【第1章】第6話

 

 十郎がグリンと共にラサダ村に戻って来たのは、夕暮れ時のことだった──


 森で見掛けた動物の死骸の件を、まずはレンジャー隊に報告しに行くとの事で、グリンとは村の入口で別れることになった。

「ジューロさん、僕はレンジャー隊に報告してくるから、先に戻ってもらっててもいいかい?」


「承知しやした、死骸の件でござんすね?」

「あぁ、…明日にしようかとも思ったんだけど、どうにも嫌な予感がしてね、日が沈む前には報告しておきたいんだ」

 あの死骸を見た時、十郎も胸騒ぎがしたので焦る気持ちは良く分かる。


「うむ!ところで…敷地内のどこで待っておけば良ござんすかね?村長さんとの件もありやすし、屋敷に入る訳にはいかねぇでしょう」

「それならピィスに、ジューロさんを詰所まで案内するように!って、僕が言ってたと伝えて」

「詰所でござんすか」


「あぁ、ウチのレンジャー隊が使ってるんだけど、そこを借りようと思ってて…仮眠もとれて雨風もしのげるから、野宿するよりも良いかなって」

「…なるほど、ありがとうござんす!戻り次第、ピィスさんに訊ねてみることにしやす」


「うん、もしピィスが屋敷の中に戻ってるようなら…小屋にいるソラに頼めば連れて来てくれると思う。ま!最初からソラに頼むのが早いかもね」

「ふむ、そうさせて頂きやす。グリンさん、重ねがさね…ありがとうござんす」

 十郎は頭を下げて礼を言う。


「そう改まらなくったっていいって、…あっ!一応ピィスに、家に帰るのは遅くなるかもって伝えといてくれないかな?」

「心得た、そのくらいはお安いご用で」

「頼むね。それじゃあ、また!」

「うむ、グリンさんもお気を付けて」


 言伝てを預かり、グリンと別れた後、十郎は真っ直ぐにグリン家へと向かう。


 グリン家の敷地にある門をくぐって辺りを見渡すが、見える範囲には誰もいないようだ。

 ともかくグリンに言われたように、ソラが居るであろう小屋の玄関口まで行くと、十郎は軽く扉を叩いた──

「失礼しやす、どなたか…いねぇでしょうか?」


「あっ、ジューロさん?」

 中からリンカの声があり、カチャリと扉が開くとリンカとソラが揃って玄関口に出てくる。

「お帰りなさい!」


 そんな二人からフワリと、爽やかな…花のような匂いがした───


「ただいま戻りやした…えぇと」

 まずはピィスの事を訊こうと思ったのだが、リンカが十郎の後ろを軽く見渡した後…先に話を切り出してきた。


「あの…ジューロさん、グリンさんは一緒じゃないんですか?」

「ん?あぁ、レンジャー隊とやらに報告があるとの事で…別れやしたね」

「そ、そうですか…」

 リンカとソラが肩を落とす。


「グリンさんに用でもあったんですかい?」

「はい、頼みごとをしたくて…」

 グリンへの頼みごと…とは何だろう。

 心当たりとしては、ベッドの用意とか…そんな所だろうか?


「左様でしたか…しかしグリンさんから、帰りが遅くなる…やもしれぬ、という言伝てを預かっておりやす。戻るまで、しばらく掛かると思うのでござんすが…」


 十郎から話を聞いたリンカは考え事をしたかと思うと、少しの間を置き、口を開いた。

「…ジューロさん、グリンさんが今いる場所は分かりますか?」


 その言葉を聞いたソラが、慌てたように口を挟む。

「だっ、大丈夫だよリンカちゃん!相談は明日にだってできるし」

「でも…」

「もう日も沈んじゃうし、どっちみち今日は無理だよ、それに…私の事で皆に迷惑かけたくないから…」


 このやり取りを見て、二人に何かあったことは推測できた。

 …少なくともベッドの用意どうこうという事じゃなさそうだ…などと十郎が考えていると、リンカとの話題を反らすように、ソラが話を振ってくる。


「…あっ!それよりもお兄さん。リンカちゃんに会いに来たんじゃないの?」

「あ、いや…あっしはピィスさんに用がありやして。詰所まで案内して貰うようにと…あっしがピィスさんを探しに屋敷に行くってのも、はばかられるんで、出来ればソラさんに呼んできて頂きたく…」


