ。感謝してね。」

ナイフを持った雛はヤヤにどんどん近づいていく・・・三輪は恐怖で動けない。


「ま、待て・・・」


この声は龍兎様だ。よかった死んでない

・・・けど床に倒れて動けないようだ。


「な、なんで?」

ヤヤも動けないようで膝をついたまま涙目になって雛を見ている。


「お母様のご命令なの。紫竜の妻を始末してこいって。」


「お母様?あなたを捨てた鴨の?」


「ああ、あれはうそ。私の母は白鳥よ。父が鴨。シマヘビ妻の実家を焼いた時に死んじゃった間抜けだけど。」


雛はそう言って肩をすくめる。


白鳥?シマヘビ妻の実家を焼いた? 何の話?


三輪は意味が分からない。

「な、なんで?わた、し・・・」

ヤヤの目は恐怖で見開かれている。


「なに?紫竜の花嫁として生き続けたいの?同族の情けで楽に殺してあげるわよ。」


鴨雛の言葉にヤヤの表情が変わった。


「死んだほうがまし・・・」


それがヤヤの最後の言葉だった。

三輪は動けなかった・・・雛がヤヤの胸に深々とナイフを突き刺すのを見ていることしか出来なかった。


「さ、次はあんた。」

立ち上がった雛は懐からもう一本のナイフを取り出して三輪の方を向いた。

「ふ、ふざけるな・・・」

隣で夫の声が聞こえた・・・けど、夫も床に倒れこんだまま動けないようだ。

「なんで私とヤヤを?白鳥に恨まれる覚えはないんだけど・・・」

三輪は訳が分からない。

「お母様がにくいのは紫竜よ。でも、あんたはうれしいでしょ?人族は異種族とつがうぐらいなら死んだ方がましなんだから。それが紫竜ならなおさらね。」


「・・・ナイフで殺されるなんてごめんよ!」


三輪はとっさにテーブルの上にあったガラスの酒瓶を雛に投げつけた。

瓶は雛の足下の床に落ちて割れ、中のお酒が雛の着物にかかった。

きついアルコールの臭いが部屋に充満する。


「ちっ!人族の分際で!」


雛は怒った顔でそう言うと三輪に近づいてきた。

三輪は後退りするが、後ろには壁しかない。


『ど、どうしよう!?殺される!』

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