はなさないで

夏蜜柑

はなさないで

「あのさ」

——えっ?

「また、一緒に行こっ」

——うん

「でも大丈夫かな…?」

——大丈夫。そのときはきっと


もう大人だから。




花ちゃんは四年生の時ぼくのクラスに転校してきた。

明るく朗らかな子で、ぼくはすぐに惹かれていたのだと思う。僕は照れてしまって、すぐには話しかけに行けなかった。

学校で初めて会話したのは花ちゃんが転校してきた日の翌日だった。翌日の朝。

今でもはっきり覚えている。花ちゃんの家は近所で、だから登校する時に見かけたのだ。

花ちゃんは歩いて登校していて、その横を車で通り過ぎてもぼくには全然気づいていないみたいだった。

だから朝、花ちゃんがクラスに入ってくると駆け寄って思わず尋ねた。

——もしかして歩いてきたの?

花ちゃんは一瞬驚き、それから目を逸らした。視線を追うとカーテンが微かに揺れていた。窓は開いていて、隙間から入り込む風が心地よかった。


「うち、そういうの嫌いだから」

そういうの。

それが何を指すのかぼくにはよく分からず「そういうのって?」と聞くとぼくの目を見て、その目はぼくの後方にある黒板に向いていた。

答えを待っているとチャイムが鳴り、仕方がないので席に戻った。それからいつもと同じような日常が始まった。

六月十五日。

それがぼくの誕生日だ。

そして花ちゃんが転校してきたのは一週間前のこと。

六月九日の夕食時、ぼくは誕生日プレゼントに『ホロ~くんの冒険セット』をお願いした。

ホロ~くんは週刊誌に連載しているホログラムの幽霊が主人公の人気漫画で、ぼくが欲しかったのはホロ~くんと遊べるガジェットだ。

お父さんは最初、「難しいかもな」と言った。

『ホロ~くんの冒険セット』は人気があったし、売り切ればかりなので仕方がないといえば仕方がない。

じゃあふつうのホログラムのやつでもいいよ。

ぼくのおかわりをよそいながらお母さんは笑って「それは無理」と言った。

ケチだな~とぼくは文句を言いながらも”そりゃそうだろうな”と思っていた。

一般用のホログラムの機械がとても高価であることぐらいは誰でも知っている。頻繁にCMも見かけるし、そのときに表示された数字をぼくは覚えている。お父さんが連れて行ってくれた車の展示会で同じ数字を見たことも。

『ホロ~くんの冒険セット』はあくまでおもちゃなので本物と比べれば値段はずいぶんと安い。あとは手に入るかどうかだろう。

「まぁ、頑張ってみるよ」とお父さんは言ってくれた。

ぼくはその言葉を信じることにした。


学校では花ちゃんとよく話をした。ぼくの方から積極的に話しかけていたけど、次第に花ちゃんの方からも話しかけてくれるようになったのだ。

花ちゃんは名前にもある通り”花”が好きで、家にもたくさん飾ってあるらしい。

「すごいじゃん! 見せてよ!」

ぼくの言葉に花ちゃんは小さく微笑んだものの「うちには呼べないかも」としぼんだ声で言った。

——どうして?

「だって、うちはほかとは違ってて……」

——ちがうってなにが?

「ほら、朝見たんでしょ?」

——見たって、歩いてたこと?

「……うん」

——車……ないとか?

「そうだけど、違うの。そういうんだけじゃなくて」


もういいよ。じゃあ今日、ちょっと来て。でも他の人には言わないでよ?

ぼくはうなづいた。

花ちゃんに誘われたその日の帰り、ぼくは花ちゃんの家に寄ることなった。

ぼくはうきうきしながら歩き、花ちゃんはぼくの横で下を見ながら歩いていた。


花ちゃんの家の前に着いた。


その家の屋根は赤い瓦が重なり合っていた。太陽光が差し込むと、瓦の色が鮮やかに輝いて見えた。


家の中に入れてもらってリビングを見ると大きなモニターがあった。そばにPCの本体らしきものがない。

「それ、テレビだよ」

——テレビ?

