【KAC2024】はなさないで

ポテろんぐ

第1話 離さないで

「おめでとうございます」


 医者が笑顔でそう言い、私の方に椅子を向けた。しかし、私の表情を見て、すぐに「しまった」と言う表情に変わった。


「あの。おめでとうございますって事は、本当に……」

「え、ええ……六ヶ月を過ぎた処です」

「六ヶ月……」


 そう言われ、私の脳裏に六ヶ月前の出来事がよぎった。しかし、それは子供を授かるような営みの記憶ではない。


 あの日に起きた事故の事だ。


 おかぁさん!


 私はあの子の声が聞こえた気がし、耳を塞いで体を小さくした。


「ちょ、お母さん、大丈夫ですか?」

「すいません」


 医者の方も「様子がおかしい」と察した様子だ。


「あの、確認して戴きたいんですけど。誰か他の方と結果を間違えているとか、そう言う事はありませんか?」

「それは……ないと思いますよ。名前もちゃんとありますし、他の人はもっと早くに来られるんですけど。つわりとかは……」

「今思うと、それらしき時期はあったんですけど。その時は色々とバタバタしていたので……疲れが出たんだと思ってたので」


 医者は私のカルテに目を落とした。


「えっと出産の経験は……十年前に一度……あれ?」


 そう言って、医者のマウスを握る手が止まった。


「お子さんがもう一人いらっしゃると書いてありますが……」

「再婚した夫の連れ子です」

「ご主人?」


 そう言うとまた医者の手が止まった。表情がどんどん迷路のように歪んでいく。


「失礼ですが、ご主人の名前が……」

「離婚したんです。それがちょうど、つわりで苦しかった前後で……」


 医者は考え込んでしまった。


「と言う事は、離婚して、前の旦那さんの連れ子の……蓮くんですか。この子もアナタが今、育てていると」

「蓮は亡くなりました。ちょうど、それが半年くらい前です」

「えっ」


 医者の心臓と表情が同時にドキッとしたのが見えた。おそらく厄介な患者に当たってしまったと思っているのだろう。


「あの、もう一度お尋ねするんですけど。本当に私の検査結果ですか、それ?」

「ええ、そ、それは間違いなんですけど……」

「でも、その、半年前の前後で、その、男性の方とそう言う関係になった記憶が無いんです」

「えっ!」


 それを聞いて、医者は事の重大さに気付いた様子だった。


「ちょ、ちょっとお待ちください!


 そう言って、医者は慌てて、診察室の奥へと走っていった。


「誰の子なの、これ」


 大きくなり過ぎて、もう中絶もできない。

 まさか、そんなはずは無いと思って産婦人科に確認に来たら、この有様だ。


「半年前……」


 どうしても、あの時のあの事故が頭を過ぎる。


 半年前の夏休み。

 私は息子の拓也と夫の連れ子だった蓮の三人でキャンプに出かけた。最初は夫を含めた四人で出かけるつもりだったが、急遽、夫に仕事が入ってしまい、私は慣れないレンタカーの大型ワゴンを運転し、三人で行く事にした。


 それまで、私たち家族は上手くいっていた。

 再婚で連れ子が一人づついたが、拓也も蓮も素直な性格で、特に十歳の拓也には、六歳だった蓮という弟ができた事が嬉しかった様だ。


「蓮、あっちに川があるぞ!」


 私は夕飯の準備を始めると、暇を持て余した二人はすぐそばを流れていた川に遊びに行った。

 それからしばらくして、近くの川から「蓮!」と叫ぶ、拓也の声がした。


 私は何事がと思い、川の方へ向かうと、二人が腰くらいの深さの川で手足をバタバタさせていた。


「拓也! 蓮!」


 近くに人はいなかった。

 私は慌てて川に入り、二人に手を伸ばした。

 しかし、水が染み込んだ衣服を着た重さは、たとえ子供といえどバカにはできない。おまけに川の底はコケなどのせいで踏ん張りが効かない。

 二人の力が同時に掛かった瞬間、私は「流される」と命の危険を感じた。どっちかの手を離すか、このまま三人で流されるかの二つしか無くなった。

 

 その時、私の脳裏に悪魔が過った。


 血の繋がっている拓也と、蓮……二人とも可愛いかったが、どちらの手を放したいかはハッキリしていた。でも、そんな自分を認める事ができなかった。


「二人とも頑張って!」


 口からはそう言ったが、蓮の方を掴む手が弱くなっているのに気付いた。

 

 そして、


「うわっ!」


 突然、蓮の手がスルッと抜け、私の体は軽くなった。その拍子で、反作用にかかった後ろへの力で拓也は川に足を付けた。


「蓮! 蓮!」


 私が拓也を抱き上げて、川を見たら、すでに蓮の小さい体は見えなくなっていた。最後に聞いた蓮の「お母さん!」という声がいつまでも耳に染み付いていた。


「河岸さん?」


 医者の声で私の意識はハッと産婦人科の診察室に戻って来た。


「大丈夫ですか? 顔色が優れませんか?」

「え? ああ……ええ」

「それで、確認を取ったんですが、やはり検査の結果には間違いはありません。それで……一度、DNA鑑定をされては? と」

「……それしかありませんか」

「そうですねぇ。心当たりが無いとなりますと。それで、そのピンとくる男性の遺伝子を持って来て戴きたいんですが……」


 ピンと来る。

 一番は別れた夫。でも、そういう営みは一年以上していなかった。蓮が死んでからは尚のことだ。


 まだ家には夫の残して行ったものはある。その髪の毛などは見つかるかもしれない。

 あとは……とにかく身の回りの男性の髪の毛を何本か、提出する事にした。













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