第6話

 放課後。俺は殆ど空の通学カバンを手に取って席を発つ。

 置き勉上等。散々な一日を送った俺はゲーセンに寄って憂さ晴らしする事を決めていた。


「一之瀬、もしかしてゲーセンにでも行くのか?」

 何気なく教室を出ようとしたところで、最後尾の席に座る諌矢と目が合った。


「そうだけど、何かしたか?」

「本当にゲーセンなのかなってさ」

 諌矢はにへらーっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「は? 何言ってんの、お前」

 出身校は違うが、たまに一緒に帰宅している諌矢。

 俺がゲーセンに足を運ぶ事も知っている筈なのに、ここに来て何故他人行儀な事を言うのか。


「またまたぁ~」

 訝しがる俺を見て、諌矢は胡散臭い笑みを浮かべる。

 そして、遥か前列、黒板の方を一瞥してから、信じられない事を言ってのけた。


「なあなあ、一之瀬。お前って赤坂さんとデキてんの?」

「……は?」

 頭の中が真っ白になる俺を尻目に、諌矢は続ける。


「だってさあ。昼にお前らが一緒に校外から戻って来るのを見た女子がいるんだよね」

 そう言って頬を傾げた先には、


「やっぱり付き合ってるんだよ、きっと! 一之瀬君と赤坂さん。それしかないって!」

「そんな……私てっきり、一之瀬君は風晴君と出来てるモノだとばかり」

「ええ……あんたって本当に腐ってるんだね」

 江崎さんが同じグループの腐女子とひそめきあっている。何だあれ。


「すっかりクラスの噂だぜ。やれやれ困ったものだね、君達は。昼休みにお忍びデート。挙句、パン屋でショッピングとは。そういうのを不順異性交遊っていうの知ってるか?」

「質問に質問で返すぞ、諌矢。人を黙らせる方法知ってっか?」

 俺は首根っこを掴んで諌矢を教室外に連れ出す。

「ハハッ。でも、俺は何も言ってねえぞ! 江崎さん達は、お前の行動を見て勝手に妄想してるだけだかんな」

 諌矢は両の手のひらをこちらに向け、首を横に振りながら笑う。

 ダークナイ〇の留置場でバッ〇マンに恫喝されても笑い続ける、メイクの落ちかけたジョーカー並みにムカつく顔だ。


「もう一度聞く。お前が知ってる情報全部、洗いざらい今ここで吐け」

「分かった、分かったってッ!」

 俺がどついたら、諌矢は呆気なく白状し始めた。


 どうやら、昼の一件に勝手に尾ひれがついているらしい。

 曰く、俺が赤坂と一緒にパン屋でデートしていた噂。

 そして、俺が腹痛に耐える時の苦悶の表情が思いの外怖く見えるらしく、不良扱いされて浮くから何とかした方がいいという忠告。

 更に、諌矢がそんな俺と仲良くしている赤坂に妬いているという話。

 最後は凄くどうでもいい。俺に直接被害無いし。


「ぜえぜえ……これで全部だ。いいか?」

「ああ。やはりこの手に限る」

 放してやると、諌矢は息を切らしながら俺を見上げる。


「まあ、いいんじゃないの。高校生のカップルなんて別に珍しくもなんともないだろ?」

「いや、赤坂は普通じゃないから困るんだ」

 諌矢は赤坂の本性を知らない。

 そんな事よりも……


「不味いな。何とかしないと」

 しかし、廊下に出てきたクラスの連中は、まさに嘲笑うかのように、通り過ぎる度にニヤニヤ顔を向けて来るのだった。

 しかも、その中には俺とあまり話した事のないグループの男子生徒の姿も見える。

 思っていた以上のスピードでクラスに広まっているらしい。


「くそ……何なんだよっ!」

 気づけば、俺は彼らを抜き去り、全力で走り出していた。


「おい、一之瀬! 俺だって風評被害で困ってんだよ! 江崎さん達を何とかしてくれ! 俺はホモじゃねえ!」

 後ろで叫ぶ諌矢を置きざりにしながら、俺はその場から一目散に逃げ出した。





「くそ、どうしてこうなった……」

 自転車のペダルをこぎ進む帰り道。

 大通りは夕方という時間帯もあってか、そこそこの混雑具合だ。

 この先にはゲーセンもあるのだが、とてもじゃないが行く気分にはなれなかった。

 一瞬、美祈さんの家に寄ろうかなとも考えた。しかし、家事そっちのけでFPSのスナイパーをやっている従姉に相談してもどうにかなる話ではない。

 見慣れた北畠の表札が掲げられた門扉を通り過ぎ、角を曲がろうとした、その時だった。


「ふーん。寄らないんだ」

 視界の端で赤い髪が翻る。既視感を覚えた俺は反射的に振り向き、驚いた。


「――え?」

 何と、そこには腕を組んだ赤坂環季が立っているではないか。


「素通りするって事は、やっぱここって一之瀬の家じゃないんだね」

