第6話「秘密の共有」
『私の名前は磐井れおな。本当の字は祝冷央奈と書く。読みにくいし、「祝! 新装開店」のような謎のイジりを受けるのでその字は使わなくなった。
両親が言うには、「優しい子に育ってほしいけれど、後悔を減らすためには冷静な心も真ん中に持っていた方がいい」という意味での名付けらしい。私はこの名前を、それなりに気に入っている。
温厚な両親に恵まれてよかったと思っているし、愛情を注いで育ててくれていることに感謝している。だけど、二人ともどこかフワッとしていて抜けているところがあるので、私はもっとしっかりしないといけないんだろうな、とも思う。だから、その名に込められた願いの通り、できるだけ暮らしの中で無駄だと思うことを省いて、効率よく生きてきた。そんな私の初めての挫折は、中学生の学園祭での出来事だった。
勉学に努め、家の洋品店の手伝いをし、忙しく過ごしてきた。手芸部に所属していた私は、周りの素人の真似事とは比較にならないクオリティのドレスを縫い上げて学園祭で展示した。顧問の先生も褒めてくれたし、来場者の人気投票では一位を獲得できる自信があった。
しかし現実は非情だった。縫い直しの跡が目立ち、タックの幅がとても均等とは言えないような作品が人気投票の一位となった。不格好な服を着せられたトルソーを囲み、名前も知らない生徒たちは口々に褒めそやしていた――「理沙は服が作れるなんてすごいね」、と。
つまるところ彼女らは服の出来栄えに関心などなく、ただ仲の良い友達の作品に投票していただけだった。感想ノートに私のドレスを褒める言葉はひとつもなかったことが悔しかった。私は無力感を噛み締めた。評価されるためにはまず、多くの人と知り合って好かれなければいけないのだと。ただ実力があるだけでは、相当運が良くなければ日の目を浴びることはないのだと……。
自らの「冷たさ」の在り方を検討し直した私は、高校受験で名門私立山手清花女学院へ入学し、環境を改めて再起することにした。他者との関わりを断つのではなく、「理想の友人」を冷静に演じて信頼を勝ち取ることにした。
今現在、それは実現できていると思う。「磐井さんはいつも親切にしてくれる」、「れおなちゃんが居てくれてよかった」。そういった言葉を受け取るたびに、私の方向転換は成功したのだ、と嬉しくなった。つまり私は、自分の本心を見られることよりも、「自分の理想の自分を演じ上げ、周囲からどのような人物だと思われているかをコントロールする」ことに喜びを見出していた。
そんな現在の私の関心事は、学内演劇で主演の座を手に入れることだった。自分が築き上げてきた交友関係と人望は間違いなく本物だったと証明するために、分かりやすいトロフィーが欲しかった。私は、学園の王子様である波止場先輩や、人気急上昇中のジュリくんを、数の暴力で殴って倒そうとしている。』
そこまで書いて、れおなはタイピングの手を止めた。現状として、この手記を他者に公開する予定はない。それで得られるメリットがないからだった。数十年後になんらかの理由があって自叙伝を出す必要が出てきた際に使おう、という朧げな予定と、自分の気持ちの整理としての作業、という側面があった。
(まぁ、こんな手の内を明かすような展開なんかない方がいいんだけどね)
れおなは執筆作業を切り上げ、手記をクラウドに保存した。
(さて。今日は店の手伝いも勉強も終わっちゃったし、なにしようかな)
日曜の夕方、明日から始まる平日の準備に向けて客足は遠のく。れおなは三人分の紅茶を入れて、父親と母親にも配った。
「ありがとう。これはアップルシナモン?」
「当たり。忙しくなったら呼んでね」
「多分今日はもう来ないよ」
そうだね、と笑ってれおなは自室へ戻り、再びパソコンデスクの前に座った。
(暇だし、情報収集でもしようかな)
れおなはまず、夜半月七夏、と検索した。
(たくさん出てくる。さすがに元芸能人は情報量が違うな)
輝かしい出演歴、突然の引退、その理由に関する憶測の数々、根拠不明な芸能界の闇……。
(めぼしい情報はないかな。次は波止場水景……)
その名前で検索すると、一番上には実名登録制SNSがヒットした。
(わぁ、ネット上に実名晒しちゃう人って居るよね。怖くないのかな? 学校の全校集会でもSNSに個人情報を載せるのはやめましょうって注意喚起されるのになー)
登録しないと詳細なデータは開けないタイプのページなので、れおなは情報収集用に作った適当な捨てアカウントでログインして過去の投稿を遡る。
