第36話

 五月も終わりに近づき、教室内はより賑やかになった。

 遠足で新たに生まれた交友関係で、クラス内の人間模様が次々とアップデートされていくのを感じる。


 だが、これは偽りの平和だ。

 俺がそう感じるようになった理由は教卓のすぐ前の席にある。


「ねえ、赤坂さん。ここ聞いていい? さっきの数学の小テストなんだけど……」

 一人読書する赤坂におとなしそうな女子生徒が話しかける。

 前の席で俺の隣だった彼女は、赤坂に懐いていた一人だ。


「……」 

 彼女に話しかけられ赤坂は顔を上げるが、それを見た女子生徒は身を強張らせてしまう。

 それ程まで赤坂の視線は冷たく、キレるんじゃないかってくらいの雰囲気を帯びていた。


「うん? いいよ。どこ?」

 怯えている事に気づいた赤坂が微笑で返すが、無理をして表情を作っているのは傍目から見ても分かる。

 思えば、赤坂は最初から言動と行動にちぐはぐさがあった。人間関係がめんどくさいから教室ではいつも猫を被っている。

 赤坂はいつだったか、そんな本音を俺に教えてくれたっけ。だが、果たしてそれだけが理由なのだろうか。

 敢えて追及しようとしなかった。赤坂やリア充というタイプの人間は仮面を使い分けるのが上手い。どんな人とも上手くやっていける、そんな先入観があったのだ。

 しかし、今の赤坂の仮面は完全に機能不全を起こしている。これまで親しかった女子相手にも壁を作っていて、見ていて痛々しい。

 赤坂と親しかった女子生徒もこれでは不憫だ。

 本当に何とかしなくちゃならない。


「で? お前は赤坂さんが気になってしょうがないと?」

 廊下から一部始終を見終えた所で、隣の諌矢が小さく笑いを零しながら問いかける。


「違うよ。気になるってのは、諌矢が思っているような意味じゃない。赤坂を腫物扱いにするような教室の雰囲気を見るのに耐えられないって事だ」

 いつものように冗談混じりの口調に、俺は真っ向から言い返す。

 赤坂は女子生徒と二言三言交わした後は一人で読書を続けている。

 勢いよくページをめくる仕草はどこか攻撃的。それは多分、自分を守る為の行動なのかもしれないけど、周りから見たら赤坂が全方位に殺気を撒き散らしているようにしか見えない。

 でも。そうするしかないのもまた、俺には分かる。俺が腹痛に耐える時はいつも自分の事で精一杯だ。

 相手にどう思われるか気にしてお腹が痛くなるのに、なぜかその時は自分しか見えなくなる。

 赤坂もそれと同じようなループに陥っているんだ。


 周囲からは赤坂の様子を窺っている連中もいた。

 誰も気にしていない風を装っていて、その赤坂を無意識に晒し者にしている空気の中にいると、胸が締め付けられそうになる。


「赤坂がこうなってしまった原因が俺にあるのなら、何とかしたい」

 はっきりと、簡潔に俺は諌矢に想いを伝えた。


「かっけえな、夏生。そういうの俺は嫌いじゃない」

 それを聞いた諌矢は、本当に楽しそうな顔をして肩を崩した。


「でもさ、赤坂さんが自分の考えで一人でいるんなら、無理に変える必要もないんじゃないの? ほら、うちのクラスって他にも人と関わりたがらない連中多いし」

「違うよ、諌矢。赤坂は元々仲のいい女子は何人かいたんだ。ぼっちとは違うよ」

「というと?」

 俺に耳を傾けつつ、諌矢は窓から見える昼休みの景色を見下す。

 中庭で昼食を楽しむ生徒達の黄色い声が、ここまで反響してくる。


「例えば、俺はトイレの悩みでいっぱいで、そのせいで他の人とのコミュニケーションが二の次になってるじゃないか。他にも、元々人見知りでグループに入っていけない奴とか、クラス内の人間関係を割りきって勉強だけに打ち込むガリ勉もいるわけだ」

「ふむ」

「でも、赤坂は違うんだ。話せば面倒見いいし、世話好きだし。そもそも、基本的にはリア充側の性格してると思うんだよ」

「なんだそれ」

 鼻で笑う諌矢。俺の言っている事があまりに馬鹿げて聞こえたのだろう。

 それでも、俺は赤坂の性格は大分知っている方だと思っている。

 ほんの一か月足らずだけど、あいつとは奇妙なきっかけで関わった間柄なのだから。


「赤坂は俺を人に気を許してホイホイついていくようなお人好しだと馬鹿にする。でも、トイレの件をどうにかしてやると豪語する赤坂だって、十分同じくらいお人好しだと思うんだよ」

