第2話 朝の教室

 最初は誰だって緊張する。

 人間、初めての分野やコミュニティ、新天地に対してはどうしようもなく臆病で、その人自身の真価というものが問われる。

 そんな臆病者の支えになるものは、一昨日から今この瞬間まで繰り返し続けている反復練習なんかよりも、過去経験している『初めてのもの』に対する戦績だったりする。


「東京から来ました。斑目宗二です」

 このあとにいくつか趣味や入りたいと思っている部活動、後は適当にされた質問に答えるだけ。そんな単純なことなのにどうしようもなく無理難題に思えてくる。

 新居に越してきてから始めての登校日。転校初日となる今日だが、夏休みの間に引っ越したため、秋の始業式前のごく短い朝のホームが転校生である俺の自己紹介の場になる。

 始業五分前を伝えるチャイムが鳴ったあと、これから入る二年五組の教室前の廊下に担任の先生と共に待機する。朝からガヤガヤと賑やかな教室。ドアの磨りガラス越しに生徒の何人かが歩き回っているのが見える。

「斑目くん、緊張しているか?」

 黙って頷いた。先生は落ち着かない様子の俺の不安を拭おうと笑顔を見せる。

 俺は、度を越したあがり症だ。国語の授業のなんてことない朗読で冷や汗が出てくる。人前でなにか発表をするとき、満足の行く結果になった記憶がない。後々になって記憶そのものが飛んでることもある。

 逃げ出したい。

 嘘かどうか怪しいが、体調が悪いとでも言ってしまおうか。しかしそんなことを言ってもその場しのぎにしかならないだろう。

「安心してくれ、みんな明るくていいやつだからな。呼んだら入ってきてくれよな」

 先生はそう言ってガラガラと引き戸を開け中に入っていく。騒がしかった室内は途端に静かになった。

「おはようございます。まずは皆さん、新学期おめでとう。今日から二学期が始まるわけですが、本日よりこの教室に転校生が来てくれました。」

 扉一枚隔てた先の教室は、わっと喧騒を取り戻した。今からこの中に主役として入るのかと思うと、緊張でどうにかなりそうになる。

「さあ入って」

 多くの声の響く動物園の温室のような喧騒の中でも、俺自身に向けての言葉はしっかりと届いた。

 先生に呼ばれ意を決する。

 緊張のあまり面接が何かと勘違いし、「失礼します」が喉から出かかったがなんとか抑え、扉へ手を掛ける。

 ガラガラと音を鳴らし教壇へ立つ。十人十色な生徒がこちらを見ている。金髪や茶髪の生徒が何人か見え、不良の存在を感じ余計に心が乱れる。

 先生からチョークを渡され、ナヨナヨとした字で名前を書いていく。『斑目宗二』と書いたが後ろに行くに連れ字が小さく見え、なんとも不格好だ。

 『二』なんか小さく書きすぎてイコールに見えてしまう。斑目宗は何と等しくなるのかと、少し詩的なことを考える。

 前へ向き直りいよいよ自己紹介。

「とっ、東京、フッ、フゥッ…東京からッ」

 言葉に詰まり、湧き出した唾を飲み込む。前に見える五十を超える瞳は、ポカンとこちらを見つめている。

 一度こうなったら止まらない。

 普段ならなんてことのない目を合わせるという行為すら出来なくなり、逸らした先から別の目と目が合う。夕焼けの太陽を真正面から見たときのように目線の置き場を見失い、下の教卓の木目をじっと見つめることしかできなくなる。

 呼吸がうまくできない。息が荒くなり言葉に詰まり、体が話しながら呼吸をしようとしてくる。体を丸め言葉を詰まらせながら苦しんでいる俺は、はたから見れば緊張から吐きそうになってるように見えるだろう。それ自体が大きく間違っているとは言えないが。

 横から先生が心配して「大丈夫かい?」と話しかけてはくれるが、隣から視線を送るだけでこちらの反応を待っている。人間ってのは本当に困った時には一周回って『自分でなんとかするしかない』って考えるものなんだ。救いを求めるなんてギリギリで思考が出来てる人間のすることなんだ。

 変なストイックさに呑まれた俺は、先生からの助け舟に苛立ちすら感じ始めていた。

 俺にだってできるはずなんだ、このくらい。

「まだ…斑目…!宗二っ…です…!」

 緊張を振り払うように名前を叫ぶ。

 達成感、なんてものはない。登校する前に家でしてたイメージではもう既に用意していた自己紹介を終え、クラスメイトから自由に質問を受けていたはずだが、どうにもうまくいきそうにない。

「はい!よろしくお願いします。皆さん仲良くしてあげてくださいね。斑目くん、一番後ろにあるあの席に座って」

 介入できるタイミングを見つけられた先生が早々と切り上げ、これ以上の醜態は晒さずに済んだ。教壇から降り、期待外れとでも言いたげな嫌な視線を感じながら先生の指差した席へと向かう。


 その後は体育館で行われる始業式を済ませ、前の学校で夏の期末に出た範囲の授業を学び直し、最初の一日が終わった。朝のあれのせいか、話しかけてくるクラスメイトは午前、午後合わせて一人もいなかった。

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