(年賀状で住所は知ってたけど、行動範囲バレバレすぎてやばいな。薄々分かってたけど、やっぱり波止場先輩って迂闊な人だよね)
友達との食事の写真に割り箸が映り込んでいるのを見て、れおなは苦笑いしていた。割り箸を包む薄い紙には、店名と電話番号が記載されている。
(まあ意外な新情報ってほどのことはないかな。次は川嶋さんだけど……)
「川嶋」と入力すれば「川嶋紅茶」がサジェストされる。しかし、「淑乃」まで打ち込むと姓名判断サイトくらいしか現れない。
(SNSとかはやってなさそう。いつもお稽古事で忙しそうだもんね。しかし、川嶋さんといえば……)
川嶋紅茶のアップルシナモンティーを口に含んだところで、部屋の扉をノックする音が響いた。
「れおな、ちょっと接客お願いできる?」
電話対応中の母親からヘルプを頼まれる。
「はーい」
階段を駆け下りて店に出ると、そこには噂の人物が立っていた。秋色のシックなチェック柄ワンピースの裾を揺らして、彼女は振り向く。
「およ? 川嶋さんじゃん、いらっしゃいませ!」
れおなが明るいトーンで歓迎すると、川嶋淑乃はドギマギした表情でこちらをみて、軽く頭を下げた。
「ごきげんよう、磐井さん」
ほのかに顔を赤くした淑乃を見て、れおなの憶測は確信に変わる。
(やっぱり、川嶋さんって私のこと好きなんだろうな。どうしよっかな、取り敢えずいつも通りに接しておこう)
「今日はなんのご用事?」
「ええ、このハンカチなんですけれど……」
言いながら淑乃はレースのハンカチを差し出す。それは商店街の中にある老舗レース店のものだった。まだ買ったばかりなのか、袋から取り出されたそのハンカチは真新しい。
「こちらに、刺繍を入れてほしいのですわ」
「刺繍ね。どんな柄がいいの? イニシャルでもいいよ」
「わたくしのイニシャルのYと、お花を添えていただきたいのですが。できますか?」
「できるよ。お花の種類は希望とかある? 薔薇が人気だけど」
「えっと……お任せで、というのは困りますか?」
「なんのお花を縫ってもクレーム言わないなら」
「では、それで」
れおなはハンカチの包みを受け取るが、淑乃はまだその場を離れなかった。
(私となにかお話ししたいのかな?)
れおなにとって、女性から好意を向けられることは別に不快ではない。淑乃も最初こそお高くとまっていたが、部活で時間を共にしていくうちに、真面目で向上心のある人だと分かった。だから、淑乃のことも嫌いではない。
(だけど、嫌いじゃないからって恋愛したい訳じゃないからな〜)
今は淑乃の気持ちに気づかないふりをしていればいいが、そのうちはぐらかすことが不誠実な対応という段階まで進んでしまうかもしれない。れおなにとってそれだけが懸念点だった。
「そういえばね、今ちょうど川嶋紅茶を飲んでたところなんだよ。なんだか分かる?」
れおなが何気ない話題として切り出すと、淑乃は不意打ちに驚いたような、想い人との会話を楽しめることを嬉しく思うような顔をした。
「えっ……ええと、そうですわね……微かにシナモンの香りが漂っていますわ。アップルシナモンではなくて?」
「正解! さすがだね〜」
「うふふ。磐井さんに我が川嶋紅茶を楽しんでいただけているようで嬉しいですわ」
「やっぱりアレなの、紅茶店としてはノンフレーバー推しだったりする?」
「両親はそのようですわね。でも、わたくしはフレーバーティーが好きなのです。これは家族には秘密ですわ」
ふふ、と上品に微笑む淑乃の所作には、育ちの良さが滲み出ていた。
「お嬢様、そろそろお時間です」
店先で待機していたらしいお付きの者が淑乃に告げる。
「まぁ、ごめんなさい。今行きますわ。……磐井さん、どうもありがとう。刺繍の完成、楽しみにしていますわ」
淑乃は名残惜しそうに言い、れおなの前から離れる。
「うん、丁寧に縫っとくね〜」
れおなは答え、淑乃の乗った高級車が見えなくなってから裏へ戻った。
「れおな、接客ありがとうね。学校のお友達だっけ?」
「そう、紅茶部の友達」
「仲良さそうでなにより。店仕舞いしておくから、れおなは部屋に戻ってていいよ」
「お母さんは夕飯の支度あるでしょ? 店の片付けはしとくから」
「ありがとう」
れおなは手際よく店内を片付け、ドアに鍵をかけてレジ締めを行う。
(ハンカチの刺繍、どんなお花にしようかな。名前が淑乃ちゃんだから、Yから始まるお花がいいかな?)
