【プロローグ】第2話


 一体どれくらい流されただろうか?

 どの程度の時間が経ったのか皆目見当もつかない。

 気付いた時には砂浜に打ち上げられていた。


 生きている──

 なによりのことだった。

 少なくとも目出度い日に死ぬような事にならず、十郎は安堵した。


 身体に痛みが無いことを確認し、寝そべっていた体を起こす。

 頭がクラクラしたし途轍もない疲労感があったが、体は不思議なほど軽く感じられた。


 ふぅっ!と一呼吸してから辺りを見回す。


 砂浜が広がり雑木林も見える、人の姿は無いようだ。

 空を見ると夕暮れ時になっている。

 日はまだ沈んでいないし、恐らくそう遠くない場所に流れ着いたのだろう。

 幸運なことに、濡れたことを除けば全ての荷物は全て身に付けたままであった。


(まずは人を探さねぇと、ここがどこだか知らねえ事には帰り道も分からねぇ…)

 砂にまみれた体をはたきながら、そんなことを考える。


 一家を乗せた船が無事に到着できたのか心配であった。

 この事を戻り次第、留守を任されている兄弟分達に報告しなければならない。


 とにかく、道さえ見つければ人がいる場所へはたどり着けるだろう。

 人が踏み入れた形跡がないか雑木林を注視しながら海を沿うように歩けばなんとかなるはず…そう考えを巡らせていた時だった。


 雑木林の方から朽ち木が折れるようなメキメキという音

 それに加えて悲鳴が聞こえてきたのだ。


 人がいる────

 悲鳴は一人二人のものではないだろう。

 音から察するに倒木に巻き込まれた可能性もあるのだろうか?


 砂浜を蹴り出し、悲鳴のする雑木林へと駆け出す。

 木々を掻き分け道なき道を突っ切るように走る。


 しばらく進むと開けた場所に出た。

 踏み固められた地面、けもの道…と言うには幅がある。

 おそらく人の往来がある林道だろうと視線を落とすと、どうにも巨大な足跡が目についた。

(熊か?いや、それにしちゃあ人の足跡にあまりにも近けぇ)


 考えるのも束の間、再び大きな悲鳴が聞こえてくる。

 道のさらに先、この巨大な足跡が続いている方向からだ。


 足跡を追って駆け出すと、悲鳴がする場所まであっという間に到着した。

 体がやけに軽いと思ったのは気のせいではなかったようで、林道を凄まじい速度で走る事が出来たからだ。


 普通ならば、走っている途中で木々が薙ぎ倒されたように折れていること。

 倒木に巻き込まれたにしては断続的に悲鳴が聞こえること…。

 そして、いつもより脚が軽やかで速くなっていることに疑問の一つも浮かんでいたかも知れない。


 しかし、十郎が参じた場所で目にしたモノは、そんな疑問を吹き飛ばすほどの衝撃があった──



 遠目からでも良く分かる、十尺(※約3メートル)はあるであろう巨躯。

 姿形は人のようであるが、肌は苔むしたような緑色で毛深く、ボロボロの雑巾のような毛皮を体に巻いており、棍棒を振り回し暴れている。

 それはまるで、寝物語で聞いた【鬼】と呼ばれる存在に見える。



 悲鳴と叫び声、逃げ惑う人々。

 鬼に対して農具を持って応戦している男達も見えるが、その周囲には血を流し倒れる人や、怪我をして動けないのか、うずくまる人もいた。


 危機は一目瞭然であった──


 鬼はまだこちらの存在に気付いていないようで、応戦している男達に向かって棍棒を振るっている。


 十郎は馳せ参じた足取りのまま、長脇差をするりと抜き、全速力で距離を詰めた。

 十郎は、鬼の足首に狙いを定め、背後から勢いよく刃を振り下ろした。


 ヒュンッ──!


