親指姫アフター

 あるところに、光と花にあふれた小さな国がありました。そこには親指くらいの小さな人たちが住んでいて、小鳥や虫とたわむれながら暮らしておりました。この国の王子様は、外の世界からお嫁さんをもらいました。彼女もまた親指くらいの大きさで、王子様とは出会った瞬間に恋におち、結婚したのです。彼女のいた国では親指くらいの人というのは他にいなかったので、周りの人には「親指姫」と呼ばれておりました。


「王子様! どちらへいらっしゃるの!」

 親指姫は、軽やかな足取りで外へ向かう王子を慌てて呼び止めた。

「あ、今日も丘の向こうの花畑に行ってくるね。日が沈むころには帰るから、よろしく」

「最近ずっとではありませんか。お義母様がいらっしゃるかもしれないのですから、たまには家にいてくださっても……」

「今度ね! じゃあ、みんな待ってるから」

「王子様!」

 話を最後まで聞くこともなく、王子は出て行ってしまった。

 ツバメの背に乗ってこの国に来てから、どのくらい経っただろうか。目の前に積まれた洗濯物の山を見て、親指姫は溜息をついた。


「……私、はやまったのかしら」


 夫である王子の服は泥だらけで、繕いが必要な物もある。汚した張本人は、家事の一切を妻に任せ、社会勉強と称して虫や鳥たちと遊びに行っている。親指姫はと言えば、姑がいつ見に来るかもわからないのに家事を放って行くわけにはいかず、また、最近はホームシックで、あまり遊ぶ気にもなれなかった。


「親指姫。いらっしゃる?」

 噂をすれば、なんとやらである。事前連絡もなしに、姑が現れた。

「お義母様。ごめんなさい、王子様は今ちょうど出かけてしまって」

「いいのよう、あの子は好きにさせておけば。昔から外を飛び回る子でしたからね、今更何を言ったって聞きませんのよ。ところで、今日はあついわねえ」

「いまお茶をお出しいたしますね、お座りください」

 この姑はいつもこういう調子で、勝手に親指姫夫婦の部屋に押しかけてはお茶を飲んで、家事をチェックしていくのである。親指姫と王子の結婚について最後まで渋ったのはこの姑であった。「どこの馬の骨ともわからない娘と結婚するだなんて!」と猛反対していたが、王子の腹心であるツバメや舅である王様がうまくとりなしてくれて、無事結婚できたのだ。

 親指姫と王子は、城からさほど遠くないところにある離宮に住んでいるのだが、それというのもこの姑が、「どこの者ともわからない娘と同居できません」と言うので、別居することになったのである。さらに、親指姫が家事全般をできると知るや「では、身の回りのことはおひとりでこなせるのね。できたお嫁さんですてきだわあ」と、メイドなどもつけてくれなかったので、親指姫はすべての家事を一人でしなければならなくなったのである。親指姫としても、結婚直後は「いつ追い出されてもおかしくない」とびくびくしていたので、なかなか意見を言うこともできず、ぐずぐずと今に至る。


「あら、もうこんなお時間なのね、そろそろ城の方で用事があるので帰りますね。王子によろしく言っておいてちょうだい」


 姑を見送ってから繕い物を選り分けていると、ツバメが食料を持って訪ねて来た。

「親指姫、晩御飯の材料です。王子様はいつもの時間にはお帰りになるそうですよ」

 ツバメは親指姫の家事が大変なことを理解してくれ、なにかと手伝いに来てくれる。ツバメが持って来てくれる材料でご飯を作り、王子を待つ。それが毎日のことだった。

「いつもありがとう。ねえ、ツバメさん。私、王子様と結婚して良かったのかしら」

「どうしてそんなことを言うのです」

 突然の問いに、ツバメは目を丸くした。

「私ね、あのときは土の中の生活から逃れたい一心でここに来て、そのまま王子様と結婚したけれど、選択を間違ったんじゃないかしらって思ってしまうの」

「まさか! じゃあ、カエルやモグラと結婚した方が良かったって言うんですか」

 親指姫は大きくかぶりを振った。

「カエルさんはイヤだわ! 大好きなお母様と私を引き離してしまったんですもの。お母様とは未だ会えていなくて、悲しいわ。だけど、モグラさんは……思いかえしてみれば、結構良い方だったわ」

ツバメはモグラの顔を思い出し、腹が立って翼をバタつかせた。

「良い奴なものですか! 私を見殺しにしようとしたのに!」

「それは……彼はあなたが死んでいたと、思っていたのよ」

「そんなのわかりませんよ。それに、あなたを土の中に閉じ込めようとした」

「そうね、彼は太陽やお花がお嫌いだもの。でもね、私に対しては優しかったのよ。毎日通ってくださって、お金持ちだから、時々援助もしてくださったみたい。お一人暮らしで、お手伝いさんがいるだけなんですって。寂しい方だったのね」

