めりーさんとはなさないで
睡田止企
めりーさんとはなさないで
「メリーさんと話さないで」
そう言われてはいたが、他に話し相手のいないこの状況だと話したくもなる。
私は、今、目隠しをされ手足を縛られ、冷たい床の上に転がされている。
気がつくとこうなっていた。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
記憶を辿ると、叔父の家から帰る最中で記憶が途切れている。
叔父は呪詛の専門家である。私はメリーさんに憑かれたことを相談しに叔父の元に訪れていた。
叔父の話ではメリーさんは20世紀の中期から後期にかけて現れた呪詛であるらしい。幼子の姿をした洋人形で、何度も電話をかけてくる。人形は電話口で自身の居場所を伝え、電話に出るたびに居場所が近づき、最後には背後にまで近づいてくる。
ただし、近づくだけで害はないらしい。
しかし、その力は強大で、一五六〇人の呪詛士の死体で作られた戦後最恐の呪詛『
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
メリーさんを消滅させることは不可能であるが、いくつかの対処法はある。叔父はそのうちの比較的簡単な二つを教えてくれた。
一つは縁切りの
もう一つは、徹底的に無視することだ。相手にされないと悟ると姿を消すらしい。叔父にはメリーさんと話さないでと言われている。
私は、メリーさんを無視し続けている。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
無視すればいいとは言っても昔とは異なり、電話が鳴るのを無視すればいいというものでもない。幼子の声を無視し続けるのは、心苦しい。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
ここがどこだかは分からないが、インターネットは通じていないようだ。
電話も通じない。メリーさんからの通話が届いているのは呪詛としての力のためだろう。過去に電話線を抜いてもベルを壊してもメリーさんからの電話が鳴ったという記録があると叔父から聞いた。
現在の日本には、意図的に遮断しない限りオフラインの場所などは存在しない。私はオフラインに陥るのは初めてだった。精神が不安定になりそうだ。目隠しをされ手足を縛られていてもオンラインでさえあれば不安は紛れるだろうに。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
「………………」
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
「ねぇ。ここがどこだか分かる?」
『………………』
「あなた、ずっと私の後ろにいたんでしょ? ここがどこか教えて。誰が私をここに連れてきたか教えて」
『………………』
「……あなたが、ここに連れてきたわけではないわよね? 叔父さんはあなたに害はないって言っていたわ」
『………………』
「ねぇ!」
私の声が空間に響いた。
先ほどまで微かに感じていた背後の小さな人形の気配が消えた。
完全に一人になる。
「待って! 私今オフラインなの! あなたがいてくれないと私──」
『私、メリーさん。今
犬尾毛駅は叔父の家の最寄駅だ。
『私、メリーさん。今犬尾毛小学校の前にいるの』
『私、メリーさん。今犬尾毛公園の前にいるの』
『私、メリーさん。今メゾンIOKの前にいるの』
「あ、ちょっと待って」
私はメリーさんの意図を汲み取り、脳内のキャッシュ情報にアクセスする。キャッシュ情報であればオフラインでも見ることができる。最近見たばかりの叔父の家周辺の地図情報が見つかった。
「駅……小学校……公園……メゾンIOK……」
メリーさんの言った場所は地図上に直線で繋ぐことができた。それも等間隔に並んでいる。
「メリーさん、続けて」
『私、メリーさん。今森の中にいるの』
「………………」
直線を伸ばした先には、森が続いている。
『私、メリーさん。今森の中にいるの』
『私、メリーさん。今森の中にいるの』
『私、メリーさん。今森の中にいるの』
『私、メリーさん。今森の中にいるの』
ふっ、と背後に小さな気配が現れる。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
「……ありがとう、メリーさん」
自分のいる場所が分かった。
直線を等間隔に伸ばしていった先にポツリと建っている小屋。航空写真では、木でできた簡素な小屋のようなに見える。音の響きを考えると防音措置がなされているか、地下室だろう。
「………………」
『………………』
沈黙。
場所は分かったができることがない。
「叔父さん、私を探してくれてるかな」
『………………』
「なんで私拐われたんだろう。なんで放置されてるんだろう」
