そこに山があったから!

@aizawa_138

第1話 いつもと同じ朝

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 朝の満員電車に、列車の走行音が響く。車内で身動きを取ることはできず、俺はただ景色がシャクナゲ駅前のビル群が流れていくのを眺める。


 せ、狭い……。こんな地方の満員電車じゃなくてみんな車使ってくれよ。


「まもなく、堰堤橋えんていばし。堰堤橋です。お出口は右側です」


 レトロな車両のドアが開くとともに、他校の生徒が駅のホームへと流れ出る。


 県内有数の進学校であるアセビ高校に入学してから二週間。高校生活の忙しい朝に慣れてきたのだが──。


「あ! ひいらぎくん、やっほ~」

「……や、やっほー」


 この美少女が、毎日話しかけてくることだけはどうしても慣れない。この美少女の名前は空川澄そらかわすみ、クラスのおバカな美少女だ。


「昨日の『リアデー』観た?」

「リアデーって……何?」

「え、もしかして『リアデー』知らないの⁉」

「知らないよ」

「今、話題の恋愛リアリティーショーなのに」

「はあ」


 空川と俺のスクールカーストが全く逆の位置ということだけあり、いつも話すのは俺の趣味とは無縁の話題。それを延々と話し合う……というよりかは聞かされる。


「柊くんも観たらどう?」

「俺そういうの観ないよ」

「昨日のはひめのんとレオくんが付き合い始めて面白かったよ」

「だから観ないよ。……っていうか今めっちゃネタバレしてたし」

「あれ、そうかな?」


 これだからバカな奴は……。


 首をかしげる空川に対して俺は大きな溜息を吐く。


「まもなくドアが閉まります。ご注意ください」


 車掌のアナウンスが車内に流れ、電車は再び動き始める。


「そういえば、柊くんは入る部活決めたの?」

「いや、まだ決めなくても大丈夫だろ」

「え、今日が入部最終日だよ」


 ……まじか。てっきり来週だと思っていたんだが。


 アセビ高校は文武両道という目標を強く掲げていることもあり、生徒は必ず何かしらの部活に入らなければならない。


 その締め切りが今日というわけなのだが、もちろん俺は何も決めていない。というか、運動部が消去法で消される俺みたいなやつは部活決めに困るのだ。


「部活見学は行ったの?」

「行ったんだけど……腐女子しかいなくて」


 先週、文学部の見学に行ったときのことだ。ラノベが好きだから、という単純な理由で行ってみたんだが、本棚に並べられたおすすめのBL本を見せびらかすように渡してきたのだ。鼻息荒くして、にじり寄ってくる眼鏡の女子たちを思い出すだけでトラウマが蘇る。


 苦い記憶を思い出していると、空川は頭にはてなマークを浮かべながら俺を見つめる。


「腐女子……? なにそれ」

「腐女子っていうのは……空川さんはまだ知らなくていいよ」


 純粋な空川に穢れた女子の世界を教えるわけにはいかない。よくない沼に引きずり込んだ責任を俺に押し付けられたくないしな。


 俺は説明をしかけて取りやめると、空川は眉をひそめて詰め寄ってくる。


「ねえ、教えてくれたっていいでしょ?」

「え、えーと……お、男の友情が好きな女子のことだよ」


 不機嫌そうに睨みつける空川に、俺はあたふたしながらオブラートに包んだ言葉選びをする。空川は「え?」と言葉を漏らすと、ふっと鼻で笑い、口を開く。


「なんだ、普通じゃん。じゃあ、私も腐女子なんだね」


 違う。違うんだ、空川さん。腐女子っていうのはもっと深い友情、ディープな関係のことなんだよ。


「じゃあ、男子たちを遠くから見てるひめのんも──」

「まもなくアセビ高校前、アセビ高校前です。お出口は左側です」


 空川の話を遮るように車内に目的地の到着を知らせる音声が流れる。電車は次第に減速していき、耳に鳴り響く急ブレーキ音を立てながら駅のホーム横にぴたりと止まる。スライドドアがゆっくりと開き、俺と空川はホームへ一歩踏み出す。


「それでやっぱりひめのんも──」

「そ、空川さんは何部に入るの?」


 危ない発言が空川の口から飛び出る前に、話題を無理矢理変えようと空川の話に割り込む。


「あれ、柊くん知らないの? 私が何部に入ってるのかは結構有名だと思ってたよ」


 きょとんとした顔で俺に聞いてくる。


「そんな話を教えてくれる相手がいないんだけど」

「えーと……なんかごめん」


 その「意図せず痛いところを突いてしまった」みたいな顔をされると、俺が困るからやめてくれ。


 人間関係を作らない自分が哀れになっている横で、空川はスマホをポケットから取り出して画面をなぞりはじめる。


「じゃあ、この写真で私が何部か当ててよ」


 画面には青く澄んだ空、そしてその下には新緑の木々が起伏を織りなしていた。どうやら、空川がどこかで撮ったであろう山の写真のようだった。


「……なんだこれ」

「当ててみてよ」


 空川はこの写真を見せて当てられる気がしているのか、自信ありげに聞いてくる。


 どこかもわからない山の景色を見せられたってわかるわけがないだろ。悩みながらも俺は解答を弾き出す。


「空川さんって写真部なの?」

「そうそう、しゃし……え?」


 どうやら違うらしい。言われてみれば、写真部にしては撮るのが下手すぎるか。


「……私が写真部に入ると思う?」

「その可能性は……ないな」


 空川は溜め息を吐いて、呆れたように話し始める。


「……なんで山の写真見せて山岳部なのがわからないの」

「山岳部? そんな部活あったっけ」


 先週、部活見学をしたときにはそんな名前の部活はなかった気がする。入学説明資料にも山岳部に関する記載があった記憶はない。


「……あるのに。ねえ、もうちょっと話さない?」


 いきなりなんだ。俺と空川さんが話してて楽しいことは一つもないと思うんだが。

 断ろうと思ったのも束の間、空川は俺に拒否する余地も与えずに話し始める。


「じゃあ着いてきて」


 俺は何も言ってないのに、なんで行くことになってるんだ……?


 空川は楽しそうに微笑んで、俺より数歩先を軽い足取りで昇降口とは離れた方向へと進んでいく。俺は足を速めて空川の隣に並ぶ。

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