 親指姫は悲しげな顔で溜息をつくが、ツバメはまだ不満であった。

「ひどいですね、それでは私のしたことは、お節介だったと言うわけですか」

 押し殺したツバメの声に、親指姫はハッとして顔を上げた。

「ちがうの。そういうことが言いたかったのではないのよ。ただ……モグラさんと結婚していたら、どうだったのかしらと……想像していただけ。私、彼やネズミさんに、拾ってくださった御恩返しもできていないから」

 小首を傾げて困ったように笑う親指姫を見て、ツバメはふうっと息を吐き出した。

「まあ、今のように家事をする必要はなくなるでしょうね。家にいたら、モグラは優しくしてくれるでしょうし」

「やっぱりそう思う? 私、時々はお外にも行かせてくれるんじゃないかしらとも思うの。どうしましょう。久しぶりに、お手紙を書こうかしら」

 とうとう前向きに文通を考え始めた親指姫に、ツバメは優しく笑ってみせた。


「良いですね。私がお届け致しましょうか」

「まあ! 良いの?」

「ええ。でも残念だなあ、あなたの美しさが失われてしまうなんて」

親指姫は、「え?」と首を傾げた。


「だってそうでしょう。暗い土の中で大きな目は必要ありませんから、モグラやミミズのように小さくなってしまうでしょう。土の中はジメジメしていますから、綺麗な髪はゴワゴワに広がってしまうでしょう。それに、家事は使用人がしてくれて、モグラが何でも揃えてくれますから、動くことは少なくなり、みるみる太ってしまうでしょう。ああ、そうだ。ネズミは土の中では顔が広いですから、あなたがどういう状態でいるかは、土の中のみんなに知られてしまうのでしょうね。本当に残念だなあ……あれ? 顔色が悪いですね」


 呆然と立ち尽くしていた親指姫は、ツバメに声をかけられるとぎこちなく笑った。

「え、ああ、そうね、少し、体調が。お手紙を書くのはまたにして、王子様のお食事を作らなくてはね」

 慌てて材料を取りだす親指姫を見て軽く笑うと、ツバメはさえずるように呟いた。


「もう少し待っていてください。王子様が最高のパートナーだということが、きっとわかりますから」


 親指姫が、その言葉の意味を知るのは、それから数週間後のことであった。

 ある日、いつものように出て行った王子が、昼すぎに帰ってきた。入り口でしきりに呼ぶので慌てて出迎えると、王子は息をきらせ、満面の笑みを浮かべていた。


「見つかったんだ! やっと。すぐに出かけよう!」

「見つかったって、何が? どこへ行くの?」


 王子はよほど興奮しているらしく、とにかく行こうとしか言わない。親指姫は戸惑うばかりだったが、じれったくなった王子に抱き上げられ、ツバメの背に乗せられた。

「さあ、行こう。ツバメ、僕らを振り落とさない程度に、できるだけ急いでね」

「はい、王子様」

 久しぶりに乗ったツバメの背の上は、風が頬を走って髪を浮かせ、とても気持ちがよかった。しばらく家に籠っていたから忘れていた。

「世界はこんなに広かったかしら」

「今まで一人にしていてごめんね。ずっと、虫たちや鳥たちに話を聞いて、調べていたんだ」

「調べるって、何を――」

 親指姫は、眼下に見える小さな家を見て、息を飲んだ。あの赤い屋根の家は、忘れもしない。忘れられない。

「私の、家?」

「そうだよ! 君の家! ずっと探していたのだけど、今日やっと見つけたんだよ」

「王子は、ずっとあなたの家とお母さんを探して、日が沈むまで泥だらけになっていたんです。さあ、あそこで洗濯物を干しているのが、あなたのお母様ですか?」

「そう……そうよ。そうなの。あれが、お母様なの。ああ、お母様!」


 こうして、王子様とツバメのおかげで、優しい母と再会できた親指姫は、王子様と結婚して本当によかった、と改めて涙を流しました。

 姑であるお妃様は、自分の何倍も大きい親指姫のお母様を見て、少し怖くなったのでしょうか。それとも、王子様が親指姫の隣にいることが常になったからでしょうか。以前よりも親指姫に優しく接するようになりました。

 さて、こういうわけで親指姫は、ときどきは実家に帰りながら、優しい王子様と、その後生まれたかわいい子供たちと、いつまでも幸せに暮らしたのでした。


 めでたしめでたし。

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てのひら短編集 皐月あやめ @satsuki-ayame

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