第2部3章 胴は枯れていく
第1節 終わりの始まり
異常空間が解除され、俺とルカは元々この空間があった普通の旅館――の廃墟に戻されていた。
旅館の中には、団体客かのように白いローブの集団が立っており、皆一様にオロオロと狼狽えている。
「ぐうううぅっ……! し、止血、止血をぉっ……」
「あ、あ……天使殿! しっかり……」
その中にはさっき俺たちがぶっ倒した連中も混ざっていた。
緩やかなパニックの中、近くの信者たちがチラチラと俺たちを見てくる。
何が起きたのかを少しずつ理解し始めているのだろうか。
そうして完全な理解に至る前に、ルカは大きな音で手を叩き、注目を集めた。
「この宗教の教祖は……死んだ! 異常空間も解体した!」
「……なんだって……」
「教祖様が……? バカな……!」
「誰だアイツは……」
「ASSISTの……侵入者だ」
「あなた達はこれから全員逮捕する! 迷宮教は民間人の拉致、及び監禁、殺人の疑いがある。
犯罪への関与がない場合でも、一時的に病院に――あっ!?」
「ふざけるな、このガキがぁ! 教祖様が死ぬわけがあるかぁ!」
話していたルカに男が掴みかかる。ルカは鬱陶しそうにその腕を掴み返す――だが、簡単に振り払われてしまう。
「あれ……?」
「ルカ先輩、危ないぞ! ここはもう異常空間じゃない!」
そうだ。異常空間内であればこんな男なんて簡単に倒せてしまうだろうが、異常空間はすでに解除された。
そうなれば彼女は普通の女子高生だ。大人の男相手には分が悪い。
「きょ、教祖様はなぁ! この穢れた世界を救うために天から――!」
「オイ。その手を離せ!」
割って入り、信者の手を振り払う。まだ冷静さを取り戻しそうにない信者は、そのまま俺に殴りかかってきた。
「ぐあっ!」
「セイジ君!?」
「そ……そいつらを、逃がすな……! ASSISTの尖兵……我らの聖域を壊した、罪人だ……っ!」
殴られて揺れる視界。ぶっ倒れた「天使」がそんなことを言うと、オッサン連中が殺気立った目でこちらに近付いてくる。
「うおおああっ! この野郎! この野郎ぉぉ!!」
「がふっ! ぐっ……!」
「やめて! ……やめろ!!」
さすがに……頭に何発ももらうと立ってられなくなり、その場に倒れてしまう。
俺が倒れても信者たちは容赦なく、俺を踏みつけてきたり蹴ってきたりする。全身が痛む。
まずい。これは死ぬかもしれない。痛みが意識を塗りつぶし、だんだん頭が働かなくなってくる。
「……お前らなんかが……っ!」
はやく、逃げてくれ。ルカ……!
「お前らなんかが、触るな……! セイジ君のほうが……セイジ君のほうがよっぽど強いんだぞ……!」
――――。
「お前らなんかがぁ!!」
「――警察だ! 全員その場を動くな!」
意識を失う寸前に見えたのは、踏み込んできた警官の男たちだった。
■
それから、数日後。俺は病院のベッドにいた。よくよく入院する男だな、俺も。
とりあえず、待機していた田原さんが呼んだ応援によってあの場は鎮圧され、信者たちは全員逮捕された。
俺がヘイトを買っていたおかげか、幸いルカにはほとんど怪我はなかったそうだ。
一方の俺だが、何個か骨が折れていたのと、脳震盪を起こしていたとかでしばらく入院するはめになった。
正直異常空間に入って回復弾を撃てばなんとかなるんだが……病院にそういう説明はしづらいしな。
「ホントに、よかった……私、セイジ君が死んじゃったかと……」
「大袈裟ですよ。俺も男として、それなりに丈夫ではあるんで」
「大袈裟なんかじゃないよ……!」
見舞いに来たルカは、瞳に涙を溜めて俺に詰め寄った。その手首には包帯が巻かれている。あのとき男に掴まれたときの怪我だろう。
「私、本当に……本当に心配したんだからね、セイジ君……!」
「……すいません。でも、あのままじゃルカ先輩が危なかったんで」
彼女は悲しげに自分の手首を見つめた。危ない、という俺の言葉が正しいことはわかっているのだろう。
「ハァ。異常空間内だと最強の俺たちも、現実だとまだまだっすね」
こっちでも鍛えなきゃな。入院生活が終わったら筋トレでもしようかと考えている最中も、ルカは変わらず浮かない表情だった。
「……そう……だね」
「ルカ先輩?」
「あ……ううん、何でもない。……それより、足柄さんのことだけど……セイジ君が入院してる間は、とりあえず私1人で調べとくね」
「あ、あぁ。はい、お願いします」
ルカはそれから、用事があると言って病室を出ていった。入れ替わりに看護婦の人が入ってくる。
「ええと、神凪さん。具合はどう? 痛みとかない?」
「動かそうとしなければ特には」
「そう、よかった。……ところで、お見舞いに来ていたあの子……知り合い?」
あの子……ルカのことか? 俺は首をひねりながらも答える。
「ルカ先輩ですか? 知り合いですよ。いつも世話になってます」
「やっぱり、髪色変わったけどあの子ルカちゃんよね? ……元気そうでよかったわ」
「看護婦さんこそ、ルカ先輩のこと知ってるんですか?」
俺が目を覚ましたとき、ここはASSISTの人間もよく利用する警察の病院だと田原さんは言っていた。
となると、ルカも以前ここを利用したことがあるのかもしれない。昔からASSISTに属してたらしいしな。
「ええ。……どこまで言っていいのかわからないんだけど。あの子、昔は色々あってね」
「色々って?」
「その……本人には言っちゃだめよ? あの子昔、精神の病気があったみたいで……」
精神の……病気!? なんだそれは。そんな話、本人から聞いたことがない。
とはいえ、そりゃ自分から話したいことじゃないか。俺はルカには悪いと思いながらも、さらに話を聞き出そうとする。
「どんな病気だったんですか?」
「ストレス障害と……それに伴う『異食症』があったみたいなのよ」
「『異食症』? 何ですかそれ」
「簡単に言うと、食べちゃいけないものを発作的に食べちゃう病気ね。紙とか土とか……。
あんまりあの子の事情を知らされてないんだけど、強いストレスがかかるとやっちゃうみたいで。
でもここ数年見なかったから……無事なのかどうか心配してたの。でも、健康そうでよかったわ」
……異食症、か。
だが少なくとも、ルカがそんなことしているのを見たことはない。今はもう改善したのかもしれないな。
思い返してみれば、足柄さんも生前、ルカは精神的に脆いところがあると言っていたっけか。
……なおのこと、彼女が心配だ。はやく退院して、一緒にいてやらないとな。
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