『………………』
「これって、殺されるのかな」
私は走馬灯を用意していたが、それはオンラインに保存されている。
死ぬかもしれないのに、朧げな脳内に残る記憶でしか人生を振り返れないなんて、なんて不幸なのだろうか。
母親の記憶はない。幼い頃に亡くなっている。
父親の記憶は碌なものがない。父はギャンブルに溺れていた。ギャンブルをしていないときも茶碗にサイコロを投げ入れて出目を見ているような人だった。最終的には借金を作って蒸発した。
友達はいたが、コミュニティーが変わるたびに疎遠になり、今は気軽に連絡を取れるような友人はいない。
こんな人間だから楽しい記憶を走馬灯として保存していたのに、肝心なときにオフラインでは意味がない。
「でも、どうしようもないのかな。ネットも電話も使えないんじゃ助けも呼べないもんね」
母も父も友人もいない。
叔父さんが私が消えたことに気づいてくれるのを信じるしかない。
『もしもし』
叔父さんの声だ。
電話が繋がったらしい。
「おじさん!?」
『実は、もうメリーさんを引き剥がす御呪いの準備が整ってな』
「今、それどころじゃないの!」
『え?』
私は叔父さんに状況を説明した。
地図を送ろうとしたがネットはオフラインのままで送ることはできず、口頭で伝えた。
『……分かった。すぐに向かうよ。大丈夫、近いからすぐに着くよ』
「ありがとう」
『電話はこのまま繋いでおこうか』
「うん。でも、ネットがオフラインだから突然切れるかも」
『オフライン? 通信妨害があるなら電話もできないはずだけど』
「うん。叔父さんから電話が来るまでは電話もできなかったんだけど──」
人差し指に小さな人形の手が触れた。
たまたま触れたのではないようで、メリーさんの手が私の人差し指を掴んでいる。
メリーさんの伝えたいことが分かった。
メリーさんは繋がらない電話を繋ぐ力を持っている。メリーさんは、これは自分の力だから電話は切れないということを伝えているのだ。
「叔父さん、大丈夫。これは──」
「おい、誰と話してる?」
聞いたことのない男の声。
お腹に激痛が走り、私は二回転して壁にぶつかった。蹴られたようだった。
「ごぼっ……っ」
『おい、どうした!?』
足音が近づいてくる。
「オフラインだよな……。独り言か? おじさん……。幻聴が聞こえるほどイカれる時間はなかったと思うがな……。お?」
足音が止まる。
「これが『五神反転』が効かない呪詛か……。思ったより迫力ないな」
『私、メリーさん。今あなたの前にいるの』
メリーさんの声は電話越しの私にしか聞こえていない。
私と男の間にはメリーさんが立ちはだかっている。
それを、メリーさんは男ではなく、私に伝えてくれている。
「大丈夫!?」
電話越しではない肉声で叔父さんの声が聞こえた。
「なんだ、テメェ!」
「──君が彼女を誘拐した犯人か?」
「くたばれ!」
巨大な金属が擦れたような不愉快な轟音が鳴り響く。
「──君が犯人だね?」
「俺の呪術が……」
「呪術? 御呪いだよ、この程度は。──呪術とはこういうものだ」
たくさんのサイコロが散らばるような音がした。
「大丈夫かい?」
叔父さんに起こされる。
目隠しと手枷足枷を外してもらう。
狭い殺風景な部屋が視界に入る。窓がない。地下室のようだ。
地面には大量のサイコロが転がっている。私が聞いたサイコロが散らばるような音はそのものサイコロが散らばる音だったようだ。
「これは……?」
「呪術だよ。人体をサイコロに変える呪い。出目によって人体に戻れるまでの時間が変わるんだけどね。──こいつは運が悪いな」
出目を見る。
大量のサイコロ。数百はあるだろう。その全てが六の目を出していた。
「こいつは人には戻れないかもな」
「この人、なんで私をこんなところに連れてきたんだろう?」
「おそらく、メリーさん目当てだろうね。そこかしこに縁切りの御呪いに使う材料があるから」
その言葉に、私はメリーさんを探す。
『私、メリーさん。今あなたの後ろにいるの』
後ろを振り返るとメリーさんが立っている。
私の服の裾を掴んで見上げてくる。
「……どうする? ここで払うかい? 縁切りの御呪いの準備はできているけど」
メリーさんと意思疎通ができるようになって一時間も経っていないだろう。
だから、勘違いかもしれないが、メリーさんは誰かと一緒にいたいだけのように感じる。
「害はないんだよね」
「この子自体にはね。でも、ここに散らばるサイコロみたいな奴は他にもいるかもしれない」
「そっか……」
「……どうする?」
メリーさんを見る。
害意はない。むしろ、私を助けてくれた。
私は覚悟を決めて言った。
「メリーさんと離さないで」
めりーさんとはなさないで 睡田止企 @suida
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