レジから吐き出される小銭をカルトンに乗せて金種ごとに重ねる。
(そういえば川嶋さんが私のこと好きってことは、なかなか奇妙な関係図になるんじゃない? 白砂さんは波止場先輩が好きで、波止場先輩は夜半月先輩が好きで、夜半月先輩は川嶋さんが好き……。ん? ということは、私が白砂さんのことを好きになったら一方通行の片想いループが完成するんだ)
金庫を閉じ、れおなは手を洗って夕食の準備に合流する。
(まぁ、それはないか)
***
「やっちゃん今日も来てくれてありがと〜!」
れおな扮するレオは、人懐っこい笑顔で来客を出迎えた。
ここは旧聖堂懺悔室を改装した喫茶室。テーブルの上にはれおなの好物であるウィークエンドが切り分けて皿に盛り付けられている。
「レオくんとおしゃべりするの楽しいからね〜! えーと、レオくんの……」
「『生き別れの双子』の?」
「そう! 『生き別れの双子』のれおなちゃんには普段からよくしてもらってて……でも、レオくんとお話しするときは特別感もあるからね!」
本日の来客は、れおなが普段仲良くしているクラスメイトだった。自分が何者であるか明かしてはならないというルールの抜け穴として用いる『生き別れの双子』というワードを駆使し、二人は意思疎通を図る。
「ねね、込み入った話を聞いちゃってもいい?」
「内容によるかな! とりあえず言ってみ?」
「レオくんにガチ恋しちゃうファンとか、居るわけ?」
「ん〜……俺のとこには居ないかな! 他のメンバーには、ガチ恋勢を抱えている人も居るけどね」
「そうなんだ。そういう子たちってさ、男装のことどう思ってるんだろうね?」
「つまり?」
「『女同士として好き』なのか、『男の子の代わりとして好き』なのかってことだよ」
それは核心的な問い掛けだった。女子校である以上、同年代の男子との交流の機会は少ない。異性と恋愛をしたいという考えであるのなら、学校以外のコミュニティや人脈を持つ必要がある。或いは、学校の女子で「妥協する」か。
「それは、人によるんじゃない?」
レオの答えは至極真っ当だった。
「『女同士として好き』な人も、『男の子の代わりとして好き』な人も居るだろうね。『男装というジャンル』そのものが好きな場合は、どちらでもないだろうけど。『男の人は嫌いだけど、男装は好き』って人も居るし」
「なんか分かる気がする。『男の人にありがちな性格のパターン』が嫌いな場合と、『男の人の身体的特徴』が嫌いな場合がありそうだけど」
「そうだね。まあ、なんにせよ俺としては、程よく楽しんでくれればどういうつもりのお客さんでも拒む気はないよ」
「レオくんってプロだよねぇ」
「照れますなぁ。ささ、紅茶冷めちゃう。飲んで飲んで〜」
「一気に?」
「うちはホストクラブじゃないから!」
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。おしゃべりを楽しんだ友人は帰り際、「学内演劇はレオくんに投票しておくね!」と言い残して去っていった。
レオは後片付けを済ませ、部室で制服に着替えた。胸元の深紅のシルクのリボンタイを整えれば、「彼」は「彼女」に――すなわち磐井れおなに戻る。
「部室点検よし! では帰りますか〜」
誰も見ていなくても、れおなは「気さくで明るい磐井れおな」のポーズを忘れない。大きめの独り言を言って部室に鍵をかけ、その場を後にした。
何歩か歩いているうちに、れおなはふと自分が喫茶室に忘れ物をしたのではないかという気がしてきた。それは謂わば、家の鍵をかけ忘れて出かけてしまったような感覚と似ていた。
(一応確認してから帰ろうかな)
れおなは旧聖堂へ赴き、もう誰も居ない喫茶室に足を踏み入れた。
木製の小部屋の中は、静寂に満ちている。うっすらと紅茶の残り香が漂う中を進み、れおなは自分が座っていた周辺を探った。
(やっぱなんにもないか……ん?)
テーブルの下を覗き込んだとき、れおなは小型の電子機器のようなものを発見した。
(なんだろ、これ……盗聴器?)
