楽園辺獄
祐川 千
第1話 転生失敗
超パンゲア幻界群は、たとえるならミルフィーユのような構造をしているという。たくさんの世界が重なり合い、一つになって形成された、超多元空間なのだそうだ。厳密には、生地を下から上へ一方向に積み重ねるミルフィーユのような、単純な構造をしているわけではなく、世界同士の一部がくっついたり、全体が重なったりしているのだというが、正確なところは分からない。何故ならば、超パンゲア幻界群の言生生物は、自分の生まれた世界から出て幻界群全体を見ることがないからだ。
超パンゲア幻界群の言生生物は、自分の生まれた世界で一生を過ごし、死した後は、パンゲアの外に広がる母なるパンサラサで魂を浄められる。そして、自分の蓄積した生をパンサラサへ還し、まっさらな魂となって次の世界──来世へ移る。前世は勿論、パンサラサにいた間のことも忘れてしまうのだ。この世にパンゲアとパンサラサを把握できている者がいるとしたら、原初生物くらいだろう。
それが本当ならば、ただの人間である僕が、何故こんなことを知っているのか。
理由は明確だ。僕は今、パンサラサにいるからだ。
一つの生を終えた僕は、パンサラサへ流れ着いた。前世の終わりの景色は、まだ覚えている。
自分の感覚が薄れていき、布団のように安らかな暗闇に包まれた。やっとゆっくり眠れる、と意識を手放そうとした時。不意に、沈んでいた水面から引き起こされるような感覚に襲われた。驚いて目を開けると、すでに僕を囲む景色は一変していた。
僕は、色とりどりの光に満ちた、不思議な空間にいた。死んだ珊瑚礁に似た、細く、粗く、透明な網目があたりに張り巡らされていて、その隙間から赤や金、青といった、豊かな色を伴った光が射し込んでいる。まるで、ステンドグラスでできた箱の中にいるかのようだった。
この空間は何だろう。そう考えるうち、超パンゲア幻界群の存在を認識したわけだ。どうも、本能に刻み込まれている知識だったらしく、僕がパンゲアで死んでパンサラサへ流れ出たことにより、魂の奥底にあった常識が、実感となって蘇ってきたようだった。
しかし、これはどういう状況なのだろう。
僕は、今いるステンドグラスの箱を探る。箱の中には、自分の他に誰もいない。壁に近づいて外を窺ってみるが、白い靄のようなものが濃く立ち込めており、何の景色も見えない。はっきり見えるのは、ガラスに映る僕の顔だけだ。
僕の姿は、死ぬ前と何ら変わらない。
垂れがちな翠の目。つまらなそうな顔。髪の色は見慣れた亜麻色のままで、しかも、僕が最期に自分で一つに束ねた時と全く同じ形をしている。肌の変色もない。仕事柄ついた筋肉の質量もそのままだ。死んだからには、もっとおどろおどろしい姿を見ることになるだろうと予想していたから、拍子抜けである。
パンゲアの生物が、死後パンサラサへ行きつくことは思い出した。しかし、パンサラサがどういう場所で、これから自分がどのような行動をすべきなのかまでは知らない。
──まさか、ずっとこの空間に封じられ続ける、なんてことはないよな。
僕が不安を覚えた、まさにその時だった。
眼前のステンドグラスが消えた。
天井から眩い光が落ちてきた。目と鼻の先に、ちょっとした劇場にありそうな、レッドカーテンの引かれたステージが現れる。
花吹雪が降ってきた。ステージの中央に穴が開き、円形の舞台がせり上がって来た。
そこには、ステンドグラスのバラ窓と、タキシード姿の子どもが二人乗っていた。彼らは、そっくり同じ見た目をしていた。真っ白な肌に、ふっくらとした頬。黄金の大きな猫目は瑞々しく、ステンドグラスを照り返してきらきらと輝いている。髪も子ども特有のさらさらとした細さだったが、くすんだ風合いが埃をかぶったようで、まるで陶器の人形が年季の入ったぬいぐるみの毛皮をかぶっているような、奇妙な印象を覚えた。