ぼくの反応に花ちゃんはため息を吐いた。

「テレビ。それにあれは冷蔵庫で、あれが電子レンジ」

花ちゃんは次々と指をさしていき、その度にぼくは少し驚いた。

冷蔵庫はでかくて分厚いし、電子レンジは授業に出てきたような縦横のある四角形だった。

「テーブルとイスだって、こうだし」

そう言って花ちゃんは自分で椅子を引いて見せた。学校にあるものと変わらないみたいだった。

「うち、みんな古いの」

確かに。と僕は思った。

「だから朝も、車じゃなくて歩いてる」

——車がないの?

「昔はあったらしいけど、今はないよ」

——どうして?

「……自動運転が嫌なんだって」

ぼくがまた「どうして?」と聞こうとするのを知っているみたいに「うちの親はAIが大嫌いだから」と花ちゃんは続けて言った。

ぼくが何も言えずにいると物音が玄関から聞こえ、足音が近づいてきた。

「あら。お友達?」

花ちゃんのお母さんとお父さんが姿を見せ、お母さんがぼくを見て微笑んだ。

うん、と花ちゃんはうなづいた。

「ゆっくりしていってね。あ、今お菓子を出してあげるから、座って待ってて」

花ちゃんのお母さんはにこやかにそう言ってキッチンの方に向かい、「わたしも手伝う」と花ちゃんがその後を追って行った。

その姿を目で追っていると「座ったらどうかね」と声をかけられたので振り返ると花ちゃんのお父さんが椅子に座っていた。

——はぁ。

言われた通り、僕は自分で椅子を引いて座った。花ちゃんのお父さんの斜め前。テーブルの中央には一輪の花があった。バラみたいな青い花。

「はは。ちょっと驚いたかもしれないけど——」

花ちゃんのお父さんはちょっと笑い、優しそうに見えた。

「うちはまぁ、そういうことだから」

——AIが嫌いって、本当ですか?

そう尋ねると花ちゃんのお父さんは驚いたようだった。目線を下におろし、それから自分の手を見ながら口を開けた。

「私はね、AIに頼るのは健全じゃないと思ってるんだ」

——けんぜんじゃない?

「そうだ。確かにテクノロジーの進歩は人々の生活を豊かにしたかもしれない。だがAI任せに暮らすのは話が違う。そこには自由意思がない」

——じゆういしがない?

「そのとおり。AIによる選択は結局のところ集積したデータの最適解に過ぎない。だがそもそも人生に正解があるか? もちろん、そんなものは存在しない。にも関わらずAIはあたかも最適解を提供した気でいる。私にはそれが我慢できないんだ。しかし人生に答えがなくとも答えがあるように見せかけることは出来る。簡単なことだ。自ら問題を作ってしまえばいい、正解ありきの問題を。その問題は誰が作っているかといえば——」

ぼくはポカンとしながら花ちゃんのお父さんの話を聞き、お父さんはぼくの顔を見ると話を止めた。

「——もういいだろう。とにかく、そういう訳でうちは最新の機器は置かないようにしているんだ。少し変わっているかもしれないが……花と仲良くやってくれるとおじさんも嬉しいよ」

——それは大丈夫です。

ぼくの答えを聞いて、花ちゃんのお父さんは満足したみたいだった。



その後もぼくは花ちゃんとは仲が良かった。

学校ではよく話すし、放課後には大体一緒に居た。クラスの奴らにそれを知られてからかわれることはあったけど、正直それほど嫌な気分じゃなかった。

もし花ちゃんがそれを嫌がるようであれば怒るつもりでいたけど、花ちゃんの方も気にしていないみたいだった。

花ちゃんの家に遊びに行くことも増え、花ちゃんのお父さんとお母さんはいつでもぼくのことを歓迎してくれた。いつもケーキを出してくれたほどだ。

そして六月十五日。ぼくの誕生日だ。

食卓にはぼくの好物ばかりが並び、コップには炭酸飲料が注がれた。

どれもがおいしく、いつもの味だった。

ご飯を食べ終えると包装紙に包まれた箱がゆっくり運ばれてきた。ロボットはその箱をテーブルの上に置き、お父さんは箱を持つと笑顔で「誕生日おめでとう!」と言ってぼくに渡してきた。

ぼくは「ありがとうお父さん!」と言って受け取り、ばりばりと包装をすぐに破った。

なかには『ホロ~くんの冒険セット』があった。

「『ホロ~くんの冒険セット』!!」

ぼくは狂ったように喜び、飛びつくように中身を取り出すと早速起動してみた。

するとリビングに立体のシルエットが浮かび上がり、本体にあるボタンをいくつか押すと輪郭が濃くなりシルエットに色が付いた。

——やぁ~元気かい?

