第6話
◆
おそらく、私たち家族の関係は他者から見れば、ものすごく良好な関係を築いていると思われていそうだ。よく、回覧板を回すときに近所の人と話をすると、「本当に仲がいい家族ね」、とか、「うちの子にも教えてやりたいくらい」、と評されることがあるから、きっと、そう見えてるに違いない。私が深く話したことがない人間でも、そういう風にとらえられることがあるのだから、世間的な評価については、そんなものだと思う。
それでも、やはりそんなものは他者から見た虚像でしかなく、当事者として、その家族の一員として中身を見てしまえば、その虚像は現実になることはないと、そう思えてしまうのだ。
家族は、きっと優しいと思う。いや、きっとではなく、確実に。今では関係が全く存在しない兄についても、私から保証できるほどに、きっと彼らは優しい心情を持ち合わせている人間だ。その中に私を含めて考えていいのかはわからないけれど、それは今は別の話だ。
でも、そんな優しい雰囲気の中でも、かみ合わないような不和は存在する。無理に周期の合わない歯車を嚙合わせるような、とてつもない不和。私たちはそれを隠しながら、無理に家庭というものを回している。
幼い頃からのことを思い出せば、きっと両親は私と兄で育て方をあえて変えていたように思う。いろいろな行動の裏を考えてみると、あからさまにそう育てていたとしか思えないほどだ。
どういう風に育て方は異なっていたのか、と言われれば、少し抽象的にはなってしまうけれど、まあ、あからさまに態度というか、しつけの方法が違うというような感じ。
両親は、兄に対してはどこまでも放任主義のように接していたし、その裏を取るように、私に対しては過保護としか言えないほどに監視の目がついているような気がした。それはきっと、男だから、女だからとか、そういう性別には関係なく、どこか兄の育て方の反対行動が、どういう結果になるのかと、調べるようなそんな育て方だと、今になって思う。
母から聞いた話、そうでなくとも、昔の記憶を振り返ればわかることだけれど、兄は昔からわんぱくな性格をしていて、特によく聞くのは、幼稚園に通っていた時期には、いきなり友達と喧嘩になって相手にけがをさせてしまったり、もしくは、いきなり外に出て行って、大人の目をかいくぐって遊びに行く、ということがあったそうだ。その話を聞いて、なんとなく兄らしいな、と思う自分がいるのだから、きっとそれは本当のことなんだろう。
あのことは何度も幼稚園の先生に謝りに行ったのよ、と母と兄が一緒に昔話をしている場面を、私は最近何度も目撃しているような気がする。それほどまでにやんちゃだったんだな、とそれは私に思わせる。
それに比べてしまえば、私という存在はどうなのだろう。兄に比べてしまえば、だいぶと大人しい過ごし方を幼少期からしていたような気がする。別に芯が存在していないわけでも、取り立てて目立った行動をとることは少なかったはずだ。どちらかといえば、男の子に意地悪をされて泣いていた記憶や、それこそ、兄からの一方的な喧嘩で涙を流している記憶の方が多いような気がする。
そんな私と兄となら、確かに育て方の方針が異なるのも、理解はできるかもしれない。それに対して納得するわけではないけれど。
それが私を過保護に育てるということに所以しているのかはわからないが、小学校に通うくらいの時期から、両親はあからさまに兄と私とを区別して、面倒を見ていたような気がするから。
今でも思い出すのは、勉強の仕方について。私は両親が兄に対して勉強をしろ、と命令するような場面を見たことがない。そして、勉強をしろという指示がなければ、兄ももちろん勉強なんかすることもなく、ずっとテレビ画面を見つめてゲームをしている姿が大半だった。それを私がずっと羨ましそうに眺めていると、兄は鬱陶しそうな顔をするし、母も、父も、見ていないで勉強をしなさいと私だけに促すことが大半だ。
兄については、それでもテストでいい点を取る姿がよく家で確認できた。テストの数日後に、答案を持って帰って、誇らしげに母に見せる姿から、きっと彼は勉強なんかしなくても大丈夫、というように私は納得することができる。
納得はできる、けど。
私はテストで悪い点を取ったことがない。だいたい、兄よりもテストの点数についてはいい方だったと思う。それは兄よりも確かな勉強時間をとっていたことが成果に結びついたと思うし、母や父からの期待については、きちんと答えられていたように思う。
そうして今思えば、というかずっと前より考えていたことではあったけれど、両親はそこから、ずっと兄と私の存在を比較し続けていったのではないか。そこから、関係のいびつさが増していったのではないかと、そう考えずにはいられない。
そんな中でも、幼少期から私は兄にずっと関わり続けていくことをやめることはなかった。自分自身でも結構しつこいと思うくらいには。その頃はしつこければしつこいほど、兄はきちんと答えてくれると、幼く馬鹿な私はそう思っていたから。
そして、その期待の通りに、兄が鬱陶しがりながら、そっけない態度でありながらも、私のお願いに答えてくれる。そんな態度であったとしても、なんだかんだ私にかまってくれるのがうれしくて、私はずっとそれを繰り返した。
……まあ、それが、だんだんと疎遠に。関係の希薄さが、私たちの中で露呈していくわけだが、この頃の私は愚鈍だから、そんなことにも気が付けない。
兄が中学生に進級する頃には、私がどれだけ声をかけてしつこくしても、するりと抜けて躱すようにどこかに行ってしまう。部屋にいれば、それでもしつこく私は声かけを繰り返すのだけれど、結局最後には家を出て行って、友達と遊んで夜としか言えない時間に帰ってくる。それが、私はどうしようもなく寂しくて、だんだんんとしつこく声をかけることをやめていった。
