【第1章】第4話

 グリンと共に小道を進み、森の深くへと足を踏み入れて行く──

 森に入って感じたことだが、空気が重く澱んでいる気がする。


 ピィス達を助けに森へ入ったことがあるが、その時に気付けなかったのは、周囲を気に掛ける余裕が無かったせいもあるだろう。

 この森の毒気…、ラサダ村から外へ出ることを禁じている理由も分かる気がする。


「そういえば、気にしておりやせんでしたが、グリンさんは村から出ても良いのでござんすかい?」

 十郎は温泉に行くことに気を取られていて、深く考えずにグリンに付いてきていた。


「ん?あぁ、僕はレンジャーだからね、狩人との兼ね合いでやってるだけだけど」

「レンジャー?…とは何でござんすかい?」

 十郎が首を傾げ、グリンに聞き返す。


「えっ?知らない?」

 狩人は分かるのだが、レンジャーという言葉は初めて聞く。

「申し訳ねぇ…あっし、異国の事には疎いもんで」


「そうなのか、そういえば故郷を探してるとか言ってたっけ…えぇと、レンジャーってのは、森の治安維持をしてる人達の事で、僕はそれに属してるんだ」

「治安維持でござんすか」

 成る程、どうやら十郎が知るところの番屋(※江戸時代の消防団や自警団みたいなもの)。それの森林版といったようなものなのだろう。


「…ほほぉ、なるほど!何となく分かりやした」

 十郎はポンっと、手のひらに拳を打ち付け納得した。


「そういえば…気になったんだけど、ジューロさんは何をやってる人なんだ?剣士っぽく見えるけど」

「あっしですかい?お恥ずかしながら、渡世人でござんす」

「と、渡世人?…って何だろ?」

 十郎が異国について知らないのと一緒で、グリンは渡世人が何なのか分からないようだ。


「う~む、改めて訊かれると、何と言えばいいのか…」

 渡世人と一口で言っても色々で、いざ説明するとなると難しいものだ。

 ゴロツキと言ってしまえばそれで済むが、せっかくリンカを休ませる目処が立ったのに、面倒事になりかねない。

 バカ正直にも答え難いので、何か説明のしようがないかと思い返す。


 十郎の親分一家の場合は、賭場を取り仕切る以外にも、なんでも屋みたいな事をして日銭を稼ぐことが多かったし、たまに喧嘩の助っ人をやることもあった。

「賭博であったり、時には用心棒をして銭を貰ったり…で、ござんすね」


「つまり、傭兵みたいなものかな?」

「うぅ~む?傭兵…」

 十郎は腕を組み、頭をひねる。


 傭兵という言葉で、雑賀の鉄砲衆を先ず思い浮かべたが、渡世人はそんな仰々しいものではない。

 しかし、他に説明しようもないし、例えとしてはそれに近いかも?と思った。

「…似たようなモノかもしれやせんね」


「そうかぁ…あっ!同行してるけど、これに金銭とか発生しないよね?」

「ぬ?いやいや、そんな阿漕な真似はしやせんよ」

「ハハハ!…あこぎ?」

「ぬはは!アコギ…、そこは知らぬよねぇ…」

 そんな会話を交えながら森を抜けると、やがて渓谷が見えてきた──


 岩肌が切り立っており、下に流れる渓流は、岩肌から生えた木々の緑を映して美しく、まさに絶景である。

 抜けてきた森とは違い、爽やかな風が吹いて十郎の頬を撫でた。


「さぁ到着、あそこが温泉だよ」

 渓流に沿うように作られた緩斜面の上、その小高い場所に向かってグリンが指を差す。

 指された方向に目を凝らすと、確かに湯気が上がっているのが分かった。