そこにはホロ~くんがいた。テレビで聞いたことのある声がリビングに響き、ぼくは飛び上がってホロ~くんに挨拶した。ホロ~くんはニヤリと笑って挨拶を返し、それからリビング中を飛んで回った。

ぼくは興奮して浮かび上がって飛び回るホロ~くんを猫みたいに追いかけ、ずっと笑っていた。

お父さんとお母さんも笑顔で、最高の誕生日だった。


翌日。ぼくは花ちゃんを家に招いた。

理由はもちろんホロ~くんに会わせるためだ。そしてぼくの目論見どおり、花ちゃんはホロ~くんに会うとまあるい目をより丸くし、口をポカンと開け、心底驚いた様子だった。

「これってホログラムなんでしょ?」

——うん。そうだよ。

「わたし、本物ははじめて見た……」

——そうなんだ。すごいでしょ?

「うん、すごい……」

それから花ちゃんは興奮した様子でホロ~くんを追いかけ、さっと逃げて飛び回るホロ~くんを花ちゃんは猫みたいに追いかけていた。

次第に体力がなくなり、花ちゃんはぐってりとして椅子に座った。ぼくは炭酸を差し出し、「ありがと」と花ちゃん。ぜぇぜぇしながら飲んで、ストローから口を離すと「わたしもあれ、ほしいな……」とつぶやいた。

——花ちゃんも買ってもらればいいんじゃないかな? 誕生日はいつ?

「誕生日は……来月。だけど——」

花ちゃんは再びストローをくわえ、ブクブクと炭酸に泡を作った。

「たぶん……無理だよ」

ぼくはそんなことはないんじゃないかと思い、思ったことをそのまま話した。

花ちゃんは笑い、そうだね、と言った。

「わたしも話してみる」

そういって炭酸を飲み切り、満足した様子で花ちゃんは帰っていった。


来月になって、花ちゃんの誕生日の月。

花ちゃんは学校を休みがちになった。

学校ではべつに問題はなかったと思う。勉強だって、花ちゃんは出来る方だし、クラスではちょっと浮いていたけど、それでもイジメがあったわけでもない。

少なくとも、そんなことがあればぼくが見逃さないはずだった。

たまに学校に来ても、ぼくが「どうかしたの?」と聞いたところで花ちゃんは「ううん、なんでもないよ」と力なく笑って見せるばかりで何も答えない。

——何かあったら言ってよ。

そうぼくが声をかけても花ちゃんは小さく笑って「ありがとう」と答えるばかりだった。

さらにその翌月となると花ちゃんは完全に学校へ来なくなった。ぼくは心配になって何度も連絡してみたものの返事は一切なく、そんな日が数日続いた後ぼくはとうとう花ちゃんの家へと行ってみた。

玄関のチャイムを鳴らすとゆっくりと扉が開き、花ちゃんのお母さんがすぐに

顔を見せた。

あれ? と僕は思った。

「あら、花に会いに来てくれたの? ふふっ、ありがとう。さぁ上がって!」

僕は言われるがまま家に上がり、リビングの椅子には花ちゃんのお父さんが座っていた。

「今、花を呼んでくるわね」

花ちゃんのお母さんはそう言って階段を上がっていき、音もなく戻ってくると「今、あの子が下りてくるから」と笑って言う。

ぼくはリビングで、じっとして待った。

次第にうっすら影が見えはじめ、花ちゃんが現れた。

「こんにちは」

——こんにちは。

花ちゃんは笑っていて、身体は少し浮いていて、いつものような笑みをいつもみたいに見せていた。

リビングの隅で機械がごぉーごぉー音を立て、椅子に座ったお父さんが小さく俯いていた。


バラのような青い花は、枯れていた。





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はなさないで 夏蜜柑 @murabitosan

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