第51話

 放課後。皆より少し遅れてグラウンドに向かう。

 隅の草地ではジャージ姿でキャッチボールをしているクラスメートが見えるが、近づくにつれ俺の心は落胆に包まれていった。


「やっぱりだめかぁ」

 集まったメンバーの中に赤坂の姿は無かった。自分なりに説得したつもりだったけど、彼女の意思を動かすには至らなかったらしい。

 憂鬱とした気分のまま練習に参加するものの、俺が来たのが遅すぎたのかすぐに休憩となる。

 季節は六月の上旬。夏も近くなり、たいぶ日も長くなってきたな。

 そんな一向に暮れる気配のない空を見ながら、俺はネット沿いに腰かけた。


「はあ……暑い……」

 今日は須山も諌矢も出ていない。そんな訳で、まともに話せる相手がいない俺は一人でお茶を飲んでいた。乾いた喉には驚く程抹茶が馴染む。


「よっす、一之瀬。元気してる?」

 やる事もなく時間を潰していたら、竹浪さんが近づいてくる。


「はー。これだけ練習して当日雨だったら悲惨だなー」

 俺の隣に腰かけると、群青色のジャージに包まれた足がすらりと伸びる。柔らかな笑顔を湛えた横顔。


「竹浪さんは野球以外にも何か出るの?」

「テニスとか、あとバレー! 一之瀬は?」

 食い気味に聞いて来られるとこっちも会話がしやすい。

 この辺り、コミュ力の差をはっきり感じて申し訳なくなる。


「野球だけ。外の競技が雨で中止になったら、その時点で出る種目無くなるんだよね」

「あはは。それは嫌だねえ!」

 竹浪さんは労うように、俺の背中を二度叩く。

 しかし、俺としては野球が中止になれば何も出なくて良い訳で、正直楽なんだよなあ……

 竹浪さんは隣に座り込んだまま、特に話す事も無く時間が過ぎていく。

 俺を気にしているようにチラチラこちらを見ているが、一向に離れる気配は無い。

 この場合、俺から何か話題を提供するべきなんだろうけど……


「ねえ」

「な、何?」

 そんな俺の心のムズムズを感じ取ったのだろうか。膝を抱え込みながら何か言いたげな竹浪さん。その瞳に思わず吸い寄せられる。


「瑛璃奈、超機嫌悪いっしょ?」

 一瞬、返す言葉を失い、


「――ああ。何なんだろうな。竹浪さん助けてよ」

 その言葉の意味を知った瞬間、堰を切ったような声が上がる。

 彼女はどうやら俺が西崎の件で悩んでいるこの問題を全て理解していたらしい。


「あはは。待ってましたって感じだね」

 竹浪さんは手元に預けていたコーラのペットボトルに一口つける。


「瑛璃奈と風晴の間で一悶着あってさ。それからずっとあんな感じなんだよねえ」

「西崎が? 何か言ったの?」

 竹浪さんがこくんと頷く。


「この前、一之瀬達が遊んでたのを見たって話したじゃん? それで瑛璃奈が諌矢に聞いたの。『赤坂さんと何かあるのか』って」

「ええ……直球過ぎない?」

 素で引いている俺を見て、竹浪さんは面白そうにころころっと笑い声を零す。


「そんでさ。聞いても風晴が誤魔化すもんだから、それが気に食わなかったみたい」

「つまり、それが最近別々にご飯を食べてる原因って事?」

「それ!」

 竹浪さんはパンと軽く手を叩きながら、俺を指さす。軽いノリだし見た目ギャルだし、ついでに制汗剤の匂いでくらくらしてくるけど、西崎よりかは全然話しやすい。


「なんかさ、赤坂さんと風晴を疑ってるみたいなんだよね。ほら、前に一緒に学食で食べてたじゃん?」

「うわあ。その頃からの話の続きなのか……この因縁は」

 元々、西崎や須山達といつも昼食を共にしていた諌矢。

 しかし、ある日を境にそれをすっぽかして俺や赤坂と一緒に昼飯を食うようになったものだから、西崎はそれが気に入らなかったんだろう。

 でも、まさか竹浪さんがそのやり取りを見て不穏な物を感じ取っていたなんて。


「女子の観察力なめんなし。ていうか、風晴が何もないって言っても瑛璃奈が信じないんだよね。本当に疑り深くて『え!?』って感じっ」

 ジャージの裾をいじりながら、面白おかしく話すアッパー系ギャル。


「確かに、諌矢は俺と同じくらい赤坂とも一緒に行動してた時期もあるしな」