「人生終了、おめでとう!」
子どもたちは笑顔で言った。
「束の間の浮世は楽しめたかな?」
「儚くも怠い人生は、いったん終わり」
「永遠の桃源郷パンサラサで、束の間の休息を楽しんでいきなよ」
愛らしい見た目の割に、言い回しが渋い。
子どもたちは、中央のバラ窓を示した。
「くつろぐ前に、お楽しみのルーレットをやっておこうね」
僕は、やっと子どもたちが挟んでいる丸いものに目をやった。
バラ窓だと思っていたそれは、透明な円盤でできたルーレットだった。六等分されており、それぞれの枠に何やら文字が書いてある。
「次の君が何になるのか、どこに行くのかが、これで決まるんだよ」
子どもの片方が言った。
「さあ。身構えず、さくっと投げてみよう」
もう片方の子どもが近寄ってきて、俺の手にダーツの針を握らせた。
「君は天ランクの魂だから、適当に投げても良い感じの来世に行けるはずさ」
「転生ルーレット、スタート!」
円盤が回り始めた。
──次の行先は、ルーレットで決まるのか。
適当だなと思う反面、納得している自分がいる。
今さら何になろうが構わないが、せっかくだ。よくよく見ておくか。
僕は回る板を見極めるべく、少し身を乗り出した。
──パチン。
指の鳴る音がした。
「待った」
突如、世界から色が失せた。
ステンドグラスはモノクロになり、めでたそうだったステージ上のレッドカーテンも、喪に服したような黒に変わっている。
指を鳴らしたのは、僕にダーツの針を渡した方の子どもだった。可愛らしい顔から、笑みが消えている。
「待った、弟」
「どうしたのさ。兄ィ」
ルーレット盤を押さえる方の子どもが、不思議そうに言う。
兄だという子どもは、俺を見上げた。
「こいつ、ヤキゴテだ」
「え?」
弟が目を丸くした。
兄は懐から小さな鏡を取り出し、僕に見せた。覗きこんでみるが、そこにいるのはいつもと変わらない自分だった。
「ちょっとごめんな」
兄は、僕の顔の左側に垂れる髪をかき上げた。そうされて僕は、やっと自分の異変に気付いた。
左のこめかみに、小さな黒い模様がある。少し歪な線に似たそれは、細い枝のように思われた。
「本当だ」
近寄って来た弟が、僕の顔を見て声を上げた。
「予定変更だ」
「そうだな」
兄は鏡を閉じた。
「悪いな、兄ちゃん。くつろぐのは延期だ」
「え」
「あんたには、楽園の裏側に来てもらう」
字面からしてやばそうだ。
僕の顔を見た兄が笑う。
「心配すんなよ。怖ぇことはねえさ。ここの決まりで、その印がある奴は、すぐに湯に入れちゃいけないって話になってるんだよ」
「湯?」
「忘却の湯。魂に染みついた色々をあらかた落とす場所だな。転生のために必要な禊なんだよ」
「つまり僕は、転生できないってことですか」
「そういうこと」
「マジか」
僕は溜め息を吐いた。
弟の方が、目を伏せる。
「転生したかったよね。ごめんね」
「いや。いいんです」
別に、なりたいものがあるわけじゃない。ただ、今の自分ともう少し付き合わなくてはいけないのが億劫なだけだ。
「それで、どうやったらここから出られるんです?」
「兄ちゃんは話が早くて助かるぜ」
兄の方が、カーテンを指さした。
「普通の転生者は、ルーレットを回したら、あのカーテンを開いて向こう側へ行けるようになる。だが、俺たちの用があるのはあっちじゃない」
兄は足を踏み鳴らした。
床が丸ごと抜けた。透明な床板が、ゆっくりと下降していく。先程まで部屋の周囲を取り巻いていた濃霧が、今度は俺たちの周囲を満たす。だが不思議なことに、霧がすぐそばまで迫っていても、二人の子どもたちの姿だけははっきりと見えた。