 グリンと共に温泉へと近付いて行くと、想像以上の広さに驚く。

 温泉と言ってもピンキリであり、膝まで浸かれば上等だったりするので、あまり期待していなかったが、これは見事と言う他ない。

 湯煙のせいでそう感じるだけかもしれないが、一反程(※田んぼ一枚くらい)にも迫るような広さに感じる。

 それを石垣のようなものが温泉の縁を囲んでおり、それが大きな浴槽を形成していた。


「しかし、ずいぶんと大きな温泉でござんすね?まるで人の手が入っているような…」

「うん、よく気付いたね?ここは昔、ゴブリンが出てくる前は、色んな人が集まる憩いの場だったんだ…。今は外に出れるレンジャーの皆しか使ってないんだけどさ」

「ふぅむ、そうでござんすか。これを皆で使えねぇのは勿体ねぇ話で…」

「確かにそうかもね。ま!立ち話してても仕方ないし、入ろうか」


「承知!っと、その前に…。着物だけ洗って来やすんで、先に入っといておくんなさい」

「オッケー!分かった、そうするよ」


 十郎は川で着物を洗い、木の枝に引っ掛けると、着替えと手拭いを振分荷物から取り出し、三度笠の中に放り込んで温泉へと向かう。


「おぉ~い!ジューロさん、こっちだー」

 十郎が戻ってきたのを察知してか、グリンが湯煙の向こうから声を掛けてくる。

 声の方に近付いていくと、グリンが温泉に体を預けてプカプカと浮いている姿が見えてきた。


 向こうからも十郎の姿が見えたようで、手をヒラヒラと振ってくる。

「ここら辺が丁度良い湯加減だと思うよ、あまり奥の方だと熱すぎるからね」

「左様かぁ、ありがとうござんす」

 側に着替えと長脇差を置いて、温泉に浸かるとマゲを解く。

 グリンが言った通り、確かに丁度よい湯加減で心地よかった。


「ん?ジューロさん、剣まで持ってきたんだ?」

「うむ、くつろぎてぇのは山々でござんすが、ゴブリン共に不意打ちされちゃ、かなわねぇんで一応」

 グリンの方こそ持ってきていた弓矢が近くに見えないのだが、それは大丈夫なのだろうか?


「そんなに心配しなくても大丈夫さ、多分ね」

 十郎の顔に不安が浮かんだのを見て取ったのか分からないが、グリンからそう答えが返ってきた。


「ふむ、というと?」

「僕が常に鼻を利かせているからね、そう簡単には不意打ちなんてさせないつもりさ、誰かが近付いて来てもすぐに分かる…ま!油断は出来ないけどさ?」

「ほぉう、そいつは凄い才能でござんすな」

「いや、大したことじゃないよ?僕らはそれが普通だし…それに、嗅ぎわける才能なら弟の方が上だしなぁ…」


 鼻が利いたり、夜目が利いたりする…と、リンカが獣人のことを説明してくれた際に、そんな事を言っていたか──


 十郎が温泉に近付いてきた時も、グリンはそれにすぐ気付いた様子であった。

 グリン本人が言っている通り、臭いで人の場所を見極めたりすることが出来るのだろう。


 それを踏まえて考えると、あの時ゴブリンとの戦いで、グリンが藪に隠れた相手を的確に把握し、射抜いていたことも合点がいく。


 十郎はグリンを改めて眺める──

 グリンに対して失礼にあたるかもしれないので、口には出さないが、やはり顔立ちは犬に似ている。


 彼の顔を見て、最初は被り物だと思っていた。

 リンカに獣人というものを教えられてからも、実は半信半疑であったが、彼の顔は間違いなく体と一体になっているし、その体つきも人と共通する部分がありつつ体毛の生えかたが人とは違う。

