8
「あんた……わざと校舎の中にまでついてきたのね」
「ああそうだ。潔癖なおまえが、自分があの
悪びれなく言うさまに、あたしは唖然とした。
「そんなことのために、あんなつらい目にあったの?」
「お前にとってはあんなこと程度ではなかっただろう?」
切り返され、あたしは絶句する。
「そう、それだ。お前のその顔のためなら、あの程度の苦しみくらい何でもない。むしろおつりがくるほどだ」
悪魔は声もなく
怒りがむらむらと湧いてきた。さっきまでの悪魔に対する罪悪感はすっかり消えていた。
「三つ目の願いをかなえ終わるまではただ
「手を出したじゃない! 学校であたしを操ったよね? この身体を好きにできるのは死後って約束だったじゃない! 噓つき! もうこの契約は無効だから!」
あれか、と悪魔はそっけなく言った。
「俺はおまえを操ったりなどしていない。契約履行中の間は、契約主の身体にも魂にも手出しをしない決まりだからな」
「じゃあ、あれは……学校でのあれは、何だったのよ?」
自分の筋肉が意志を介さずに動く感覚を思い出し、あたしは思わず身震いした。
「俺はただ、望んでいる行動をとるようにおまえの身体に仕向けただけだ。つまり、おまえの意志であの部屋から逃げ出したのだ」
「それを操ったっていうんじゃないの!」
「違うな。おまえの理性が感情に負けたのだ。強固な意志があれば、
「問題おおありだよ! ……中島に目をつけられたじゃない」
「目をつけられていたのはもとからだろう」
身を強張らせたあたしを見て、悪魔は忍び笑いをした。
「あの男、最後の最後に自分の欲望を口に出していたな」
おぞましさと屈辱に、あたしは拳を握りしめた。
「……殺してやりたい」
「まあそう言うな。奴も
結局あんたのせいなんじゃないの――ぐっと悪魔を睨みつける。
「直接動かしたわけじゃなくても、あんたがあたしの身体に干渉したのは事実じゃない。こんど同じようなことがあったら契約は無効だから。魂も体もあげない。いいね?」
「俺は何もしていないのだがな」
悪魔は腕を組むと、灰色の目をあたしに向けた。
「数学準備室、行くのか」
「行くわけない」
脱いだ部屋着を箪笥にしまうと、乱暴に引き出しを閉めた。腫れあがった腕がじんと痺れた。
悪魔の言うとおり、あたしは、あの穢い中島や卑劣な大人たちと一緒だ。
(……だからなんだというの)
でも、あたしにはやる権利があるはずだ。ずっと虐げられてきたあたしにだけは。
男はみんなあたしを傷つける。女はみんなあたしを嫌う。物心つくころから、ずっとそうだった。
契約で縛りつけているこの悪魔でさえ、始終あたしを下に見ている。そう、それこそ初めて顔を合わせた瞬間から。悪魔などという不確かな存在のくせに、まるで生身の人間の男と一緒なのである。
(許せない……)
悪魔は、あたしを傷つけて笑っていたことなどもう忘れたように、本棚に並ぶ参考書の背表紙を物珍しげに眺めている。その横顔を、睨みつける。
人間を殴ることはできない。――だがこの悪魔になら。
思えば、相手が悪魔なら何をしたって問題もならない。しかもこいつはあたしに手を上げることはできない。
なら、やり返してもいいのではないか?
この悪魔に一矢報いるとしたら、あたしとの契約を
(この悪魔に一泡吹かせることができたなら……)
殴らなければ、殴られっぱなしなのだ。
あたしはごくりと唾を飲み込んだ。
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