 手を差し伸べるのは自分自身の平穏な学校生活のため。利益に繋がるから。

 赤坂はそんな事を言っていたが、どうしてもそれだけが理由とは思えない。

 思い返せば、須山と会話するきっかけを作ったのも、赤坂のアドバイスのおかげなのだ。

 あの強がっている仮面の裏にある赤坂は根っからの善人、お人好し。

 なおかつ、俺が出来ない事をやってのける完全上位互換の存在だと思う。


「へえ。夏生にしては、随分と踏み込むんだな」

 諌矢は窓辺に肘をもたれながらも、俺の言葉はしっかりと聞いてくれていたようだ。

 普段の諌矢は口が軽くて油断ならないナンパ野郎だ。しかし、こういう場では今みたいにしっかり聞いて相手の気持ちを汲み取ってくれる。

 だから、俺はこいつに相談しようと決めた。


「大体、人がいる場所でメシを食えなくなるなんて相当だよ。諌矢だって見てただろ?」

 学食の赤坂は震える手でスプーンを握っていた。俺が知っている彼女とは似ても似つかない痛々しい姿だった。


「ああ、見てたよ。でも……そこまで推理するのは良いけどさ。何か宛てでもあんのか?」

 諌矢は窓辺に預けていた肘を下ろすと、そのまま背中を窓に預ける。


「聞いた話だと、渡瀬さんが中学時代の赤坂と面識があったらしいんだ」

「マジかよ。渡瀬さんが?」

 それを聞いた諌矢は興味深げに口笛を吹く。

 渡瀬奏音。かつて校舎裏で俺を呼びつけてきたクラスの女子だ。

 彼女とは中三の途中まで同じ中学に在籍していたと、赤坂自身が言っていた。


「渡瀬さんなら、何か分かるんじゃないかって思うんだ……」

 もし、中学時代の赤坂を知る事が出来れば、何かこうなったきっかけも分かるかもしれない。「でもさあ、夏生」

 不意に、からかうような口調で諌矢が俺を見る。


「そもそもお前って、渡瀬さんと話した事あんの?」

「う……それは……」

 考えていなかった盲点。確かに、こいつからすれば俺と渡瀬さんの間の接点は皆無だ。

 一応、渡瀬さんとの間には黒歴史みたいな出来事があるものの、諌矢に打ち明けたくはない。


「おっ」

 返答に窮する俺を余所に、諌矢は無邪気な笑みを浮かべて手を振る。


「奏音ちゃん! ちょっといいかな?」

 そのまま、教室を出てきた所の渡瀬さんを呼び止めにいく。なんつータイミング。

 しかも下の名前で渡瀬さんを呼び止めている。コミュ力と図々しさが異次元過ぎる。


「ちょ、まだ話は――」

 予期していなかったタイミングの遭遇。俺の身体中の神経が俄かに粟立つ。

 止めようとするのだが、既に諌矢は渡瀬さんの足を止めて口説き始めているところだった。


「あのさ、今時間いい? 夏生……いや、一之瀬が聞きたい事あるんだって」

「え……あっ」

 諌矢に話しかけられた事に気づいた渡瀬さんは顔を赤らめ――しかし、すぐに後ろにいる俺の存在に気づく。


「ご、ごめんなさい!」


 そして、お手本みたいな深い一礼でおじぎをしてみせる。俺の全てを拒否するかのように。


「残念だったな、夏生。何も言ってないのに轟沈してやんの」

 俺の肩に軽く手を置く諌矢は悪ガキみたいに清々しい笑みを浮かべていて殴りたくなる。

 でも、仕方が無いのかもしれない。校舎裏での告白未遂の後、やっぱり無かった事にしてほしいと、俺は渡瀬さんにはっきりと言われたのだ。

 だから、本来ならば俺達はもう関わってはいけない。

 ここで、対峙して話をしている事自体が黒歴史をほじくり返すようなものだ。


「でさ、本題」

 しかし、黒歴史に打ちひしがれる俺をスルーしながら諌矢は続ける。


「夏生が聞いたらしいんだけどさ。奏音ちゃんって赤坂さんと同じ中学だったってマジ?」

「ああ、環季ちゃんですか?」

 以前の告白のリベンジとか、そういう類いの話でないと理解してくれたのだろうか。

 警戒心を解いた口調で、渡瀬さんは胸元に手を置く。


「でも、中学の途中までですよ? 私、同じ市内でも別の所に引っ越しちゃったんで」

 そして、俺を見てにっこりと微笑むのだった。


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