鬼火さんの異世界ふわふわ彷徨記

雨菜水

第1話


 ──ああ、そうか。今日なんだ。


 殺風景な部屋の中。いつものように私はベッドの上で横になっていた。

 けれど、いつもと違うことがある。

 体が全く動かないのだ。


 足は元からだけど、腕に力を入れても全く反応しなくなった。指も動かせない。これでは本も読めない。

 そして口さえ動かせないので人を呼ぶことすらできない。目はかろうじて動かせるけれど、もう直駄目になるだろう。

 今私にできるのは、もうすぐ訪れようとしている最期を迎えるための心の準備をすることだけ。


 ……まあ、とっくの昔に済んでいるけど。


 子供の頃から私は自分の死を受け入れていた。生まれ持った病気のせいだろう。沢山の医者が私を診たが、最後は首を横に振る。


 長生きは出来ない。そう何度も告げられた。


 だから私にとって、死はとても近しい存在だった。隣人といってもいい。……友達にはなりたくないけど。

 いや、生まれた時から一緒なのだから、すでに親友みたいなものなのだろうか。


 ……まあ、もう正直どうでもいい。はあ、疲れたなあ。


 瞼がどんどん重くなる。呼吸が浅くゆっくりになっていく。

 自分の命の灯が消えかかっているのが手に取るように分かった。


 今更だけど最期に何か思い残したことは無かったか頭の中を探ってみる。けれど、特にこれといったものは思い浮かばない。


 家族とはもう長い間会っていないから顔も忘れてしまった。友人もいない。趣味もない。

 食べて寝て自室でひとり本を読むだけの毎日。

 私はただ生きることしか出来なかった。


 何も無いのだから、何も思いつかない。至極当然のことだ。


 ……ああ、でも──


 意識がおぼろげになっていく。

 さいごのさいごで、ふと私はひとつ思いついた。


 ──一度でいいから自分の足で立って、外というものを体験してみたかったなあ……。


 そんなことを考えながら、私はゆっくりと目を閉じた。


 ♢


 ──意識が覚醒する。


 あれ? おかしいな。

 自分の人生は終わったと思っていたのに。


 どうしてか私はまだ生きているらしい。


 どういうことだろう。


 だんだんと視界が明瞭になる。


 なんだか周りが薄暗いようだけど、棺の中というわけではなさそうだ。


 ……え、それじゃあ、私って今どこにいるの……?


 現状が理解できず、疑問が尽きない。


 自分は一体どうなったのか考えていると──


『──は?』


 視界が完全に開ける。

 すると私の目の前には荒野が広がっていた。


『ええと、何これどういうこと……?』


 見渡す限りそこは大小さまざまな石が転がるだけの殺伐とした荒野だ。実際に荒野の風景を見たことはないけれど、本で読んだことはあるので知識としては知っている。

 わずかに背の低い草が生えるだけの荒れ果てた土地。この場所は間違いなく荒野と呼ばれる場所だ。


 そして、周囲がなぜか薄暗かった。

 空を見ると分厚い雲に覆われていて、それが果てしなくどこまでも続いている。


 もしかしてここは地獄だろうか。

 これだけ殺伐としておいて天国ということはないだろう。


 消去法的に考えてやっぱり地獄かな。けれど悪いことをした記憶もないし、そもそも満足に体を動かせなかったので悪事を働かそうにも無理な話である。


 なら、天国? 嫌だな、薄暗くて岩石だらけの天国は。


 でも、不思議なことにここが地獄でも天国でもないと理解してしまう。


 根拠はない。だが、おかしなことに自分の中で確信が持ててしまうのだ。


 この荒野のどこかには必ず、命を宿した生き物がいるのだと。

 だから天国でも地獄でもないのだと。


 なんというのだろうか。こういうのを第六感と呼ぶのだろうか。

 よく分からないが、よく分かる。

 何とも妙な気持ちだった。


『……あ、そういえば』


 理由は不明だけれど、今私は、荒野の真っ只中いる。つまり、最期の願いを叶えたということに他ならない。


 もしかしてこれは神様がくれたご褒美なのかもしれない。正直ご褒美がもらえるような心当りは私にはない。

 それならば、これは神様のただの気まぐれなのかもしれない。

 でも、何だって良かった。気まぐれだって構わない。


 生まれた時から足が動かないから一度も歩いたことはない。

 だから、一度でいいから歩いてみたかった。


 どこでもいい。山でも海でも。部屋の外なら、あの屋敷の外に出られるならどこでもいい。

 窓越しからではなく、外に出て、目の前に広がる景色を飽きるほど眺めてみたかった。


 叶わないと分かっていたから、いつしか頭の奥底に閉まい込んでいたそれが今、ようやく叶った。


 そう実感すると、徐々に喜びの感情がこみ上げてくる。


 ──そうか、そうなんだ。私は自分の足で……。


 湧き上がる実感を噛み締めながら、私はおもむろに下を向いた。


 そこには足がなかった。


 あるはずの両足が。


 絶句する。


 無い。私の足が無い。


 どこにも。無い。


 混乱する。私は必死に自分の両足を探した。けれど見つからない。どこにもない。


 そしてあることに気付く。


 今の私には両腕もなかった。


 意味が分からない。


 手もない。足もない。

 じゃあ、一体自分の身体がどうなっているのかというと──


『燃えてるーーーーっ』


 私は燃え盛る火の玉になって空中に浮いていた。

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