この床板は、どこへ行くのだろう。
下を見る。やがて、霧の向こうに何かが見えてきた。
僕は唖然とした。
「何だ、あれは」
見えてきたのは、巨大な透明なドームに包まれた、緑豊かな大地だった。
だが、ただの大地ではない。広大な地面は、よく見ると楕円の形をしている。しかも、細長くなった両端の先に、何やら石塔めいた巨大な何かがあるのだ。
石塔の片方が、こちらを向いた。
頭を巡らせ、つぶらな黒い瞳をこちらへ向ける。
「俺たちの家主さ」
可愛いでしょ、と弟の方が言った。
「パンサラサは巨大な海だからね。ここに留まるには、生きる家がないといけない。大霊亀玄武──ゲンちゃんは、このパンサラサの海に棲む者の中でも、二番目に古い原初生物で、俺たちに家を与えてくれるんだ」
「ゲンちゃんはパンサラサで最も愛される生物だ。その背中に、この世界で最も嫌われる俺たちが住んでいられるのは、ゲンちゃんの慈悲のおかげだな」
兄は、ゲンちゃんの甲羅の一角を指示した。
何やら迷路のような模様が見える。
「いつまで覚えていられるか分からないけれど、土産話として覚えておくといい」
彼は言った。
「あれが、俺たちの仕事場──楽園の裏側<悟りの辺獄>だ」
僕たちが降り立ったのは、転送専門のスペースらしかった。大きな長方形の空間に、先程見たルーレットに似た、バラ窓のような魔法陣が所狭しと並んでいる。たまに魔法陣から出入りするのは、辺獄の住人なのだろうか。俺のような人型の生物や動物、魔獣、その他、見慣れない形の者たちが行き来している。
「あんた、名前は?」
兄の方が俺に訊ねた。
「クルスです」
答えると、何かを差し出してきた。
「これ、渡しとく」
金の葉っぱである。よく目を凝らすと、葉脈が文字になっている。
──第イ型特級
「名刺ですか」
「そう」
「あの世に名刺があるなんて、思わなかった」
「滅多に使わないよ。渡したところで、相手がパンサラサに還ったら、海の藻屑だからな」
兄は、自分を親指の腹で示した。
「俺はヨーマ。こっちが弟のセーレ」
「よろしくね」
弟が一礼する。
「御使は魂の案内人だ。パンゲアのあちこちを飛び回ったり、ルーレット審判をしたり、色々してる」
「へえ」
「だから、俺らがあんたの傍にいつもいられるとは限らない。はぐれた時のために、その名刺を持っておいてほしいんだ」
「持っていれば、どうにかなるんですか」
「握りしめてくれれば、俺たちが駆けつけるよ」
「便利ですね」
ヨーマとセーレは、僕を挟んで歩き始めた。
転送部屋を出た先は、長い廊下と小部屋の迷路だった。僕は兄弟の後をついて歩きながら、前世で見たことのない建物に見惚れた。
<悟りの辺獄>は、一言であらわすならば翡翠の神殿だった。
壁という壁は皆、透き通った緑や白の模様をしている。その翡翠の壁に、樹木に蔦、花やらが混然一体となって形成されたこの地は、辺獄という名前で呼ぶのが躊躇われるほどに、静謐な美しさに満ちていた。
「この建物は、ゲンちゃんの甲羅の一部でできてるんだよ」
ヨーマが言った。
僕は驚いた。
「亀の甲羅が、こんな色をしてるんですか」
「亀って言っても、ゲンちゃんは特別な、霊験あらたかな大亀様だから。魔力やら霊力やら、そういうのをたっぷり持ってると、体質が普通の亀と変わるんだって」
二人はまもなく、ある一室へたどりついた。その部屋の扉にはプレートが掛かっていて、前世で見たことのない文字が記してあったが、何故か僕には何が書いてあるのか読めた。
『輪廻課』
