かさねがさね

かなぶん

第1話 ことのおこり

「夏休み中に悪いが、地元のお祭りにコイツらを連れてってくれないか?」

 年の離れた兄からそう言われ、井海いかい深結みゆは不承不承引き受けた。

 仕方あるまい。

 兄夫婦は多忙の身の上。それでもなんとか休みを作っては、甥と姪の二人に本物のお祭りを体験させたいと帰省していたのに、やれ資料が足りないだの、やれ人手が足りないだの言われ、返上する羽目になったのだ。それでも子どもたちの貴重な機会だけは、と考えて深結を頼ってきたのであれば、引き受けない訳にはいかなかった。

 ……決して、親しき仲にも礼儀ありと渡された謝礼のためではない。

 断じて。

 それはさておき。

 夕暮れ時。

 近所の人たちや顔見知りの出店の店員と挨拶を交わしつつ、甥と姪の様子を気に掛けながら、自身も受験勉強の気晴らしに祭りを楽しんでいた深結は――目を覚ます。


「……えー、っと?」

(あれ? 寝てた? いつの間に? というか、ここは……?)

 判然としない記憶にぼんやりする頭を振りつつ、薄暗い室内を一巡り。

(畳の部屋……部屋の中? 外にいたはずなのに? 襖が左と前、障子が右で、後ろは……なんだっけ、床の間?)

 日本画と思しき掛け軸と生けられた花。

 何もかも、記憶にはない場所だった。

(目の前の重そうな木のテーブルと、この座椅子……どこかの旅館? ダメだ。全然何にも分からない。なんでここにいるの、っていうか、いつからここに?)

 考えれば考えるほど記憶が不鮮明になっていく。

「うぅ……」

 痛みはないが、探る端から思考が滑り落ちる感覚に、頭を抱えて唸る。

 と、不意に周囲が明るくなった。

「え?」

 顔を上げれば先ほどは見えていなかった行灯があり、目の端には障子の境にもたれるようにして立つ姿があった。

 いつからそこにいたのだろうか。

 襖も障子も開く音はなく、人の息づかいはなかったはずだが。

 他の感情を抑えつけ、驚きだけを見せる深結にその人物はふっと笑った。

「こんばんは」

「あ、はい。こんばん、は……?」

 異常事態の中、交わし慣れた挨拶に引きづられる。

 思わず返してしまった呑気なやり取りで我に返る前に、ひょろりとした着流しの青年は、柔和な表情を崩さず言った。

「君は私の花嫁として此処に招かれたんだ」

「はい?」

 唐突な話に、理解が及ぶ前の喉が疑問符を発する。

 青年はこれを見越していたかのように、深結の頭が彼の言葉を整理し、次々湧き起るであろう問いかけを待たず、あって然るべき答えを述べていく。

「此処は、君が住んでいたところと皮一枚隔てた場所にある、全く別のことわりを持つ処だ。異世界、というほど遠くはないが、同じ場所でもない。一番違うのは、夜明けがない、陽の登らない場所というところかな。そういう意味では、常夜と呼んでも相違ないだろう。あるいは常世か」

「はあ」

「けれども神秘性があるかと言われれば、そこまでではないかもしれない。なにせ、私を含めたこちら側のモノは、君と似て非なる存在ではあるが、完全に異なるとも言えない立ち位置でね。だからこそ、君のような花嫁を求めることも可能になる」

「えーっと」

「要は新しい血が欲しい時に、君が住んでいた処――便宜上、こちらが常世なら現世と呼ぶべきかな?――現世から花嫁を招くんだ。ただ、先ほど述べた通り、こちらの理は君の理とズレがあるものだから、招く花嫁に対して同意がある時もあれば、同意を全く得ない時もある。今回で言えば後者だろう。すまないね」

「えぇ……」

「花嫁の選出基準もやはりその時々で違うもので、今回は本当に君の立場からすれば、不運としか言い様がない基準だった。これでも大変に申し訳ないと思っているよ。ああ、紹介が遅れたが、私は斜陽しゃようと云う。陽のない場所のくせに名に陽がつくのはおかしいかもしれないが、どうせ沈む陽だ。大目に見てくれると助かる」

