第34話

 遠足明けの月曜日は特に何の変哲もなく順調に事が進んだ。

 いつも通りの時間割、退屈な授業に、腹が減ってくると同時に朝眠かった頭が冴えてくる。


 昼休み。俺は鐘と同時に教室を去ろうとする赤坂を追った。

 朝からずっと先延ばしにしていたが、そろそろ気になってきたのだ。

 赤坂とは遠足以降、一切会話をしていなかった。

 あれだけ衝突したのだ。きっと、酷い事を言い返されるんだろうな。

 そう思ったけど、俺は勇気を出して接触を試みる。


「赤坂」

「一之瀬?」

 意外なことに、振り返った赤坂は穏やかな表情をしていた。

 俺が川原で赤坂に言った『単純に人生を楽しめればそれでいい』という言葉。それを、赤坂は全力で否定した。

 確固とした自分を持ち、学校生活を生きてきた赤坂。

 彼女にとって、ほんの数週間、須山や工藤と仲良くして導き出した俺の考えは理想でしかなく、許容できない物だったのだろう。

 それなのに、今はどうだ。俺を見る赤坂は微笑を湛えていて、慈愛に満ちている。


「なに。そんなに焦った顔して。またお腹でも痛い?」

 違うんだと、俺は心の中で自問自答する。


 ――それこそが問題なんだ。

 今まで接してきた時とは異なる、明らかに素直過ぎる反応に、俺は戸惑いを隠せない。

 今日は購買のパンで済ませるのか? 

 外に行くならお互い出くわさないようにしようか?

 そんな、気兼ねなく交わせた筈の一言が、練られては潰される粘土玉みたいに胸奥で消える。


「どうしたの、一之瀬。泣きそうな顔してるよ?」

 黙りこくった俺を見て、赤坂はふっと吐息混じりの笑みを零す。

 覗き込んだ瞳がぱちくりしていて、どこか懐かしい憎まれ口が心地よさすら与えてくれた。

 そんな、いつもと変わらない赤坂の態度は、迷っていた俺にようやく発破をかけてくれる。


「ああ……今日は行かないのか? 学食」

 赤坂は廊下から臨む窓の景色を一瞥し、俺もそれに釣られるように視線を外す。

 窓の向こうは中庭を挟んだ場所にある旧校舎。


「ううん。今日はいいや。ごめんね、一之瀬」

 赤坂はそのまま歩き出し、二人一緒に旧校舎を眺めた時間は秒にも満たなかった。

 遠ざかっていく赤坂の背中を見ていたら、それ以上の事は言えない。言える筈が無い。

 その時――ああ、そうかと心の中で納得する。

 多分、俺は赤坂に嫌われてしまったのだ。




「ねえ」

 午後の休み時間。隣の席に来ていた西崎に話しかけられた。


「ちょっと、一之瀬。聞いてんの?」

 机に腰かけ、苛立ち混じりに俺の名を呼び続けるクラスの女王。


「何だよ」

 手のひらを机上につけたまま、西崎は挑発的な顔で俺を見下す。


「赤坂さんと何かあった?」

 薄いピンク色のネイルで机上をひっかきながら、俺を見る西崎。


「何か雰囲気悪くねって話。そういうの、いちいち見せつけないでほしいんだけど」

「悪かったな。でも、元々俺はこんな暗い性格なんだよ」

 そんなに仏頂面でいたのか、俺は。でも、女子は感情の起伏に鋭いって言うからな。

 特に、クラスの人間関係に鋭い西崎のような生徒なら猶更なのかもしれない。


「はあ? 何で謝んの、違うし」

 しかし、西崎は俺をじっと見たまま。首は一切動かさず目配せする。


「あんたじゃなくて赤坂……さんの話」

 俺は目を丸くしながら、西崎の見る方向に自然と吸い寄せられる。

 教卓のすぐ前の席。赤坂は微動だにせず、読書に勤しんでいるようだった。お手本みたいに背筋を伸ばした姿勢で、ページをまた一つめくる。


「イライラアピールとか感じ悪くね? なんなんあれ」

 ふと、もう一度赤坂の背中を見る。

 普段、赤坂の席周りで話している女子の小さなグループが教室の隅に移動していた。更に、後ろの席でいつも寝ている男子生徒の姿も見えない。

 赤坂の周囲はまるで、不可侵領域みたいに人の姿と会話が消えていた。

 もしかしたら、あいつの態度が周りの生徒達をそうさせたって言うのか。

 昼休みに話しかけた時、赤坂は当たり障り無い笑顔を浮かべてはいてもどこか無機質で、人が近づくのを拒絶しているように見えた。

 西崎もそれを分かっていて、俺に聞いて来たようだ。


「やっぱ西崎もそう思う?」

「はあ? だから、さっきからそう言ってんじゃん」

 相変わらず行儀悪く机に腰かけたまま、西崎はゴミでも見るような眼を俺に向けてくる。


「赤坂さんは元々あんま好きじゃないけど、それにしたって今の空気悪くする感じはムカつく」

 どこか急くような言い方。短いスカートから伸びた足が落ち着きなく揺れている。

 西崎は一瞬だけ、隣で雑談に耽っている竹浪さんや諌矢を気にしつつ、もう一度俺を睨む。


「あんたが何とかすれば? 彼氏でしょ?」

 そして、本当に小さな声でそれだけぽつりと呟いた。

 普段の西崎はいつも自分勝手な発言や行動ばかりしているイメージがある。

 だからこそ、俺や赤坂自身を気遣うような言い方は衝撃的で、呆気に取られてしまう。

 もしかしたら、クラスの雰囲気の悪さに、女子の筆頭として口出しせずにいられなかったのだろうか。普段のこいつは俺を敬遠していて、こんな風に話しかける事など有り得ないのだ。


「あ、ありがと。西崎」

「はあ?」

 俺の返しに、西崎は足を組み替えながら訝しがる。


「いや、あたしは赤坂……さんと、仲良くないから。だから、あんたに言っただけ」

 苛立たしさをアピールするように前髪をいじりながら、西崎は答える。

 それでも、表情は俺に話しかける前よりも穏やかになっている気がした。俺に言うべきか、彼女なりに葛藤があったのかもしれない。


「あーあ! 本当感じ悪い! 愛理!」

 これ以上俺に関わっても無駄だと悟ったのか。西崎は足を組んでぶらぶらさせていた片方を振り子みたいに蹴る素振りを見せる。そして、そのまま竹浪さん達の方に向き直ってしまった。


「今週の土曜空いてる? なんかムカつくからカラオケ行きたいんだけど」

「何その理由、ウケる!」

 竹浪さん達がキレる西崎を見て大笑いする。

 そうやって会話に戻った西崎は、遊びの予定の話を始めた。完全に俺は放置だ。

 人に探りを入れといて、この突き放す感じはないよな。やっぱり、このギャルは苦手だ。

 ――それにしてもだ。


「俺を嫌うだけなら、まだいいんだけどな」

 心の中のモヤモヤは確実に重みを増しつつあった。

 赤坂がぽつんと座る席。その周囲上で繰り広げられるクラスメートのやり取り。

 俺にはそれが、無理矢理盛り上がっているように見えて仕方が無かった。

 西崎だけじゃない。教室内の誰もが当たり障りの無い距離感を保っている。

 それは、もしかしたら嵐が止むまでの理想的な過ごし方なのかもしれない。


「ああ、クソ。それなのに……」

 一人悶々としたのが態度に出る俺よりも、皆はよっぽど上手くやれていると思う。

 それなのに、何でこんなにお腹が苦しくなるんだ。


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