扉を開けると、机がたくさん向かい合って並べてある事務室が現れた。机には、やはり先程までの道で見たのと同様、知らない生物が座って作業をしている。
ヨーマとセーレは、部屋の奥まで歩いていく。部屋の奥には、また別の、観音開きの扉がある。
その扉を、ヨーマはノック無しで開け放った。
そこは、資料室や倉庫のような雰囲気の部屋だった。窓はなく、壁に据えられたラックに、本、巻物、石板といったものが詰め込んである。さらには使い道の分からない鉄の道具らしきものや、くすんだ色合いの小瓶なども並んでいた。
部屋の中央に、これまで見た中で一番広く、一際物の積み上げてある机があった。そこに、犬が座っている。犬と言っても、獣人である。つぶらな瞳の下、ささやかな鼻に小さな丸眼鏡を乗せている。ふくよかに垂れた頬肉、長い白髪から推測するに、パグ系の初老に見えた。
「おっさん。ヤキゴテ見逃してたぞ」
「えぇ?」
パグが、向き合っていた書類より顔を上げた。戸惑っているようだった。
「そんなあ。彼、マイッタ君が太鼓判を押していった、天ランクの魂だよね?」
「そうは言っても、ヤキゴテは実際についてるし」
ヨーマが言うのに合わせて、僕は垂らしていた左の髪を持ち上げた。
パグは、本当だねえ、と呟いた。
「じゃあ、私が話をしようね。君、悪いんだけど、こっちに来てくれるかな」
僕は机の正面へ進み出た。
犬男は、部屋の奥の方で埃をかぶっていた椅子を持ってきて、僕の前に置いた。そうして、僕たちは向き合って座った。
犬男は、バインダーを手に、僕の顔を見た。
「初めまして。私はこの辺獄で、転生していく魂の管理を任されている、オッサといいます」
丸い目が細くなる。笑っているらしい。
「君はクルス君で良かったかな」
「はい」
「この度は、私の部下の不手際で、転生の手順に狂いが生じてしまい、申し訳なかった。君の世界を担当しているのは、本来そこにいるヨーマ君とセーレ君じゃなくて、私の部下でね」
部下というのは、おそらく先ほど口にしていたマイッタという者のことだろう。
──この二人は、代理だったのか。
僕は、すぐそばの壁に寄りかかって話を聞いているらしい、そっくりな兄弟を一瞥する。
「今すぐ彼に説明をしてほしいところだが、生憎別の任務で出掛けていて、適わない。だから、代わりに私の方で説明をしよう」
オッサは、自身の左のこめかみに指を添えた。どうも、僕の身に発生したものの位置をなぞっているらしかった。
「ヤキゴテっていうのはね。簡単に説明してしまうと、魂に発生したダークマターなんだ。ダークマターとは、未確認暗黒物質です。これが君の内側から発生したものなのか、または君が生きていた頃に外側からついてしまったものなのか。そういう理屈は、残念ながら一切分かっていない」
パグは、大きく首を縦に振った。
「でも、大丈夫。発生したヤキゴテの八割くらいはね、パンサラサで過ごしているうちに、消えてしまうんだ。だから君には、パンサラサの楽園へ行く前に、しばらくこの辺獄で、僕らと一緒に仕事をしてもらおうと思う」
「仕事、ですか」
僕は、つい、問い返してしまった。
仕方ないだろう。死んだからには休めると思っていたのに、まさかのまた仕事だ。正直、勘弁してもらいたい。
オッサは、悪いね、と眉を下げた。
「休んでいてもらっても、いいんだけどね。どうも、これまでのヤキゴテつきの様子を見るに、私たちと一緒に仕事をしていた方が、ヤキゴテの消えがいいみたいなんだ」
ヤキゴテつきというのは、僕のような、黒い印が発生した魂のことだろう。
「心配しなくても、そんなにキツい仕事は任せないよ。行動の制限も、ほとんどない。唯一の禁止事項さえ守ってくれれば、大丈夫さ」
「禁止事項って、何ですか」