通学鞄からスマホを取り出し、画像検索をする。似たような盗聴器の画像がいくつかヒットした。
(分かんないけど壊しておこう)
爪に力を入れて引っかけると蓋が開く。裁縫セットの中のハサミを使い、中のコードを切った。
(これでいいかな。アニメだと指で握りつぶす描写とかあるけど、あれって結構怪力なんだな)
れおなが壊した盗聴器を手の中に握った瞬間、背後から声が降ってきた。
「おい」
咄嗟に振り返る。そこにはジュリの姿があった。
「なにしてんだよ、れおな先輩?」
ジュリは一歩近づいてくる。
「ジュリくん、どうしてここに……今日はジュリくんの日じゃないのに?」
「れおな先輩に会いたかったから。で、なにしてたの?」
れおなは頭の中で言い訳を巡らせたが諦めた。ここで下手に情報を伏せると、れおなが盗聴器を仕掛けた犯人であると疑われるからだった。
「ジュリくん、他の人には言わないでほしいんだけど、聞いてくれる?」
「樹里亜にも言うなってことだな?」
「うん」
れおなの真剣な様子を汲み取り、ジュリも神妙な面持ちになって頷く。
「あのね、テーブルの下にこれを見つけたの」
れおなは壊れた盗聴器を差し出す。
「なんだこれ?」
「多分、盗聴器だったと思う。壊しちゃったけど」
「盗聴器? なんでそんなものが」
「分からない……けど、仕掛けそうな犯人はある程度絞り込めると思う」
「れおな先輩は誰が犯人だと思ってるんだ?」
この様子ではジュリは犯人ではないのだろう、と考えながられおなは慎重に答える。
「男装喫茶の常連客か、或いは……」
「……男装喫茶部の部員の誰か、ってことか?」
「そうなると思う」
「……」
ジュリは暫し黙して考える。しかしすぐに首を横に振った。
「それが誰かを当てられるほど、俺は周りの人間に対して詳しくないな。活動時間が短いから」
「そうだよね……」
「なにか気づいたことがあったられおな先輩に伝えるよ」
「ありがとう。くれぐれも、他の人には内緒でね」
れおながそう伝えると、不意にジュリは何かを思いついたようだった。
「……それは、二人だけの秘密ってこと?」
悪戯っぽい喜びが乗った声色に、れおなは若干の警戒心を覚えた。
「え、それはどういう……」
「どーしよっかなぁ。やっぱり樹里亜にも情報共有しちゃおっかな?」
「な、なんで!? さっきまで協力してくれそうだったのに……」
「樹里亜の方が俺より情報を握ってる可能性は高いだろ? なんせ活動時間が桁違いだ。学校の中で噂話を聞くこともあるだろうな」
「それは、そうなんだけど……」
れおなは逡巡した。ジュリの言うことにも一理ある。しかし――
「樹里亜は、信用できない?」
先にジュリの方から畳みかけてきた。図星だった。
「へぇ。れおな先輩、俺のことは信用してくれてるんだ。嬉しいな?」
「それは、たまたま盗聴器を壊しているところを見られたからで……」
「そうなの? 俺悲し~、せっかくれおな先輩に信用してもらえてるって思ったのに」
ジュリは噓泣きのポーズをとってみせる。
(な、なんなのその態度! ていうか、私は別にジュリくんのことそんなに信用しているわけじゃないし……そもそも白砂さんと身体を共有している人と仲良くなったところで、いつも一緒に居られるわけじゃないのに……)
そこまで考えたところで、れおなは気づいてしまった。彼女は鈍感ではなかった。
(……私、ジュリくんと一緒に居たいの……?)
なにがきっかけだったのか、それはもう分からない。彼と過ごした時間がそうさせたのか、或いはそれ以外か。
(ただ、今ここにある鼓動の高鳴りだけが、本物だ)
れおなは自覚してしまった。ジュリへ抱く恋心を。
「ね、れおな先輩。秘密にしておいてほしいなら、お願いがあるんだけど」
ジュリはれおなの顔を覗き込むようにして身をかがめる。
「秘密にしないといけないってほどじゃ……」
「それなら俺、今度の部活で『れおな先輩が喫茶室に盗聴器を仕掛けてた!』って嘘の情報言いふらしちゃうよ?」
根も葉もない虚言だとしても、れおなにとってそれはダメージだった。噂が伝播していけば、男装喫茶部以外のクラスメイト達にも人柄を疑われるだろう。完璧に正しい友人を演じてきた磐井れおなに、綻びがあってはいけない。
「……お願いの内容にもよるんだけど。一応言ってみてよ。それから考えるから」
何を言われるのかと不安になりながら、れおなは答える。ジュリはそんなれおなの華奢な肩を掴み、耳元で囁いた。
「俺と、キスしてくれる?」
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