「いや、あの」

「そうそう、君の縁者たちのことならば心配はいらない。小さい二匹……いや、二人だったか。彼らはきちんと彼らの両親の下へ帰っているよ。花嫁になるに当たっては、心残りはないように手配してあるから、あちらで君のことを憶えている者はもう誰もいない。安心してくれ。君がいなくなって悲しむ者はあちらにはいない」

「!?」

 口を挟む暇がないほど流暢に喋る青年・斜陽。

 聞き手に徹することしかできなかった深結だが、心地良い朗読のような声から飛び出した、あまりにも勝手な話は聞き捨てならなかった。

 もつれもせず立ち上がり、高い背の胸ぐらを掴む。

「そんな勝手な――」

「そう、とても勝手だね」

「!」

 気安く両肩に手が置かれ、状況が状況だけに恐怖が襲ってくる。

 ――誰も助けには来ない。

 これまでの斜陽の言葉を汲めば、そういうことになる。

 いくらひょろりとした体格だろうとも、深結を見下ろす背は高く、掴んだ胸ぐらには筋肉があり、肩に置かれた手は大きい。

 斜陽がその気になれば、只人でしかない深結など、どうとでもなる。

 どうとでもなってしまう。

 急に宛がわれた花嫁という役割から逃れようとしたところで――。

 ゾッとする思いに駆られ、深結の身体が固まった。

 本当は離したいのに、離れたいのに、胸ぐらを掴んだ指が解けない。

 逸らしたい目も逸らせず、恐れおののく思いだけが膨らんでいけば、

「だから、逃がしてあげるよ」

「……へ?」

 にっこり弓なりにしなった目の前の眼に、深結の目が点を打つ。

「私も無理強いをしたい訳ではないからね。ただ、花嫁が此処を去るのは中々に難しくて。ああ、私が気まぐれで君を此処へ招いたと思っていたのかもしれないが、そうではないんだ。此処が君を勝手に私の花嫁と決めただけだから。もちろん、私は此処の者だから、此処が花嫁と決めた君には全く不満はないし、君が了承してくれるなら一生を添い遂げる気は満々なのだけれど、君は帰りたい、そうだろう?」

「…………」

 にこにこと尋ねられ、絶望から一転した状況に深結は顎を軽く引くだけ。

 それだけでも斜陽は楽しそうに「うんうん」と頷き、自身が背にする障子を示す。

「じゃあ、早速此処から出ようか。とはいえ、先の通り花嫁を現世に戻すのは難しい。と言うのも、この障子の向こうは、こちらとあちらの境になるわけなんだが、ここに入った瞬間から、此処が君を探し始めるんだ。だから君は此処から隠れて移動しなければならない。ああ、隠れると言っても言葉通り、どこか物陰に潜むとか、そういう意味じゃない。そもそも此処は此処という場所だから、物陰に潜む程度じゃすぐに見つかってしまう。――というわけで」

 深結の両肩が押され、斜陽の手が除けられる。

 萎縮していた指は斜陽の言葉に勇気づけられたかのように、彼の胸ぐらから離れたが、手を伸べられたのならおずおず自ら重ねていく。

 そうして伺うように見やれば、斜陽は相も変わらず笑って言った。

「ここに出たら、あちらへ着くまで私の手を離さないで。そして、何も話さないで。此処に見つかりたくないなら、其処へ留まりたいのならば。私が共で在れば、君が存在を明かさなければ、此処は君をこの場所に戻せないから。できるかな?」

 斜陽の問いかけに、まだその段階でもないのに深結は静かに頷く。

 これへ頷き返した斜陽は、「じゃあ、行くよ」と障子を開けた。

 斜陽に続き、深結の足が一歩、障子の外へ出て――……

「あ、ちょっと待って」

 途端気づいた違和感に声を上げたなら、深結の視界は暗転した。

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