「楽園で、忘却の湯に入ること。ヤキゴテのある状態で忘却の湯に入ると、ごくまれに、ヤキゴテが急に広がって、変なことになっちゃうんだよね」
「どうなるんです?」
オッサは口を噤んだ。答えあぐねているらしい。
──僕に不都合なことや、聞かせたくないことでもあるのかな。
僕は言った。
「もしかして、僕の魂に障りが出ることが起きますか」
「そうだね」
オッサは、少し間を置いてから肯定した。
──なんだ。
それならば、問題ない。
僕は、説得してみることにした。
「具体的に、聞かせてもらえませんか」
丁寧な調子を心がけつつ、語りかける。
「僕は、自分の状況を正確に把握したいんです。死んだばかりで、ここがどんな場所なのか、自分がどういう状態なのかも分かっていない。たとえ僕の知ったものが、次の転生のために忘れないといけないようなことだとしても、今自分がどういう状態にあるのかを、知りたいんです」
「君は、落ち着いているね」
パグの丸い目が、俺を検分する。
「死んだばかりの人間の多くは、前世での常識や未練に目が行きがちなものなんだけど。君は、適応が早すぎるね」
怪しまれているのだろうか。
僕は、平静を保つよう努める。
「僕だって、前世に捕らえられたままですよ。先程からのお話の様子だと、僕のこれまでのこともご存知なんでしょう?」
僕は、オッサの手にするバインダーに目をやった。
ついさっき、彼が椅子を用意している時に、そのページの端がちらりと見えたのだ。どうも、僕の来歴をまとめてあるようだった。
「僕が、この状況をよく受け入れているように見えるとしたら、それは僕が異界の干渉と観測が当たり前の世界を生きてきたからでしょう。パンサラサのような、全ての世界の外側に広がる時空があることも、まだ全ては理解しきれてはいませんが、異界の上位互換だと予想して、何となく受け止めています」
これは、素直な気持ちだ。何ら隠すところも恥じるところもない。
僕は、僅かな熱意を込めて、訴える。
「だから、このような世界に来て、むしろ好奇心を刺激されているところがあるんです。できることなら、色々知りたいと考えています」
オッサは溜め息を吐いた。
「なるほどねえ」
白い毛で覆われた指が、バインダーをめくる。
「クルス・
突然、読み上げ始めた。
「
──そうか。僕って、殉職だったのか。
初めて意識した。二階級特進はどうでも良かった。
オッサは、正面から僕を見据えた。
「私たちは、君の魂の誠実さと献身の心を評価している。一方で、殉職者には注意をせざるを得ないところがあってね」
「どうしてです?」
「一度命を投げ出した死者は、恐れ知らずになる傾向があるからだ」
オッサはバインダーを閉じた。
「気を悪くさせたら、申し訳ないのだがね。これまでにも、死後にも関わらず、前世や己の価値観に捕らわれ、魂の消滅を辞さずに暴れた者達がいたんだよ。その多くは、自己犠牲死を経験した魂だった。献身的な自己犠牲とは、私欲より解放された、他者への愛や崇高な精神の最上表現とも言われるがね。この世界で私が見たものから言わせてもらうと、その多くは偽物だよ。他人がいないと生きていけないという依存心であったり、高潔さや至高の名誉への欲望であったり。そういうものが、自己犠牲という行動に繋がっていたんだろうと、思っている」
パグの黒い目に、己の姿が映っている。僕がまっすぐに見つめ返していても、彼は物怖じせず、続ける。
「自己犠牲死を超えてきた者たちの反応は、大きく二分された」
一つは、大いに取り乱して暴れる者。永遠だと信じた自分の栄誉が、一つの世界におけるものでしかないことを知って、怒り嘆いた。その暴走で、楽園に甚大な被害が及んだこともある。
