妹になった幼馴染がネコに取り憑かれた。普段はクールなのにネコ耳姿だとぐいぐいくるんだが。
gresil
第1話
江波彩莉はこの俺、
江波彩莉はつい先日、名を伊月彩莉とし、俺の妹になった――
朝八時、スマホから流れるしつこいアラーム音で目を覚ます。
春休み中なのでゆっくり寝ていたいところだが、いつまでもだらしなくしているわけにはいかない。明日から学校が始まるし、今はもう父親と二人きりの生活とは違うんだ。
身体を起こし、自室を出て一階のリビングへ向かう。
ドアを開けるとパンの焼ける香ばしさとコーヒーのほろ苦い香りが漂った。
「あ、おはよう……」
キッチンに立っていた彩莉に控えめに挨拶をする。
長く綺麗な栗色の髪を靡かせ、淡いブルーの瞳でこちらをちらりと見た。しかしすっと視線を流し台の方へ戻し、挨拶は返ってこない。
パンとコーヒーの香りは残り香だったのか、済ませた食事の食器を洗っていた。
「なんで制服? ……ああ、今日は入学式か」
彩莉は今年から俺と同じ高校へ入学する。始業式は明日だから俺はまだ春休みだった。
食器を洗い終わった彩莉はブレザーを羽織り、鞄を手にする。
「……いってきます」
そう小さく呟くように言ってリビングから出ていった。
いってらっしゃい、と返すことも出来ずに玄関の扉が閉まる音を確認する。俺は思わず大きなため息を吐いた。
この家に越してきて一週間。彩莉とはろくな会話もなく、ずっとこんな感じだった。
いや、中学時代はもっと酷かったか。
俺と彩莉の付き合いは、それはもう、乳児の頃から続く長いものだった。
父子家庭のウチと母子家庭の彩莉。古びた小さなアパートで隣同士に暮らしていた俺たちは、兄妹も同然で育ってきた。
彩莉はもともとポーっとしていて感情表現が上手ではなかった。でも全く笑わないというわけではなかったし、口数も多くはないがそれなりには喋る子だった。
しかし、中学の頃から彩莉は変わった。
表情はまるで凍ったかのように変化をなくし、ろくに口を開くこともない。
そんな彩莉に友達など出来るわけもなく、常に孤独な中学生活だった。
そんな彩莉は中学時代『孤高の氷姫』と呼ばれていた。らしい。俺も聞いた話なので詳しくは知らない。
そう、彩莉は孤独ではなく孤高だったのだ。
ロシアの血が混ざったクォーターで、姫と名のつくほどの美しい容姿と、トップクラスの成績を誇る頭脳。
そして――――他とは一線を画す絵の才能を持っていた。
そんな才能に満ち溢れた彩莉に近づけるものは誰も居なかった。幼馴染の俺でさえも。
この度の親同士の再婚はまあ、予想していた通りのものだった。
親父と母親になった英玲奈さんは協力するように俺と彩莉を育ててきていた。それこそ昔から家族同然の関係性だったのだ。
しかし、俺らが義務教育のうちは保険うんたら手当うんたらと大人の事情があったらしく、彩莉が高校に上がったこのタイミングでの再婚になったそうだ。
これで彩莉と本当の家族になれた。
でも、中学時代、空白の三年間。この疎遠だった時間が今の俺たちの関係の延長線。
なんとかして取り戻したい。しかし彩莉との距離は、そう簡単には縮まりそうになかった。
適当に朝食を終えた俺はリビングのソファーに座る。
「やっぱり、なんか落ち着かないな……」
今までは親父と二人でワンルームのアパート暮らし。それがそこそこ立派な一軒家になったもんだから、この広々とした居住空間にただ一人だけという状況にソワソワしてしまう。
「はあ……どうしたものかな……」
静かな部屋の中心で小さく溜め息をつく。
そして俺は、この家から逃げるように市立図書館へ向かうのだった。
商業施設と違って、早く開いている図書館は都合がいい。
今日も本を手に取り読み耽る。
一度読みはじめれば時間が過ぎるのはあっという間で、気付くと時計の針は午後の1時を過ぎていた。さすがに腹の虫も鳴いてくる。
コンビニのイートインスペースで昼食を摂っていると、ふとあることに気付いた。
「しまった……彩莉の分の昼食代も持ってきてしまった……」
二人のお昼代としてテーブルに置かれていた1500円をすべて持ってきてしまっていた。
入学式は午前中で終わるはずなので、この時間にはもう帰宅しているだろう。
家にも多少食べるものはあると思うが、彩莉もこのお金の存在には気付いていたはず。一応おにぎりやサンドイッチを購入して帰ることにした。
帰宅しリビングに入ると、部屋の中心に佇む少女の姿が目に入る。
「あ……帰ってたんだね。お、おかえり、彩莉……」
静かに振り返った彩莉にぎこちなく声を掛ける。
そこに立っているだけで妖精かと見間違うほど、可憐な妖艶さを彩莉は漂わせていた。
大きめの黒のパーカー、グレーのショートパンツというラフな部屋着に着替えているにも関わらず、その妖艶さは色褪せてはいない。
彩莉は無表情でこちらを見つめていた。いや、睨んでいるのかもしれない。
「あー……えーっと、彩莉の分の昼食買って来たんだけど良かったら食べる……?」
彩莉は俺の差し出したコンビニ袋を黙って受け取り、中を確認する。そして黙ったまま袋ごとテーブルの上に置くと、ソファーに座りスケッチブックを広げた。
「ご、ごめん。食べたいものなかったかな?」
「……あとで食べる」
「そ、そう? ならいいけど……」
こちらの台詞に意も解さず、彩莉はスケッチブックの上に色鉛筆をはしらせた。ソファーの前のテーブル上には、百色以上の色鉛筆が並んでいる。
小学生の頃からコンクールに入賞し続け、今となってはその道では名の知られた有名人。
作風は独創的で幻想的。
日常的な景色の一コマからゲームやファンタジーのような世界観の風景を幅広く描く。
その実力は中学生の身でありながら、大手企業も目を付けているという噂をよく聞くほどだ。
そして俺は、そんな絵を描く彩莉の姿を呆然と立ち尽くして見つめていた。
「……兄さん」
こちらに目を向けることもなく、彩莉から言葉が発せられる。
「は、はい! なんでしょう!?」
「……そこ……目障り」
「はっ! すいませんでしたぁ!!」
そのまま逃げるように、慌てて自室に引っ込んだ。
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