8.二人の終焉

 ――私を、はなさないで。


 レミリアの最後の言葉は、今でもユーケルンの耳に残っている。

 その最後の願いを、叶えたかった。

 しかし彼は、彼女の手を放す選択をした。


『……レミリア』


 気を失って倒れた彼女の悲しげな表情は、今も目に焼き付いて離れない。

 もう、彼女に触れてはいけない。これ以上、魔に堕とすわけにはいかない。

 

 あのとき、そう決心したのだ。

 嗚咽を堪え、唇を噛みしめ、そっと彼女の瞳の上に手を翳す。


 彼女にとりまく、彼女を護るであろう風の領巾が現れる。決して彼女には触れない、そして、彼女にしか感じ取れないであろう優しい幻影。

 きっと、幸せな夢を見続けられる。


『……レミリア』


 そっと囁きかけると、レミリアから苦悶の表情が消えた。

 すうっと力が抜けた頬には涙のあとが残っていたが……やがて、彼女は微かに微笑んだ。


「……ケルン様」


 レミリアの瞼がゆっくりと開く。

 自分と同じ、海のような蒼色の瞳。

 しかしその瞳に、ユーケルンの姿が映ることはない。

 彼女が見ているのは、幸せだった頃の記憶。儚き幻影。


『……ああ』

「ケルン様、そこにいらしたんですね……」

『……ああ』

「ずっと、傍にいてくださいね……」



   * * *



 アルバード家を後にした魔獣ユーケルンは、宙からそっと地上を見下ろした。

 レミリアが眠っているであろう部屋の明かりは、滲んで幾重にも広がり、まるで螢火のようだった。


 この日を最後に、彼は二度と、地上には現れなかった。

 彼もまた、レミリアの幻影を追いかけていたのかもしれない。



 ダニエルの後妻となったメリクルは、ユーケルンの命令を忠実にこなした。

 生まれてきた息子に、その孫に、魔獣ユーケルンとの約束、そしてかの魔獣の恐ろしさを真摯に伝えた。

 魔精力に縛られない、聡明な彼女だけは理解していた。

 前妻セレスの傲慢さも、夫であるダニエルの狡猾さも、魔獣ユーケルンの遣る瀬無さも。



 三十年後、レミリア・アルバードは異母弟とその子供たちに見守られながら、静かにその生涯を閉じた。

 正気に戻ることは無く、ずっとユーケルンの名を呼び続けたまま。


 しかしその最期は、とても穏やかで幸せそうだっという……。





                              《Fin》








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