君は大切な僕の恋人だから

千石綾子

君は大切な僕の恋人だから

 学校の帰り道、川沿いの桜の木の下に立っている女子がいた。名前は知らないが、僕は彼女を見かけると、なるべく話しかけるようにしている。

 どうやら彼女には友達がいないようだ。今日もこの曇り空の下、目の前にある川をひとりで眺めている。


 かく言う僕も恋人の真奈と出会う前は、親しい友人もいなくていつも一人で過ごしていた。だから、孤独の辛さは身に染みてよくわかる。お節介かとも思うが、つい話しかけてしまうのだ。


「そろそろ桜が咲くね」

「花が咲くとこのあたりも賑やかになるよね」


 彼女は無口な性質たちだが、微笑んでうなずいてくれる。するとそれが嬉しくて、僕はつい他愛もない話をしてしまうのだ。


 その時、ふと視線を感じた。

 一匹の三毛猫がこっちを見ていた。じっともの言いたげに、綺麗に輝く緑色の瞳で見上げている。

 いわゆる地域猫というやつで、僕をはじめ、近所の猫好きの人達が面倒を見ているうちの一匹だ。真奈もこの猫のことをとても気に入っている。この猫がここにいるという事は……ああ、やはり真奈もいた。少し離れた交差点の向こう側に立っている。


 その猫を抱き上げると、僕は真奈の方を見て微笑んだ。しかし、彼女は浮かない顔だ。

 遠くからでも気付く不穏な空気。軽く睨まれているのがわかる。


「はなさないで」


 真奈の形のいい唇は、そう動いた。

 困った僕が頭をかいていると、駄目押しをするように、彼女はすっと近付いてきた。


「あの子と話さないで」


 僕はへらりと笑い、真奈の顔を覗き込んだ。


「心配いらないよ。彼女はただの知り合いだ。……俺は君のものだよ」


 すると真奈は急に赤くなって口ごもった。


「べ、別にヤキモチとかじゃないし」


 明らかに照れた様子の真奈が可愛くて、僕の顔は緩んでしまう。素直だけど不器用で、自分の気持ちを上手く伝えられない真奈。それでもすごく恥ずかしそうに、こんな僕を好きだと言ってくれた人。

 彼女と出会って僕はこうして笑う事を知った。大好きな、そして大切な僕の恋人。


「ふぅん、そう? ヤキモチ焼いてくれないんだ?」


 そうからかうと、真奈は唇をとがらせた。


「心配してるだけよ。あまり親しくしすぎると、連れて行かれちゃうから」

 

 そう言って真奈は桜の木の方を見た。僕も振り返る。さっきまで僕が立っていた木の下には、桜色のもやが立ちのぼって揺らめいていた。

 

 性質たちの悪い霊ならあんな綺麗な色をしていない。連れて行かれはしないだろうと僕は思ったが、敢えて真奈には言わなかった。あの子の肩を持っているように思われそうだからだ。

 しかしそれがいけなかったのだろうか。真奈は急に思いつめた顔になり、同時に周りの空気がぴりぴりと張りつめはじめた。


「あんな女に盗られるくらいなら……」


 真奈の白い手が僕の首へと伸ばされる。指先が触れるか触れないかくらいの距離。

 その瞬間、僕の腕の中にいた三毛猫が毛を逆立て、シャーッと牙をむいて地面に飛び降りた。


「あ……っ」


 真奈が手を引っ込める。その手の甲には深いひっかき傷がついていた。三毛猫は僕を守ってくれるつもりだったのだろうか。

 しかしその手の先から、真奈は白いもやになっていく。その色で彼女も性質たちの悪いものではないとわかるのに。


「ごめんなさい」


 我に返った彼女はうなだれて涙ぐむ。悲し気な真奈の声に、僕も胸が苦しくなる。


「僕は君のものだって言っただろう? もう少しだけ待ってくれれば……」


 僕はもやになって消えていきそうな真奈の手を掴んだ。するとそれは再び形を持ち始める。


「──じゃあ、その手を離さないで」


 僕はうなずき、最上級の笑みを浮かべて彼女を見つめた。病魔に侵された僕に残された時間は、そう長くはない。もうじき僕の全ては彼女のものになるのだ。

 だからどうかあと少しだけ待っていて欲しい。大好きな、そして大切な僕の永遠の恋人。

 僕は腕からすり抜けそうになる真奈を引き寄せると、両手でそっと包み込んだ。


「もう、はなさないよ」





                了



※お題:「はなさないで」

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君は大切な僕の恋人だから 千石綾子 @sengoku1111

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