は な さ な い で

ももぱぱ

第1話 40代のしがないサラリーマン

 俺の名前は井出和男。生まれてから40年ほど経ったけど、良くも悪くも平凡な人生を歩んできた。これといって得意なこともなく、かといって人に嫌われることもなく、職場でも目立たないごく普通の一般人だと自覚している。


 妻の名前は紗菜。5年前に見合いで結婚して、以来一緒に生活しているがお互いにそれほど愛し合っているわけではなく、かといって嫌っているわけでもない。俺は朝起きて仕事に出て、給料をもらって家に金を入れる。妻は午前中パートに出て、帰ってきてからは家事に勤しむ。


 何だか事務的な生活が続いていた。


 そんな俺達に転機が訪れたのは1年前。子どもを授かったんだ。かわいいかわいい女の子。名前は花菜ってつけたよ。俺も妻も一瞬で彼女の虜になっちまった。


 花菜が生まれてから1年が経った。俺は今までの人生がいかに薄っぺらかったかを思い知ったね。花菜が生まれたとき、初めて笑ったとき、初めて声を出したとき、初めて寝返りをうったとき……もう全部が嬉しくてスマホのデータも花菜の動画や写真で埋まってる。

 ただ、その分妻との会話は減ってしまったな。夜の営みなんて全くなくなってしまった。嫌いになったわけじゃないんだけどな。お互い娘にばかり愛情を注いでいるからかも。


 そんな俺達の様子を見て、気を遣ってくれたのが俺の弟だ。ヤツは、俺達2人だけの時間をもっと持ったほうがいいって言い出したんだ。娘を預かるから1日デートしてこいってさ。


 それを聞かされたとき、俺と妻はお互いに顔を見合わせちゃったね。


 だけど、久しぶりにお互いの顔をまじまじ見たせいか、柄にもなくちょっと照れちゃって、妻も顔を赤らめてるもんだから、何か色々期待しちまったよ。


 思い切って妻をデートに誘ったら、もじもじしながら『うん』だってさ。やばい、久しぶりに滾ってきた。






 次の日、オレは待ち合わせの場所に少し早めに着いた。せっかくだからと、待ち合わせをするところから始めたんだ。


 いつもよりおしゃれな服に身を包んだ紗菜は、オレより前に着いていて、オレを見つけて控えめに手を振ってくれた。


「今日はどこに連れて行ってくれるの?」


 紗菜も久しぶりのデートにウキウキしているようだ。


 オレは事前に下調べをしたルートを紹介し、喜んでくれた妻を助手席に乗せて最初の目的地に向かった。




 紗菜は自然が好きだったはずなので、最初の目的は大きな公園だ。この公園は高い吊り橋があることで有名なんだ。


「わあ、高い!」


 事前の下調べ通り、自然が好きな紗菜は吊り橋の真ん中でこの景色を楽しんでくれている。オレはその様子を撮るためにスマホをかざす。その時、吊り橋が大きく揺れ……足を踏み外した。


「あっ?」


 紗菜が差し出した手を必死につかむ。落ちれば命はない。


「絶対に離さないで!」


 紗菜の細腕ではあまり長くは持たないだろう。今にも落ちそうだ。二人で力を合わせれば、何とか引き上げることができるだろうか? いや、それでは二人とも落ちてしまう可能性が高い。


「紗菜、こんなオレと結婚してくれてありがとう。紗菜と花菜のおかげで、オレの人生は救われたよ」


 その言葉を聞いた紗菜の顔が恐怖に歪む。


「もう花菜には会えなくなるけど、かんべんな」


 紗菜が握る手に一層力が入る。


「さようなら」


 オレはその手を無理矢理引き剥がし……








 紗菜は顔をぐしゃぐしゃにしながら橋の下へと落ちていった。


「さて、戻るか」


 オレはズボンについた砂を払い、誰も目撃者がいないことを確認し、車へと戻った。


 オレのスマホには兄貴からいくつもメッセージが届いていた。「待ち合わせ場所に紗菜がいないけど、どこにいるか知らないか?」って内容だ。


「さあ、わからないな?」って返事を打ち、花菜が待つ自宅へと戻る。紗菜がいなくなったとわかったとき、兄貴はどんな顔をするのかな? さっきの紗菜みたいに絶望の表情を浮かべてくれるのかな。


 期待に胸を膨らませながら、オレは車のアクセルを踏む。








 おっと、これを読んでるお前。このことは誰にも話さないでくれよな。


でないと……紗菜がずうっとひとりぼっちになっちまうぞ




 




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