 でも、それは諌矢なりの気遣いでもある。

 俺はストレスで簡単に腹を壊す。赤坂も自分の悩み――皆のいる場所で食べるのが緊張するなんて事情を西崎に知られたい訳がない。

 正直に俺達の悩みを西崎に打ち明けた所で理解を得られるとも思えない。下らないと一蹴して終わるだろう。

 そうなると当然凹む。赤坂は分からないけど俺は凹んで学校なんか行きたくなくなる。

 それを諌矢は全部分かっているから、西崎に問い詰められても『何も無い』としか言えないのだ。

 でも、西崎には『何も無い訳がない』としか思えないくらい俺達三人が行動を共にしていて、それが気に食わない。

 西崎からしたら、今まで一緒だった諌矢がグループから離れて俺達と仲良くしているのは相当にムカつくんだろう。あいつも赤坂並みに唯我独尊だからな。


「あああ、西崎めんどくせえ!」

 それらを考察したところで感情が口から迸る。隣の竹浪さんは俺が黙りこくって思案を巡らせた辺りからずっと笑っていた。


「ねえ、一之瀬。何か風晴から聞いてないの? 赤坂さんと実は付き合ってるとか、そういうの本当に何も無い?」

 ようやく笑いが収まった所で、俺に質問をぶつけてくる竹浪さん。

 詰め寄る様に顔は真剣そのもの。西崎の親友として真実を知ろうとしている。そんな意思が伝わってきた。


「何も無い。というか、赤坂と諌矢の間にフラグが立つわけがない」

「あっはは! なにそれ。じゃあ瑛璃奈の思い込みって事?」

 俺は即答。竹浪さんは後ろの草っぱらに仰向けになって笑う。なんだこれ。


「信じられないよね?」

「大丈夫、信じるよ」

 竹浪さんは寝そべったまま、笑い過ぎて涙でも出たのか目元を擦りながら俺を見る。


「一之瀬って嘘つけないでしょ? だから、今喋ったのも全部ホントの話だって、私分かっちゃうんだよねえ」

「そう見える?」

「だって、一之瀬。瑛璃奈とやり合ってる時とか本当に嫌そうな顔してるし」

 身を起こすと、後ろに結ったカールした髪のテールがぶわっと揺れる。

 何もかも察してます。そう言いたげな竹浪さん。


「そんなに顔に出てたのか……」

「うんうん。その内、一之瀬の方が瑛璃奈にキレないかうちらも結構気にしてるんだよ。いつもうちのお嬢がごめんねえ」

 そう言ってあざとい仕草で両手を合わせた竹浪さんが小首を傾げた。思わぬ理解者の登場だ。


「じゃあ、竹浪さんがあいつに何とか言ってやってよ。本当に諌矢は赤坂と何も無いんだって」

「へー。じゃあ、やっぱ赤坂さんは一之瀬の方と、付き合ってるんだ?」

 話がおかしな方向になってきた。切り込んでくる竹浪さんの目を俺はじっと見返す。


「残念だけどそれも違うよ」

「あっはっは!」

 即答するとまたも大笑いをする竹浪さん。今度も信じてくれたようだけど、本当にテンションが高いなこの子。

 まさか、炭酸飲料で酔える特異体質なんだろうか。CMの構図みたいに草地に立てたコーラ。殆ど無くなったペットボトルを見ながら、ふと思う。


「ねえ、一之瀬。ちなみになんだけどさ。風晴が他の誰かと付き合ってる可能性はあると思う?」

「いないと思うけどなあ。それにあいつ、どう見ても女好きだし。ああいうチャラ男が好きな女子を一人に絞るなんて無理だと思う」

 俺は恋愛経験なんて無いし、駆け引きも分からない。

 でも、諌矢とは接する時間も多いので何となく彼女はいないんじゃないかなとは思っている。それを正直に伝えた。


「それ、すっごい分かる!」

 俺の素人みたいな考察。しかし、竹浪さんはテンション高めに同意してくれた。


「分かってくれるんだぁ……」

 人から共感してくれる経験が殆ど無い俺は自然と嬉しさがこみ上げる。

 赤坂はいつも俺を否定とマウントから入って来るからね。こうも肯定された事は俺の人生でもあまりないからそりゃ嬉しくなる。


「つまり! 瑛璃奈は安心して良いって事だねー」

 ぱたぱたと足をさせながら、夕空を見上げる竹浪さん。

 ああ、もう空がオレンジ色か。一緒に見上げてようやく気付く。


「西崎に言っといて。諌矢に告白しても大丈夫だって。リア充は末永く爆発すればいいんだよ」