そんな様子を両親が見ていても、兄に対しては放任主義であり続けた。何をするにしても、二言目には了承して、適当に兄は了承された勢いで何か行動をなす。もし、私が同じようなことをすれば、とがめられてしまうのは間違いないだろうに。両親は私には過保護であり続けた。
兄は、それについてどう思っていたのだろう。なんとも思っていないのかもしれない。私はずっと兄を羨ましいと思う気持ちが今でさえも消えない。もしかしたら、そんな私を見て、窮屈な人生だと、笑っていたのかもしれない。
そんな頃から、どこか家族というものに不和があからさまに見え隠れするようになった気がする。
何が原因かはわからない。でも、家族で談笑する場面はだんだんとゼロに還元されて、互いが決められた行動をするようになってしまうのを、私は傍観することしかできなかった。
なんとなく気まずい空気。何か言葉をしゃべることができたのなら、少しは緩和されたのかもしれないけれど、そんなこと、私には出来やしない。
次第に挨拶さえも形をなくしていく。最低限のことさえもだんだんとやらなくなって、次第に互いに部屋にこもりきりになる。両親についても同じで、居間からはテレビの音さえ流れない沈黙だけが響いていた。
家に帰りたくない、そんな気持ちがいっぱいになる。けれども、兄と違って過保護にされる私は、帰ることしか選択肢はない。視野も狭まっていたから、どこか家出をする、という考えさえも存在しなかった。
家に帰れば真空の中にいるように、言葉はしゃべれない。真空の中では呼吸もできないから、結局部屋に帰って、適当に勉強をするだけの生活。
それが、私が高学年になるころまでもずっと続いて、だんだんとそれが当たり前のようになっていた。
そんな、時期のことだった。あまりの唐突な出来事だったから、今でも忘れることがない。
居間で沈黙だけがこだまする食事風景の中で、兄が話しかけてきたのだ。
いつもだったら、いつもだったら。いつもだったら、兄は私に対して興味がないようにして、関わろうとすることなどなかったはずなのに、どういうわけか、いきなり、私に対して話しかけていた。
どんな言葉だっただろうか。最近の学校はどうか、とかそんなどうでもいいような会話だったような気がする。
私は、沈黙が晴れたことと、そして、兄が本当に久しぶりに私に対して関わろうとしてくれたことが、何よりもうれしくてたまらなかった。
そんな様子を見て、母は笑う。遅く帰ってきた父にもその明るい雰囲気は伝染して、その日は久しぶりに談笑が響く空間となっていたのが印象的だ。
心の中でもやもやしていた気持ちは正直あったけれど、それでも少しでも空気が変わってくれたのならば、それだけでも、私は嬉しいような気がした。だから、私は気づかぬままに、泥沼に足を突っ込んでいたのだ。
兄から私に関わることはだんだんと増えてくる。その様子を見て、家族が笑ってくれるから、なにも過不足がない過ごしやすい空間。
今までのことは、今までのこととして、これから楽しい雰囲気の中で生きていける、それがどれだけ家の居心地をよくさせたのか。
──でも、気づいてしまう。
兄が私と話すのは、いつだって誰かがいる居間だけであって、それ以外では何も会話など存在しないこと。それ以外の場面では会話など必要がないというように、兄は私と居間でしか関わらない。
そんなことに気づく頃には、それはあまりにも遅すぎた。両親がいないときに、二人に関係は存在しない。話す空気など、そもそもが存在しない。それこそが、本当の真空のように呼吸さえできない感覚が介在しているみたいだ。
ようやくそんなことに気づいて、兄が私に対して取り繕っていたのだと認識しても、それからどうやって関係を改善すればいいのかなんて、私にはわからない。
兄と私が関わると、両親は喜んでくれる。年月が増すほどに、昔は仲良くなかったのに、と冗談めかして笑うくらいに。
私は、どうしようもないほどに鈍感だったのだ。
そのことに気づいてからは、すべてが上辺のように感じた。どこまで会話を繰り広げていったとしても、そこに中身などは私たちの関係とおなじで存在することはなく、形式ばっている会話。まるでゲームのキャラクターのように意思も何もない、そう発言を強いられているだけの関わり。仲がいい兄弟だと家族にアピールするためだけ、それで両親が喜んでくれるから続けている関わり。
それは、今も変わることなく、そして、兄と私で区別をされながら、そうして生かされている。
そこから思ったのは、まるで、両親に実験材料とされているような、そんな感覚。育て方を区別しても、兄弟は仲が良くなるのだろうか、という私たちをモルモットみたいに扱う感覚実験。とてつもない嫌悪感を抱いても、そこから私は行動することなんて思いつきもしないし、行動できる気もしない。それはきっと兄も同じで、ずっとこれからもこの関係を続けていくのだろうと思うと、胸が苦しくなる。
私は兄が好きだった、大好きだった。
でも、兄はきっと私のことなんて嫌いでしかないだろう。それでも私との関係を取り繕ってでも行うのは、両親に対してその関係性を必要とされているから、両親に対してのやさしさだから、私は、それに便乗して、上辺だけの会話をずっとやめることはない。
きっと、光明なんてない。
それを切ってしまえば、それこそ、この家族は終わりを迎えてしまうのだから。
だからこそ、兄は仲がいいということを演出して、関係を保つために行動をした。
それに気づけなかった私は、本当に愚鈍でしかないのだ。
──話は、ここでおしまい。
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