もう一つは、糸の切れたように死を願う者。終わったはずの生がまだ続くと知り、自暴自棄になるのらしかった。
「彼らの多くは、この世界へやってきてこう言ったよ。殺してくれ、自分をこんなところに一人にするな、とね」
無理もない。自分の取り巻く環境に命を賭けたのに、その全てが異なる異界へ来てしまったのだから。
オッサは同情的な口ぶりだった。
「僕は、暴れたり、誰かを傷つけたりしません」
僕が言うと、彼は目を細めた。
「君が剥き身の魂より発したその言葉を、信じよう」
オッサは手元にある
「特別だ。ヤキゴテの悪化した、二割弱の行く末を見せてあげよう」
本来なら、転生待機状態の魂は柔いから、あんまり刺激的なものを見せたくないんだけど。
そんな言葉も続いた。要は、自己責任で見ろということらしい。
僕は、彼について行ってみることにした。
辺獄の地下をぐるぐる回って、そこへ辿り着いた。
沼に繁茂する藻のような、濃く黒みを帯びた緑の螺旋階段を下りた先に、例の場所はあった。牢獄らしかった。
「ここは軽犯罪者ゾーン」
オッサの後を追う僕に、ついてきたヨーマが教えてくれた。
「だいたい、さっさと釜茹でにするんだけどな。たまに、処遇に困ることがあって、そういう時はここに置いているんだよ」
兄弟にとって、僕のルーレットは本来の仕事ではないらしい。なのに、何故かこんなところまでついてきたのだった。
「二人は、ここまでついて来て大丈夫なんですか」
僕が訊ねると、セーレが答えた。
「本来の担当じゃなくても、ルーレットを回した相手のことは気に掛けるべしっていう、御使の心得があるんだ」
「ありがとうございます」
彼らの説明してくれた通り、黒緑の回廊の左右に現れる鉄格子の向こうは、全て
オッサが足を止めたのは、さらにもう一つ螺旋階段を下った先に現れた、踊り場の前だった。重厚な岩の扉が、行く先を塞いでいる。扉の表面には、光り輝く幾何学的な術式が施してあった。僕の見たことのない魔術らしかった。
オッサが何やら唱えて、鍵をかざす。石扉が、重く、引きずる音を立てて開く。
その向こうには、天井の高い檻があった。
来る道で見た独房とはまた違う。目の細い黒いケージが、横にも縦にも、果てしなく積み上げたような形をしている。
そのケージの一つ一つ、檻の向こう側へ、ブルーブラックのインクに似た暗い光を放つ封印の魔法陣が、数多組んである。その中央に、黒くて巨大な繭のようなものが、魔法陣の数だけ、ずらりと鎮座していた。
──うう、うう。
低く、軋むような、唸るような音が聞こえる。その音は、ケージの向こうからしていた。
「これ。元ヤキゴテつきの人達」
オッサは言った。
「ヤキゴテが全身を覆ってしまってねえ。忘却の湯は効果ないし、こんな状態で来世に行ってしまったら、たとえ新しい肉体を手に入れられたとしても、心がずっと暗黒に囚われたままだ。治してあげたいんだけど、お手上げ状態なんだよね」
「そうですか」
僕は、ケージに封じられた無数の繭たちを観察する。
恐らくまだ、生きているのだろう。時折、繭の表面がうごめいているのが分かる。生きている者としては半端な、残り湯に似た、ぬるい温もりの気配も感じる。
ケージの中から出ることも、自分を捨てることも叶わず、生きるとも死ぬとも言えない人生を送り続ける。
こんな状態で生き続けるのは、ごめんだ。
「そういうわけで、よろしくね。君の仕事は、私の方で割り振っておくから」
僕の気持ちが固まったのを察したのだろう。
オッサが言った。
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