 竹浪さんと話している内に気分が軽くなってきた俺は、冗談混じりに言った。

 いっそ、西崎と諌矢がさっさと付き合えば、問題は即解決するだろう。


「分かったー。瑛璃奈に伝えとくねっ」

 それを面白おかしそうに聞きながら、竹浪さんは訛り混じりで頷く。一緒に悪戯してる子供みたいな顔だった。

 この反応を見る限り、西崎が諌矢を意識しているのはグループ内でも周知の事実らしい。

 女子の人間関係は複雑怪奇なので、空気読んで言わないであげているってとこか。


「諌矢に放置されてストレス溜めてんのは分かるんだけど、そのイライラを俺や赤坂にぶつけられても困るんだよなあ。教室内もギスギスするし」

「紫穂も紫穂なんだよねえ。瑛璃奈とあんまり拗らせたくないんだろうけど、合わせ過ぎ」

 頬を掻きながら、竹浪さんが困ったように笑う。


「しほ?」

 唐突に出てきた名前を思わず聞き返す。


「うん。ほら、瑛璃奈といつも一緒にいる子。二人で割と赤坂さんの陰口言ってるの」

「ああ、あの黒髪ショートカットか」

「その言い方さあ!」

 竹浪さんがボトルを掴んだまま、人差し指だけこちらに向けて笑う。

 西崎の取り巻きの一人、野宮紫穂は俺の中ではあまり関わらない女子だ。見た目が黒髪ショートカットでスカート短いって以外本当に印象にない。


「紫穂ってさ。私と違って高校になってから仲良くなったから……まだ、瑛璃奈の機嫌窺ってる所あるんだよね。嫌われないか気にしちゃってるんだと思う」

 つまり、共通の敵を作る事で築き上げたばかりの繋がりを強くしようとしているのか。

 女子のクラスカーストはいろいろあるんだろうけど、そういうやり方はどうしても気に入らない。


「SNSで陰口叩き合ってるんでしょ? 諌矢から聞いたんだけど」

「うわあ。一之瀬まで知れ渡ってんの? 結構やばいね、それ」

「やばいって言い方……」

 クラス内でも割と空気扱いなのが俺だ。そんな層にまで知れ渡っているのがヤバイって言いたいのかな。


「ともかく、西崎と諌矢の問題を解決しないとどうにもならなそうだな、これ」

「だねぇ」

 俺達は揃ってため息をしてしまった。

 その時、遠くの方で声がした。顔を上げると、皆が一か所に集まっている。


「今日はもう一練習やって解散かな」

 俺はジャージの尻をはたきながら立ち上がる。


「ねえ、一之瀬」

 竹浪さんは両手を草地に置いたまま、こちらを見上げていた。

 傾いた陽に当てられ、灰緑色(かいりょくしょく)に煌めいた髪が微かに揺れている。


「なに?」

 尋ねると、竹浪さんは膝を起こす。そして、立ち上がろうかという体勢のまま動きを止めた。


「一之瀬って、おとなしそうだけど、結構毒吐くんだねって」

「ええ!?」

 よっ、と言いながら跳ねるように立ち上がる。並ぶと意外に長身で、結われたテールの分だけ身長も上だ。


「おとなしそうなのに、最近は瑛璃奈ともたまにやり合ってるじゃん? 今も結構毒舌で笑っちゃったよ」

 そう言って俺の肩をぽんぽんと叩く。袖口から隠れた指先の感触がはっきりと伝わってくる。

 褒められたりからかわれたりして照れ臭い。俺は触れられた手から身を引いて離れた。


「そんなんじゃないから。頼むからやめて……」

「分かってる。瑛璃奈には言わないから」

 竹浪さんは南国の鳥みたいに、もさもさテールを揺らしながら歩き始める。


「でもさ。瑛璃奈にあそこまで言える人ってそういないからね。一応応援してるんだよ?」

「俺の一言で良くなるとは思えないけどなあ」

 それに、割と爆弾発言の連発だと思う。

 それでも、竹浪さんは西崎に物を言える存在として、俺に期待をかけているらしい。


「ま、上手くまとまるといいね!」

 そう言って、竹浪さんは駆け出していく。

 その背中をぼんやりと見ながらも、俺は不思議と笑みが零れている自分に気づいた。

 意外に近い所に味方がいたようで安心したのだろうか。

 その後の練習は、気分良くやりきる事が出来たのは言うまでもない。


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