「あっ、そうなんだ?分かった!なら、ピィスくん呼んでくるね?少し待ってて!」

「…かたじけねぇ、ありがとうござんす!」


 十郎に頼まれたソラは、パタパタと走って屋敷に向かっていってしまった。

 その背中をリンカが心配そうに見送っているのを見て、何があったのか余計に気になった。


 出来ることなら事情を聞いてみたい…十郎に解決出来るかは分からないが…。

 だが、十郎は前にも不用意な事を訊いて、何度か気まずい思いをしたばかりである。


 ヘタに訊くのは躊躇われたので、言葉を選んでそれとなく訊こうと試みた。

「あの…リンカさん、…大丈夫でござんすか…?」


「えっ…?うん、大丈夫だけど。どうかしたの?」

「いや、なんというか…うむ!大丈夫なら何よりで…」

 …どうにも上手く言葉として出すことが出来なかった。


 気を利かせつつ、上手く訊き出すような、そんな器用なことは自分には出来ないようだ。

 ───情けない限りだった。


「…ふふっ、ジューロさんは温泉どうでした?」

 そんな十郎の様子を見かねてか、リンカが話題を振ってきてくれる。


「…うむ!立派なものでござんした。景観も見事なもんで、川のせせらぎも相まって心地よく、ゆったりと浸かることができやした」

「へぇ~…、やっぱりいいなぁ温泉。私も行ってみたかったなぁ…」


「道中、良からぬ空気がありやしたし…村の外に行けないというのも納得でしたんで、そこは仕方ねぇことかと」

「ん~、そっかぁ…」


 そんな風にリンカと二人で他愛ない会話を続け、そうこうしている内にソラがピィスを連れて帰ってきた。


「ジューロさん、おかえり!」

 元気良く、ピィスが挨拶をしてくる。


「ただいまでござんす。ピィスさん、グリンさんから言伝てが…」

「ソラに聞いたよ、詰所に案内すれば良いんだよね?」

 どうやら説明はソラが済ませてくれていたようだ、話が早くて助かる。


「じゃあ、お願いできやすかい?」

「もちろん!…荷物は持った?」

「うむ、この通り何時でも出れやすぜ」


 その時、十郎とピィスの会話に割り込んで来たのはソラだった。

「あの…ちょっと待って下さい、折角ですから…皆で一緒に、お夕飯を食べてから行きませんか?…お昼の残りですけど」

 おずおずと、遠慮がちに話し掛けてくる。


「いいの?やった、ジューロさん!食べてからいこっか?」

 ピィスは素直な反応で、夕飯を食べるつもりでいるようだ。

「ぬぅ、しかし…ご迷惑では?穀潰(ごくつぶ)しのような真似をしてるみてぇで、なんだか気が引けやすが…」


 十郎の言葉を聞いて、ソラは首を横に振る。

「そこは気にしないで下さい、作り過ぎちゃって…腐らせる方が勿体ないですから」


「そうね、グリンさんも遅くなるみたいだし…ジューロさん?ここは助けると思って」

 続いてリンカもそうやって勧めてくる。

「ふむ?そういうことなら、ありがたく…ちょうだい致しやす!」


 …その後はリンカ達に促されるまま、ピィスと共に席に着くと、二人が料理を運んで来てくれたのだった───


 食卓に並べられた器を覗くと茶色い汁物のようであった。

 その中にはブツ切りになった野菜と何かの肉が入っていて、それらが煮込まれているのが分かる。


 十郎は最初、それを味噌煮込みか何かと思ったのだが、匂いが違っていた。

 不思議な匂いではあるが、それは確かに食欲を掻き立てる。


 手を合わせ食事の挨拶を済ませると、十郎は食べ物を口に含んだ。

 それは今まで食べてきたものとは趣きが違っていて、独特の甘味と微かな酸味がある。


 一見すると汁物に思えたのだが、なめらかな舌触りをしていて、どちらかと言うと山芋をすりおろした時の…とろみに近い感じ…。

 煮込まれた具材は野菜とジビエ肉…だろうか?それにしては特有の臭みが少なく食べやすい。


 野菜と一緒に咀嚼することで旨味と香りが口の中に広がり…まさに幸せを噛み締めるといった風情であった──


「うむ!とても!うまい!」

「うん、美味しいよね!」

 十郎の言葉にピィスも同調する。


「こいつぁ…初めて食べるものでござんすね」

「そうなの?シチューって言うんだけど…知らない?」

「むっ、シチュー?あっしの故郷にはありやせんね」

 ピィスと二人でワイワイ話す十郎だったが、その一方で、どうにもリンカと…特にソラの様子がおかしい。


 どこか心ここに在らずというか、上の空というか…何か別の事を抱えているような…そんな落ち着かない様子が伺える。


 十郎がここに戻ってきてからずっと、リンカとソラはどこかそんな調子だったので…気になっていたのだが、それを訊けずにいた。


「…ねぇソラ、何かあったの?元気がないように思うけど」

 ピィスもそれに気付いたようで、様子のおかしい二人に疑問を投げ掛けた。


(…良く訊いてくれた、ピィスさん)