 何より尻尾が生えているし。


「…ん?どうかしたかい?」

 グリンは十郎の視線が気になったようだ。


「いや、申し訳ねぇ。あっしの故郷じゃ獣人さんって方をお見掛けしたことがありやせんので、つい…」

「え…?ジューロさんの故郷にはいないの?」

 意外と言わんばかりの調子で、グリンがキョトンとしている。

 リンカも同じような反応をしていたが、異国で獣人とやらは、やはり一般的な者なのだろう。


「うむ、少なくともあっしが知る限り、御目にかかった事がありやせん」

「そうなんだ…。確か、ヒノモトって言ったっけ?聞いたことがない国だし、僕らの国とは全く違うんだろうね」


「へい、こちらに漂流してからずっと、驚かされてばかりでござんすよ」

「え?…漂流?」


「そういや詳しくは言っておりやせんでしたね、あっしは嵐に巻き込まれ、船から放り出されやして…ここに流れ着いた次第で」


「そりゃあ大変だったね、だから故郷を探しているのか…。ん?そう言えば海の向こうにも国があるって話を聞いたことがあるような」


「む!本当でござんすか?」

「うん、国の名前は覚えてないけど…ジューロさん、その国の人なのかな」


 おそらくはそうだろう、確証がないから断言は出来ないが、生きて流れ着いたことから、さほど遠くまで流されたとも思えなかった。

「…そうかもしれやせんね?ただ、闇雲に向かって、もし違っていたら目も当てられねぇが…」


「確かにそうだね、それを考えたら王都に向かうのは正解だと思うよ、海の向こうにある国とも交流があるって聞くし、そこなら色々と分かるんじゃないかな」

「そうでござんすな、やはり王都に行ってみねぇことには、何も分かりやせんね」


 急がば回れとも言うし、そもそも十郎は航海術を持っていないから、海を渡るにしても船乗りの助けが必要だ。

 一番良いのは、国に渡る貿易船があった場合、それに乗せて貰えるのなら理想的なのだが…。


 いや、仮にあったとして乗せて貰えるかは分からない。

 しかし、こういう心配ごとは無事に王都に着いてから考えた方が良いか。


 …今、それよりも考えるべきは例のゴブリンのことだろう、王都に向かう道すがら、あれと再びカチ合う可能性がある。


 十郎一人だけなら自己責任で済むのだが、今はリンカが同行している。

 リンカがここにいる原因は十郎にあり、そのせいで彼女を危険にさらすような真似は避けたい。


「グリンさん、話は変わりやすが…王都まで、ゴブリンとやらに鉢合わせしねえような、安全な道などはございやせんか?」

「あ~、それは…。無い、かも…」

 無いのか。ならばどうやって進んで行こうかと考えたが、それと同時に十郎は疑問を持った。


「左様でござんすか…。グリンさん、つかぬことをお聞きしやすが、レンジャーとは治安維持をする人達と申しておりやしたよね?」

「え?うん、そうだね」


「差し出がましいことでござんすが、レンジャーの方々がいて、何故あのゴブリンとかいう物怪が蔓延ってるんで?」

 十郎にとって、それが不思議でならなかった。


 山や森に限ったことではないが、獣による被害にあった時、御上に頼んで鉄砲を借りたり、狩人に頼んで害獣を殲滅させることもある。

 そうやって何かしら対策をするものだが、異国ではそういうことをやらないのだろうか?


「ハハハ…中々、手厳しいことを訊いてくるね…」

 グリンが浮かない顔をして、苦笑いする。


「いや、そういうつもりじゃねぇんですが、どうにも気になってしまいやして…。村の掟を破ったとはいえ、ピィスさんやソラさんも連中に襲われておりやしたし、なおさら山狩り等はしねぇのかと…」


 十郎の疑問に対して、グリンは少し沈黙した後、口を開いた。

「ん、いや…、そうだな。隠すことでもないし、少し昔話も絡むんだけど、いいかな?」


「ふむ?話を振ったのは、あっしでござんすからね。出来ればお聞きかせ願えやせんか?」

「…そうだね、分かった」と言って、グリンが話を始めてくれた。



『僕の弟が、物心つく前くらいかな?コザラ谷にも小さな集落があったんだ──

 ウチの村とも交流があってね、この温泉も一緒に使ってたりしてさ?

 当時はその集落にも僕の友達がいたし、みんなとも仲は良かったと思う…。


 でも、ある時──

 コザラ谷の集落がゴブリンの集団に襲われて、コザラ谷の住人がラサダ村に助けを求めに訪れた…。

 それを聞いたウチの父さんは、その申し入れを引き受けたんだ。


 ウチの父さん、かつて王都の兵士だったからかな?

 正義感が強いこともあってね、父さんは数人のレンジャー達を集めるとすぐに、集落を助けに向かった。


 そして、集落を助けに行った後…。

 結果として父さん達は、ボロボロになって帰ってきたんだ。

 一人の女の子、ソラと一緒にね──


 父さんの話じゃ、コザラ谷の人達は何とか逃がすことが出来たらしいんだけど、それでも犠牲者が出たし、怪我人も多くて。

 その時に負った怪我が原因で、父さんも死んじゃってさ。


 じいちゃんはその時、村を留守にしていたこともあって…凄く後悔してね。

 それを切っ掛けに、犠牲者が出ることを極端に嫌うようになったんだ。


 それから村長命令として、余所と関わる事、そして村の外に出ることを禁じた。

 ゴブリンに報復しようという意見も出たんだけど、じいちゃんは頑なに、首を縦に振らなかったんだ。


「戦うのは駄目だ、村にさえ居れば安全だ、息子は愚かだった」って。


 確かに集落が襲われたのは、そこにいた住人が少なかったからだろうし、今までラサダ村そのものが襲われたこともないから、じいちゃんの言ってることも分かる…。


 でもね?僕は、父さんが間違ったことをしたとは思ってない。


 父さん達がいなくても、集落の人達は逃げれたかもしれないけど、その行動は無駄じゃないって信じてるし、誰かを守ろうとした事は、愚かなことじゃないはずさ。


 じいちゃんだって、昔は王都の兵士だったし、父さんの気持ちだって、分かりそうなものなのにさ?


