放さない、放してくれない

清瀬 六朗

第1話 本気の顔

 「手、放さないでね」

 すすき杏南あんなの目をまっすぐに見て、はっきりとそう言った。

 杏南は薄の顔を見上げる。

 そのときの薄の顔。

 薄のそんな表情は、杏南は見たことがなかった。

 力をこめてぎゅっと一直線に結んだ唇。

 まぶたが作る目の上の線も一直線だ。

 そして、ぜんぜん笑っていない。

 これが、薄の「本気」の顔。

 いままでだれにも見せなかった「本気」の表情。

 「うん」

と言って、杏南は、薄の右手を握る自分の右手に力をこめた。

 「行くよ」

 その声とともに、薄は思い切りよく全身で杏南の体を引っ張り上げた。

 あの頃から、杏南は小柄、薄は大柄だった。

 それでも、同じ学年の女子の体を、垂直とは言わないけど、七十五度ぐらいの勾配で一気に引っ張り上げるのがたやすいわざのわけがない。

 薄には、それだけの力があった。

 とくに瞬発力が。

 それは、二人とも小学生だったころ、もう五年以上も前のことだ。

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