 十郎は、自分が二の足を踏んで訊けなかった事を訊いてくれたピィスに対し、心の中で感謝する。


「な、なんでもないよ!」

 ピィスが指摘すると、ソラが慌てて否定する。

「なんでもなくはないよね?一緒にお昼を食べてた時とは何か違ってるような…上手く言えないけど不安そうに見えるっていうかさ」


 ピィスが真剣に訊いてくる姿を見て、リンカは何か思うところがあったのか、ソラに諭すように話し掛ける。

「ソラちゃん、グリンさんにも相談するんだし…ピィスくんにも話しておいていいんじゃないかな?」


「う、うん…それもそうだね。実は──」

 ふうっ、とソラが一呼吸おいた後、事情を話し始めてくれた。


 話を要約すると、ピィスと二人で村の外に行った時、ソラの母親からの贈り物であった大切なリボンを失くしてしまい、それがずっと気掛かりで落ち着かなかった…。

 と、いうことらしい───


 大切なものが手元にないのは不安に思うだろう。

 気が気でなくなるのも分かる。

 ともかく、リンカとソラの様子がおかしかったことが腑に落ちたし、グリンに相談する理由も分かった。


 失せ物探しとなると、十郎ではあまり役に立てそうにもない…。

 しかしそれを考えた所で、今日はもう時間的にも探しに行くのは無理だろうし、十郎は明日どうするか…と頭を切り替え始める。


 しかし、その話を聞いていたピィスの顔は焦燥の色で塗り固められていた。

 ピィスは食事も途中だというのに、急に席を立つと玄関口へと駆け出す──


「あっ!ピィスくんっ!?」

 それを見たソラが悲鳴にも似た声を上げて名前を呼び、ピィスを止めようとするが、ピィスは止まらない。


「ジューロさんっ!」

 リンカが十郎に声を掛ける、その時には十郎も既に動いていた。

 急な行動にこそ驚いたものの、すぐさま十郎はピィスの襟首を掴んで捕らえることに成功する。


「ジューロさん!放してよ!僕が探しに行かなきゃ!」


「そういうワケにゃ参りやせんよ…」

 暴れられても危ないので、ピィスを小脇に抱え直す。


「なくしたのは僕がソラを連れてったせいだから…それに、僕なら匂いを辿って見つけれるし!」


「あ、あぶないよ!だって、ゴブリンだっているんだし…」

 ソラが留まるよう説得するが、ピィスも責任を感じているのだろう。

 頑として、自分が何とかする!しなければ…という気持ちが強く見て取れた。


「心配しないでよソラ!それも臭いで注意すれば…大丈夫さ!」

 ピィスがそう言うが、しかし十郎は昼間の出来事を忘れてはいない。


「ほぉう?…しかし、そのゴブリンとやらに追いかけられていたのは、何処のどなたでござんしたっけ?」


 臭いで察知することが得意で、それが出来るのかもしれないが、実際あの時、ピィス達がゴブリンに追われていたのをこの目で見ている…。必ずしも安全とは言えないだろう。

「うっ…、あれは油断してたから…」


「あっ、あのっ!ピィスくん、ダメだよ…ピィスくんに何かあったら私…そんなの嫌だよ」

 今にも泣き出しそうな…震える声で、ソラが訴えている。


「と、ソラさんが申されておりやすが、それでも行くつもりでござんすか?」

「…うぅ、分かったよ…ごめんなさい…」


「うむ、謝れて偉いでござんす!」

 十郎は小脇に抱えていたピィスを解放し、頭をポンと軽く撫でた。


「そうね…、まずはグリンさんにちゃんと相談しよ?ピィスくんが焦る気持ちは分かるけど」

 リンカがソラを抱きしめ、慰めながら言う。


 リンカが抱きしめていることもあり、ソラの表情は見えないが、それでも少し、肩を震わせているのが分かった。

 …ひょっとしたら泣いているのかもしれない。


 そのソラの様子を見たピィスも随分と堪えたようで、大人しく席に戻って食事の続きをとったのだった。


 こうして、一悶着はあったものの、無事に夕食を終えると。ピィスは約束通り、十郎を詰所まで案内してくれた。


 ───詰所は村の入口とは逆方向にあり、小さな裏門がある場所にポツンと立っていた。


 詰所内は部屋が二つに別れており、入り口側には待機室、奥には仮眠室といった作りで、休憩する為だけに作られたのが良く分かる。


 その待機室ではレンジャー隊の人が休憩しており、十郎の訪問に怪訝な顔をしていたが、ピィスがレンジャー隊と顔見知りだった事と、事情を説明してくれたお陰で、事なきを得た。


