済野さんは人混みが苦手【KAC20245(テーマ:はなさないで)】

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 済野さんは身体接触が苦手らしい。


「だから、思わず避けたり振り払ったりしちゃうかも」


 そういう行動は反射的なものだから自分でもどうしようもないらしい。

 満員電車は地獄だし、人混みには近付かないと言っていた。

 なのに。


「済野さん、大丈夫?」


 済野さんと僕は、休日の映画館に来ていた。


「これくらいなら大丈夫」


 済野さんは、やせ我慢選手権の参加者のような、何かに耐えるような表情をしている。

 チケットは事前にネットで買ったからあとは発券するだけなんだけど。

 十台くらいある発券機のうちなぜか八台が故障していて、残りの二台に列が出来ていた。


 更に悪いことに、チケット売り場の方にも並ぶ人がびっしりいて、発券機の列と入り乱れてしまっている。

 そんなチケット売り場と発券機の間を無理やり通っていく人達もいるせいで、押しつ押されつ訳が分からなくなってしまっている。

 済野さん、たぶん大丈夫じゃない。


 それでも、無事にチケットを発券し、ポップコーンとジュースを買った。

 すぐにスクリーンに案内するアナウンスも流れたから、僕達は人の流れに乗って、上映スクリーンの方に歩いて行った。


 済野さんは、人に酔ったのか全く喋らない。


 なんで僕は今朝、「映画を見に行かない?」なんて言っちゃったんだろう。

 なんで、今日がよりにもよって大人気映画上映初日だったんだろう。

 ついでに言うと、なんで今日が祝日だということを忘れていたんだろう。


 とにかく僕は、ただ気分だけで済野さんに苦痛を強いる提案をしてしまったわけだ。

「映画を見に行かない?」と言ったときに、少し間があってから済野さんが返事したの、なんで気付かなかったんだろう。

 今ならわかる。済野さんは人が多いことを見越して返事を躊躇したんだと。


 チケットの番号と同じスクリーンに入り、席を探す。

 前も横も後ろも、人、人、人。


 途中で誰かが落としたポップコーンを踏んでしまった。誰だよ。イライラしていたら、僕もポップコーンを数粒落としてしまった。なんてことだ。人が多すぎて拾うことすら憚られる。僕の前にポップコーンを落とした人の気持ちが少しわかった。それから、後ろの人、ポップコーン踏ませてしまったらごめんなさい。係りの人、掃除の手間を増やしてごめんなさい。

 心の中で懺悔する。独りよがりで意味のない懺悔だ。でも、懺悔せざるを得ない、心からの懺悔だ。


 見回すと、座席はほぼ埋まっていた。

 席を探すために立ち止まる人を避けながら、後ろの人に追い越されながら、やっとのことで僕達の席にたどり着いた。


 スクリーンでは映画の予告が始まっていた。


「済野さん、大丈夫?」


 僕は、何度目かわからない質問を済野さんにする。

 横に座る済野さんは、普段通りのスンとした表情で応えた。


「大丈夫よ。ずっと後ろに隠れていたから楽だったわ」


 発券機の列に並んでいた時の死にそうな顔の済野さんとは全然別人のようだ。


「ならよかった」


 僕は胸をなでおろす。


「そういえば、この映画、どんな話?」


 済野さんのおすすめ映画だったから、内容なんて何も確認せず決めたんだった。

 映画館についたら聞こうと思っていたのに、それどころじゃなくてすっかり忘れていた。


 済野さんが僕の顔をみる。

 ニッコリ笑って、肘置きにおいている僕の手を取り、絡ませるように握った。


「済野さん!?」


 そんなしっかり触って大丈夫なの?

 驚く僕の目を見ながら、済野さんは人差し指を口にあて「静かに」のジェスチャーをする。そして、囁き声で僕に言った。


「は な さ な い で」


 それは、手のことなのか、声のことなのか。

 混乱する僕を置き去りにして、映画が始まってしまった。


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済野さんは人混みが苦手【KAC20245(テーマ:はなさないで)】 @ei_umise

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