分岐点

筆開紙閉

勇者は はなす を選んだ

 勇者は自分の財布の中に眠る『かつや』の百円割引券が離さないでと言ったような気がした。百円割引券は勇者の持つ消耗品の中でも古参に入る。過酷な旅の中ですぐにダメになる装備や道具と違い、百円割引券は財布の中でずっと眠りについていた。百円割引券は『かつや』の会計を百円安くする効果しか持たない。果たして最後に『かつや』に行ったのは何時だったか勇者は思い出そうとした。

 赤く光る結晶に覆われた魔王城を勇者が走る。城内にはかつてこの城が人間の生きる場であった頃、そこに勤めていた者共の残骸が乱雑に埋め込まれている。それらの残骸から啜った命で以てしてこの城の結晶は赤く光るのだ。

 勇者にはなすべきことが二つある。一つは魔王を殺すこと。もう一つは本日の夕飯を決めること。

 魔王を倒す旅の関係から勇者は外食生活である。昨日の夕飯は『ラーメン山岡家』だった。サービス券を引き替えて餃子を食べた。

 昨日がラーメンと餃子であったので、勇者はラーメン屋に連続して行く気分ではなかった。勇者は悩む。とんかつか、あるいはとんかつ以外か。勇者の財布の中の『かつや』の百円割引券が、彼の足を重くしていた。割引券が彼の心を縛り付けていた。百円割引券は今日までが期限である。

 とにかく城内を疾走していた勇者は巡回する赤く不気味に光る鎧を避け、魔王が待つ謁見の間に到達した。魔王は結晶の鱗の生える竜だった。その身長のために謁見の間から出られずにいるが、そこに存在するだけで結晶汚染を広めていく。汚染された生物は鉱物と深刻に融合しいずれ結晶になる。

「人の子よ、その命は今日限りだ」

 魔王はいつもの台詞を口にした。魔王は侵入者が爬虫人類やドローン相手でも同じ台詞を口にする。

「……」

 勇者は懐から召喚の巻物スクロールを取り出し、起動した。これは予め指定した生物を同世界内から探し出し召喚する術を封じた巻物スクロールである。

「勇者様、もう着きましたか?じゃありますね」

 聖女が呼び出された。聖女の髪は銀髪で肌は新雪のように白い。聖女は打たれ弱く、魔法耐性が強いと相場が決まっていて、この聖女もまたそうだった。そして筋力を鍛えているわけでもないため、重い鎧を纏うこともできない。しかし様々な術に通じている。つまりはインテリもやしである。

 聖女は寝起きであるため、ジャージ姿である。高校の指定ジャージを今も使っていた。

 勇者は魔王にその辺で拾った少し大きめの石を投げつけながら、後ろに回りこもうとする。このような安い挑発でも魔王は乗らなければならない。それが誇りである。また勇者の腕力で投げられる少し大きめの石はライフル弾ほどの威力を持ち、十分に強力な攻撃であった。相手が魔王でなければ。

 魔王が聖女から目を離した隙に、聖女は必殺の術の準備を終わらせた。僅か一秒の高速詠唱である。

厭離穢土おんりえど補陀落渡海ふだらくとかい

 魔王が足をつけた床は異界の海に置き換えられ、魔王は自重で沈んでいく。完全に沈みきった場合には決してこの世界には帰還できない。召喚の対極である異界追放の術である。鎧兜で武装した騎士や空を飛ぶ能力を持たない生き物にこの術は覿面に効く。

「あっこの海、深いッ!」

「そうですね。早く沈みましょうね」

 魔王は抵抗し、腕を振り回し、口からは石の壁を溶かす息吹ブレスを噴射する。だが、抵抗虚しく、魔王は追放された。

 勇者はこの戦いで、召喚の巻物スクロールと少し大きめしか使っていない。剣技で戦うような状況に持ち込ませず、完封した。そして勇者はとんかつに夕食を決めた。あとはどの店に行くか。

「『松屋』に行こう。正確には『とんかつ松のや』の併設されている『松屋』へ」

 勇者は期限が今日までの『かつや』の百円割引券への執着を手放した。『とんかつ松のや』のワンコインキャンペーンは日本から遠く離れたこの世界でも行われている。

「財布、ホテルに忘れてきたので奢ってくれませんか?」

「別に奢るのはいいが、財布はいつも持ち歩け」

 


 

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