第7話

「一之瀬、あんたって最低だね。人ん家のトイレ、タダで使わせてもらって恥ずかしくないの?」

 北畠邸に上がってすぐ、赤坂は俺を睨みつけながら言った。

 そのやり取りを微笑ましく見ていた美祈さんはあっけらかんとした顔だ。


「ナツは小さな頃から胃腸が弱かったからねー」

 そんなフォローを交えて、パタパタとスリッパを鳴らしながら歩いていく。


 美祈さんに続いてリビングに入ると、そこは庭が一望できる作りになっていた。

 巨大なテレビは丁度、映画番組を映し出している。まるで劇場みたいな臨場感ある大画面。

 と、赤坂が入って来ない。

 リビングから顔を出して窺うと、玄関先で脱いだ靴を整えている所だった。

 しかも、俺の分と家主である美祈さんの靴までである。どんだけ律儀なの。

 ていうか、美祈さん。せめて自分の靴くらい揃えようよ。女子力高そうなミュールのサンダルが明後日の方向に飛んでるよ。


「ケチャップライスよ。ほら見てー! 美味しそうでしょう」

 レンジで温めた皿を両手で持ってくる美祈さん。ラップを外すと、怪しげな湯気が吹き上がり、そこには紫色の砂利が鎮座していた。


「ケチャップライスだって?」

 ご飯とケチャップを混ぜただけで出来上がるトマトライスの別名。名前からして簡単そうだ。

 しかし、小学生でも作れる料理の筈なのに、どう間違えたらこんな色と質量になるんだろう。

 皿の上で焦げカスみたいに縮こまった紫の残骸は、俺の視線に屈するようにほろりと崩れた。


「あの……ケチャップ要素が全く見当たらないんですが」

 赤坂は用意されたスプーンを手に取る。その顔には疑念の色が浮かんでいる。


「そこがポイントよ! ケチャップを使ってると思われたくなかったの。赤い色を隠すのに難儀したわー」

 美祈さんは太陽みたいな笑顔で答えたが、ちょっと待ってほしい。何故、色を隠す必要があるのか。

 ケチャップライスの長所が失われていて、力を入れる場所が間違っている気がする。


「美祈さん……まさか、こんなモノばかり旦那さんに食べさせてるんですか?」

「ううん。これは試作品だし、旦那に食べさせられる訳ないじゃない。毒見お願いね」

 美祈さんは全く悪びれない様子で両手を重ねて小首を傾げる。あざとい。


「まさか、自覚してるの? 余計に始末が悪い……」

 赤坂はスプーンをそっと卓上に置き、深いため息を吐く。


「ところで、二人はいつから付き合ってるの? お姉さんに教えて」

 頬杖をついて俺達を交互に見比べる美祈さん。ゆるふわウェーブがふわりと揺れる。


「付き合ってません。それに私、この男のお陰で学校で迷惑してるんですよ!?」

 そして、赤坂はこれまでの経緯を説明し始めた。

 俺達の休み時間の行動がやたらと被る話。そのせいでクラス内に変な噂が沸き起こっているなど……一通り聞き終えた所で美祈さんが頬杖を解いて顔を上げる。


「じゃあ、お姉さんが二人に素晴らしい解決を教えてあげようか?」

「え、妙案でもあるんですか!?」

 腹も治るし変な噂も無くなる。一気に問題解決する兆しが見えた俺は思わず身を乗り出していた。


「ええ。ナツの悩みも無くなる。環季ちゃんが昼休みに自由に出入りできる。最高の解決策を思い付いたの……気になる?」

 ぱん、と両手を胸の前で合わせ、可愛らしく焦らす美祈さん。


「本当ですか? 助かります。教えてください!」

 赤坂も俺と同じように前のめりになって答えを聞こうとする。


「うん。それじゃあ、二人とも付き合っちゃいなさい。公認カップルってやつよ」

「嫌です」

 満面の笑みの美祈さんに真顔で赤坂が即答する。俺はその横で項垂れるしかない。

 やっぱりこの人、ダメな大人だ。紫色のケチャップライスで気づくべきだったよ。


「え~? だめなの? その方が面白いのに」

 美祈さんは天然色全開で笑う。

 何となく諌矢と雰囲気が似てるけど、無自覚で問題を余計に引っかき回す分、こっちの方が厄介だと思った。面白いとか言うのマジでやめてほしい。


「ところで、さっきの話の続きなんですけど。こいつの体質……一体何なんですか」

 赤坂はもう一度顔を上げ、美祈さんに改めて問う。


「あのね。ナツったら小さな頃から、すぐお腹痛くなっちゃうの。それなのに学校の個室トイレ行くのが嫌だってゴネてさ。それで、私の家に近い冬青を受験したの」

「……へ?」

 予想もしない展開の話が唐突に飛び出し、さしもの赤坂も固まる。


「ここの家なら学校の目と鼻の先じゃない? お腹が痛くなったら学校のトイレに行かなくてもここで用を足せるって、喜んでたのよー」

 のほほんとした口調で俺の秘密を打ち明けていく美祈さん。

 事態が飲み込めず、小さな口をポカンとさせている赤坂。

「しっかし、ウン〇の為に志望校のランク上げて、挙句、合格しちゃうなんてねえ! 本当にやれば出来る子なんだねえって皆で笑ってたわ。まさに火事場のクソ力(ぢから)ってヤツ?」

「俺、結構深刻に悩んでるし。笑いごとじゃないんですけど……」

 俺は言葉を失いかけた。

 しかし、美祈さんはますます楽しそうに手を振りながら続ける。


「大丈夫、大丈夫。学生時代の悩みって案外大した事ないものよ? 大人になって振り返れば笑い話で済ませるようになるって、きっと!」

 美祈さんは未来志向で問題解決を祈っているようだ。


 でも、俺としては、この体質は今すぐにでも解決しないと困るんだよな。

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