 …ま!そんなこんなで、何も出来ないまま現在に至るって訳さ』



 グリンは最後に自嘲気味な苦笑いを見せると、話を締めくくった。



 十郎はグリンの話を黙って聞いていた───


 村長は、ゴブリン連中に手出しすること、戦うことを極端に恐れているということか…。

 結果として連中が野放しになっているだけで、この状況を良しとはしていないようだ。

「左様でござんすか、そういう理由が…」


「悪いねジューロさん、つまらない話だったよね?」

「そんなことはありやせん、話してくれてありがとうござんす。…立派な父親じゃござんせんか」

「そうかな?ありがとう…。僕は気休めでも、そう言われたかったんだと思う」

「いや、あっしは心からそう思っておりやすけど」

 そして村長の事も、少しだけ分かった気がした。

 これが彼なりの最善だったのだろう。


 しかし、同時に一点だけ、腑に落ちないことがある。

「なぁ、グリンさん?一つだけ訊きてぇんだが」

「なんだい?」


「余所に頼んだりはしねぇんで?…あっしがここに来る前、イゼンサ村って所も、物怪の被害にあってたんだが、…騎士団?だか何だかに救援を頼んでたようでござんすが」


 この質問に対して、グリンの表情が暗くなった。

「それが…ウチも伝書鳥や、たまに来る配達屋さんを使って、何度も何度も、王都に救援要請を出してるんだけどね…全く音沙汰がないんだ」

「そいつは…」


「僕にも分からないけどさ、きっと来れない理由があるんじゃないかな?じいちゃんや父さんが居たこともある組織なんだ、他を助けるので手が回せないだけとかさ?」

「ふぅむ…」

 腕を組みつつ首を捻るが、異国の情勢を知らない十郎に、答えなど出るはずもなかった。


「…ま!そろそろ上がろうか?あんまり湯に浸かり過ぎても、のぼせてしまうかもしれないし」

「そうでござんすね…」

 温泉から出ると、手拭いで体を拭き、マゲをギュッと結い直すと、替えの着物に身を包んだ。


 グリンはというと、まるで犬のように体を震わせて水気を落として、体を軽く拭いてから、服を着なおしている。


 十郎は干していた着物を生乾きのまま振分荷物に突っ込むと、帰り支度を済ませ、再び森に入り、帰路についた。


 夕暮れに迫ろうとする森の中───


 ラサダ村へと帰る道中、動物が殺されているのを、グリンが発見した。


「?…これは」

 グリンはそれに駆け寄って行くと、死骸の状態を確認し始める。


「グリンさん、如何されやした?」

 十郎もグリンの後に付いていくと、その死骸の状態を間近で目にすることとなった。


 猪に似た動物が、頭を割られ絶命していた。それはまだ理解が出来る範疇だ。

 しかし、異様なのは、脳味噌と目玉を抉り取られていて、体はまるで雑巾の如く捻られ、血が抜かれている…いや、絞り取られているということだ。


 血抜きをしてジビエ肉にする…というのは聞いたことがあるが、これは明らかにおかしい。

 肝心の肉を取ろうとした形跡がないし、毛皮が取られているわけでもない。

 そんな死骸が野ざらしになって腐っており、異臭を放っていた──


「こいつぁ…レンジャーさんの仕業でござんすかい?」

 十郎は念の為、グリンに確認をとる。

「いや、違うよ。僕らはこんなこと、しやしないさ」

 確かに、害獣を駆除する目的であったとしても、ここまでする必要はないだろう。


「左様か…、しかし不気味でござんすな。まさか、ゴブリンの仕業で?」

 心当たりはアレしかなかった。

 しかし、自分で言っておいてなんだが、ゴブリンに猪ほどの大きさもある生き物を捻り殺す力があるとも思えない…。


「…どうかな?でも、ここ一週間…こういうことが多くてね。今朝も似たような死骸をいくつか見つけたから、じいちゃん達に報告しようと思ってたんだけど…」

 苦々しい表情で死骸を見据えると、グリンが独りごちる。


「これを嗅ぎ落とすなんて、僕もまだまだだなぁ…」


 彼らは今、難しい問題に直面している。

 しかし…この問題は、この地に住む者達が解決すべき領分だろう。

 グリンのような、この問題を解決できそうな人がいるからこそ余計な手出しはするべきではないし、するつもりも当然ない…逆に迷惑にもなりかねないからだ。


 それに、明日には村を出ていく十郎とは関係のない事…。


 そのはずなのだが、十郎はこの時…、なぜか嫌な胸騒ぎがするのを感じていた──

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