 ツーサイドテールを揺らしながら赤坂は顎先で壁の向こう、北畠邸を指し示す。


「は……赤坂? お前、何で……」

「昼に風晴君と話してたじゃん。それに、いつも昼休みにここから出て来るでしょう? パン屋の窓から丁度見えるんだよね」

 そう言って小首を向けた先には、パン屋側面のショーウインドウが夕陽に当てられ煌めいていた。

 大通りから入った小道だけど、丁度この界隈が見える位置だ。


「おまけに名字だって違うし。ねえ、一之瀬。この家って、あんたにとって一体何なの?」

 赤坂は不信感たっぷりの冷酷な眼差しを向けてくる。


「ずっと待ってたのか? ここで」

「え、何。私がここで一之瀬を待っていたと? まあ確かにそうなるわね――あ」

 自分の言った言葉の意味を理解したのか、赤坂の顔色がその名の通り赤くなる。


「迂闊だった。これじゃ、私が一之瀬と付き合っているように見えるじゃない……」

 右手を顎に当てて問答し始める。こいつはソクラテスか何かの生まれ変わりなんだろうか。

 不意に、思い至ったように、赤坂が顎にやっていた手を下ろした。


「ちょっと待って、一之瀬。もしかしてあんた、私の事好きなの?」

「何でそうなるの。どんな理屈だよっ!」

「寄らないで。ソーシャルディスタンス!」

 両の手のひらを俺に向け、赤坂は後ずさる。自分から近づいて来た癖に、酷い仕打ちだ。


「ここが別に何だろうが赤坂には関係ないじゃん。問題でもあんの?」

「は? 問題? 大アリなんだけど。一之瀬さ。やたら学校抜け出したりしてんじゃん」

 この住宅地で大声を出せない代わりなのか、俺ににじり寄ってガンを飛ばす赤坂。

 身長は俺が勝っているけど、小柄って程でもない赤坂が間近に来ると威圧感がある。


「私と同じ時限に授業サボるのも何? 変な噂立って迷惑してんだけど」

 低く押し殺すような口調。ヒステリックに罵倒されるのとは違う意味で傷つく。


「私と一之瀬の間に何かあるなんて、酷いゴシップよ。さっきだって、江崎さん達があんまりしつこいから逃げてきたし」

「赤坂、近い……」

 何となく恥ずかしくなった俺は顔を必死に逸らす。

 それに気づいたのか、赤坂はハッとして離れる。この辺の動き含めて、食肉目ネコ科っぽくてすばしこい。


「で、でも、やっぱりおかしいわ」

 どもりながら、顔を真っ赤にして、こちらをじっと見据える赤坂。


「何がだよ?」

「保健室でも会うし、そもそも席もすぐ後ろだし。普通に考えてこんなに関わり合いになるのって不自然じゃない?」


 そっちかよ。


「席が近くなのは、お前が赤坂の『あ』で、俺が一之瀬の『い』だからじゃないの……?」

「ねえ、一之瀬。次からプリント渡す時飛ばしていい? もしくはしばらく不登校になる? どっちでもいいわ。選んで」

「冷やかされた小学生じゃないんだから……自意識過剰じゃない?」

 でも、高校生にもなって個室トイレに入るのをいちいち気にしている時点で、俺も同じ穴の貉(むじな)のかもしれない。


「あのさ、赤坂。ここは親戚の家なんだよ」

「親戚?」

 意を決し、事情を説明する俺。

 赤坂はぽかんと口を開ける。何このかわいい生き物。


「うん。名字は違うけど、父方の親戚が住んでるんだ。で、昼休みとか朝に寄ってる」

「いや、親戚の家だとして……何でそんなに足を運ぶ必要があるの? おかしくない?」

 眉が寄せられ、夕陽に照らされたオレンジの虹彩が俺を貫く。


「それは……」

 流石に、ウン〇をする度に学校抜け出してここのトイレを借りているとは言えなかった。

 相手は女子。

 いきなりそんな事を言えば、明日には教室中に噂が広まって、俺のクラスでの立ち位置は更に低くなっている事だろう。それだけは避けたい。 


「不自然過ぎるわ」

 しかし、検察官のような鋭さで重ねてくる赤坂に、俺は言い返せない。

 じりじり近づいてくる赤髪女子から逃れようとしたところで、ブロック塀に背中を打ち付けた。

 万事休すか。


「あれ? ナツじゃない」

 そこに不意に割り込んできた、のんびりした女性の声。

 驚く赤坂の後ろには美祈さんが立っていた。

 暖色系のカーディガンに黒のシフォンスカート。買い物帰りなのか、両手の袋はパック詰めされたコロッケとか唐揚げとか、大量の総菜が詰め込まれていて、それだけで、この結婚したての新妻に自炊する気が全く無いのが分かるね。


「何、ナツ。もしかして……またウ〇コ?」

「う、う〇こ!?」

 ゆるふわ美人が唐突に発したパワーワードに、さしもの赤坂も正気を失いかけていた。


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