第2話 壁際で震える
「ひ…………っ、」
ガクガクと震える足を必死に前に進め子爵一家について行き、私は王宮の大広間へと足を踏み入れた。途端、グラリと大きくめまいがする。中は信じられないほどのまばゆさだった。大きなシャンデリアに照らし出された広間は、色とりどりのきらめくドレスを着たご婦人方やご令嬢方、素敵な装いの殿方たち、そしてジャクリーヌと同じようにデビュタントの真っ白なドレスを着た若い娘さんたちでひしめき合っていたのだ。
「……っ、はぁ……、はぁ……っ……」
ドッ、ドッ、ドッ……と、破裂しそうなほど大きな自分の鼓動が鼓膜を揺らす。怖い。怖い……!誰かと目が合うたびに心臓が止まりそうだった。周囲の人たちから必死で目を逸らしながら、はぐれないよう無我夢中で子爵夫妻を追いかける。大勢の話し声に、楽しそうな笑い声。香水か花のような、頭がクラクラするほどの強い香り。どこを見てもとにかく眩しくて、少しでも気を抜くと倒れてしまいそうだった。
「おや、もしやこちらが子爵夫妻のお引き取りになったという……?」
「いや、実はそうなのですよ。これが義娘のエディットです。バロー侯爵夫妻の忘れ形見であり、我々の遠縁にあたる娘でございます。……ほら、挨拶をせんか、エディットや」
「っ!!……あ……、あ、あの……」
突然目の前に白髪の紳士が現れ、オーブリー子爵から挨拶をするよう促される。子爵の目が怖い。子爵夫人もその横で私をグッと睨みつけるように見ている。だけど挨拶をしろと言われても、ど、どんな風にするのが正しいのかが全然分からない……っ!
あ……、あ……、とみっともなく唇を震わせながら立ち尽くす私を見て、オーブリー子爵が大きくため息をついた。
「全く、困ったものです……。この通り、この娘はとにかく消極的で頭も回らんものですから……はは。幼い頃より病弱でなかなか淑女教育を受ける機会を持てなかったことが一因でしょうなぁ。失礼いたしました、伯爵」
「いや何、致し方ないことですよ。……なるほど、噂通り本当に病気がちでいらっしゃったのですなぁ。子爵夫妻も大変だったことでしょう。よくぞここまでお育てになった」
「はは、いや、縁戚に当たる者の義務と思ったまでですよ。見捨てるにはあまりに哀れで……。あ、これがうちの娘たちでございます。アデライドと、こちらがジャクリーヌで……」
もうどちらも私の方を見ずに会話を始めてしまった。……失敗したらしい。どうしよう。ぶたれる。帰ったらきっとものすごく怒られるんだわ。
その時、子爵夫人が私の腕をグッと強く掴むと、その顔に笑顔を貼り付けたまま私を壁際まで引っ張っていく。
「あ、あの……お義母様……っ」
「うるさい。あんたはもう黙ってここに立っていなさい、この恥さらし。いいわね?私たちが帰れと合図するまで、絶対に誰とも話すんじゃないわよ!」
オーブリー子爵夫人は私にだけ聞こえるような小声で厳しくそう言うと、私をその壁際に一人残して子爵の元に戻っていってしまった。
「…………っ、」
そ、そんな……っ。
おそるおそる近くを見回すと、私と同じくらいの年頃のご令嬢方が何人も集まっていて、皆で一斉にこちらを見ている。恐怖で息が止まりそうになり、私は慌てて顔を背けると壁の方を向いた。
「……ね……、あれが噂の……?」
「オーブリー子爵家の養女ですって……ほら……」
「ああ、やっぱり……。本当にいらっしゃったのね……」
「……地味ね……。それに、顔色も悪いわ……もったいない……あんなに……」
聞きたくなくても全神経がそちらの会話に集中してしまう。やっぱり。何か私のことを話してる。私が変だからだわ。マナーも何も知らなくて、様子がおかしいからだ。着せられた時には美しいと思っていたクリーム色のドレスも、この広間の中では一番地味なのが分かる。
お願い、誰も私を見ないで。
今にも涙が零れそうなほどに心細く、胃がムカムカして吐き気までひどくなってきた。こんなに明るい場所に来るのも、こんなに大勢の人を見るのも初めてのことだった。早く帰りたい。早く帰れと指示をください……っ。
そう祈りながら壁の方を向いているのに、時折若い男性に突然話しかけられてそのたびに心臓が飛び跳ねた。
「失礼、お嬢さん。もしやあなたが、オーブリー子爵家の……?」
「…………。」
「あの、よかったら僕と一曲踊っていただけませんか?」
「…………。」
何か喋れば吐いてしまいそうだったし、どう答えれば失礼に当たらないかも分からず、私は黙っているしかなかった。男性たちは黙りこくっている私に困るのか、そのうちどこかへ行ってしまった。
そうしてどれくらいの時間が経った頃だろう。
放っておいてほしいのに、また一人の男性が私に話しかけてきた。
「失礼。……突然声をかける無礼をお許しください、レディー。あなた様は、エディット・オーブリー子爵令嬢で間違いないでしょうか」
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