 後程、グリンからも話が来るだろうとの説明をし、そのまま仮眠室を無事に貸して貰えることになった。


「ピィスさん、ありがとうござんした!」

 ピィスに頭を下げて礼を言う。

「お礼はいいよ、説明しただけだし!えっと、それじゃ僕は帰るね!ジューロさん、お休みなさい!」


「うむ!…もう心配はいらねぇと思いやすが、真っ直ぐ家に帰るのでござんすよ?」

 心配させたことを反省したようだし、無茶はしないと思うが念の為…ピィスに釘を刺しておく。


「大丈夫、わかってるよ」

「あまり、女の子を泣かせねぇようにな?帰りに今一度顔を出して、ソラさんを安心させるのでござんすよ?」


「わ…わかったってば…!」

「ぬはは!じゃあピィスさん、お休みなせぇ」

 十郎はそう言いながらピィスに笑顔を向ける。


「うん!また明日!」

 ピィスもまた十郎に笑顔を返し、手を振りながら別れた。


 十郎は、ピィスの後ろ姿が見えなくなるまで見送った後。生乾きの着物を適当な木の枝に引っ掛けて干し、詰所の仮眠室に入ると、そのまま眠りに落ちるのだった。



 ───そして夜が明け…日が昇り始めた頃。


 詰所の…待機室の方から話し声が聞こえてきて、その喧騒で十郎が目を覚ます。

 どうやらレンジャー隊の人達が、休憩がてら話し込んでいるようだ。

 十郎は寝転がりながら、何となくそれに耳を傾(かたむ)ける。


「…なぁ、村長さんとこで会議があるってよ、どうする?」

「俺、夜当番だったしパスしときたいな…そもそも会議って何話すんだ?」


「あれだよ、動物の変死体…昨日も森でいくつか見付けたってさ?」

「またか!?…うーん、俺も気にはなってんだけど、…やっぱ限界だわ、帰って寝る。何かありゃ呼び出しくるでしょ」


「…そうだなぁ、お疲れさん!ゆっくり寝とけよ?」

「おう、お疲れ…後は頼むわ…」


 十郎が仮眠室を使ってたせいもあるのだろう。疲れた声をした人の方は、詰所から出ていき帰ったようだ…。少し申し訳ない事をした。


 …これ以上お邪魔してもいけないだろうと、荷物をまとめて仮眠室から出ると一言、残った人へ挨拶をする。

「おはようござんす」


「おわぁ!?ビックリしたぁ…」

 十郎の声に驚いたのか肩をビクつかせ、慌てて獣人の男が振り返った。


「も、申し訳ねぇ…驚かせるつもりはなかったんですがね…」

「そ、そうか…?とりあえず、おはようさん」

 獣人の男は気を取り直して挨拶を返してくれた。


「部屋を使わせて頂き、ありがとうござんした」

 獣人の男に頭を下げて謝意を述べる。

「いいって、グリンから話は聞いてるし。…というか、今から出るつもりかい?」

「へい、グリンさん達に挨拶しておこうかと」


「グリンかぁ、アイツなら自分ちにいると思うよ。今は会議に参加してるんじゃないか?会えるかは分からんがね」


「なるほど、…顔を出すだけ出してみやす」

「会議中だし、邪魔にだけはしないようにしてくれよ?トラブルになりかねんし…」


「うむ、そこは肝に銘じておきやすよ。では、あっしはこれにて…」

 十郎は頭を下げ、男に別れを告げると荷物を纏め、詰所を後にする──


 そういえば、あの後…ピィス達はグリンに昨日の事を相談出来ただろうか?それが気掛かりだ。

 獣人の少女…ソラが失くした大切な物、必要ならば物探しの助太刀をしたい…。


 余所者がしゃしゃり出る幕じゃないかも知れないが、飯の恩もあるし、それくらいの助力は良いだろう。


 十郎はそんな事を考えながら、リンカとソラが居る掘っ立て小屋へと向かって、歩き始めるのだった───

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