 風を切るような音と同時に、鬼の足首が切断される。

「グァ…ギャァァー!?」


 突然の一撃に、鬼がたまらず絶叫を上げ、片膝をついた。

 その切断した足から緑色の血が流れている。


「堅気衆は下がってておくんなさい!」

 応戦していた男達に向かい、一言だけ発する。


 その声に気付いて鬼はようやく足首を切り落とした男の存在を認識したようで、視線を十郎に向けると、苦悶の表情から憤怒へと、その形相を塗り変えた。


 目が三つ…口は裂けたように大きく、その口からは発達した牙が覗いている。

 頭部に毛がないものの口髭は伸びており、巨躯も相まって迫力を感じた。


「グォ…オオオォッ!!」

 怒りの雄叫びを上げ棍棒を振り回し始めるが、鬼は足首を切断され自由に動けない時点で、既に勝負は決していた。

 十郎は常に背後に回り込むよう翻弄し続け、血を流し続けた鬼の動きが鈍くなったのを見逃さず、首筋めがけて刃を振るうと、鬼の首が飛んだ──


 泣き別れになった首、その鬼の目は驚愕に見開かれた後、地面に転がると命が途切れるように光を失う。


 寝物語では、首だけになっても襲ってくる妖怪の話を聞いたこともあるので警戒が解けず。十郎は鬼の首から目を逸らせなかった。

 転がった首をじっと改めていると、背後から声を掛けられる。


「あの、助けてくれてありがとう!…ございます!」

 振り向くと男と少年が立っていた。


 十郎はこれにも驚く。

 二人とも頭髪の色が黒とは違うし、瞳の色も各々違う。

 男の方は髪と瞳が赤茶けた色をしており、少年の方は金髪に青い瞳をしている。

 マゲを結ってないのもそうだが、着物も自分の知るものとは違っていた。


 話には聞いたことがあるが、いわゆる南蛮人…という者だろうか?

 どう見ても異国の人間が流暢な日本語で話し掛けてきたのも驚きだった。


「いや、礼には及びやせん、それより怪我人を看てやっておくんなさい」

 少しばかり驚いたが平静を保ったフリをし、返事をする。


 その言葉を聞いた二人は、各々(それぞれ)倒れている者や怪我人に駆け寄ると安否を確認し始めた。


 周囲をチラリと見やれば、彼らだけでなく他の人々も様々な髪色と、見知らぬ着物をしているのが分かる。


 しかし辺りは酷い有り様であり、とても道を訊けるような状況ではなかった。

 かといって怪我人を看てやれるような知識も持ち合わせていない。

 どうしたものかと掛ける言葉を探していたら、先ほど声を掛けてきた内の一人、金髪の少年が駆け寄ってくると、十郎に話掛けてきた。


「剣士さん、お願い!どうか僕らの村を助けてくれませんか!?」

 どうやら助太刀の申し入れらしい。


「村を襲って来たのは今の【トロール】だけじゃないんだ!」

 少年に経緯を聞けば、村を襲撃されたが、動ける若い女子供を率先して逃がし、他所の町まで助けを呼びに向かわせ。

 一方で動けない者は村に隠れつつ、残った男達で時間を稼いだり囮になったりしているとの事だった。


「だから村には人がまだ残ってて…」

 少年が頭を下げる。

「どうか、どうかお願いします!助けてください!」


(…十郎、堅気さんがワシらのような者に助けを求めてきたなら…手を差しのべてやるのが侠ってもんだ。ワシらのような人間に縋るしかなくなった瀬戸際の人なんだ…分かるか?十郎)


 ふと、親分の言葉が脳裏に浮かんだ。

(分かってる、人生の瀬戸際…そこにいる人をあっしらのようにしちゃ、いけねぇんでしょう?)

 十郎は心の中で親分に言葉を返すと、少年に声を掛けた。


「一刻の時間も惜しいでしょう、その村までの道案内。お願いできやすかい?」

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